令嬢は黒騎士様に近付きたい6
気付けば、社交界デビューをする若者達の列は消えており、ソフィア達の周囲に多くの視線が注がれていた。夜会の場で分かり易く騒ぎを起こし、そこには今日最初に噂の中心だったギルバートとソフィアがいる。しかもそれに王族であるマティアス達まで関わってしまったのだから、仕方がないことだった。
既にもう少しでダンスの時間が始まることを知らせる音楽が演奏されていた。ソフィアは恥ずかしくて俯きそうになるのを必死で堪える。
「──あー、ソフィア嬢、ギルバートも。この騒ぎもじきに落ち着くだろう。せっかくのデビューだからね。ゆっくり楽しんで行くといい」
その場を誤魔化すようにマティアスが重ねた言葉に、ギルバートが小さく嘆息した。ソフィアは少し救われたような気がして、やっと微笑みを浮かべる。マティアスに会ったら言いたいと思っていたことがあった。
「お気遣いありがとうございます、殿下。それと……あの日助けて下さって、本当にありがとうございました」
ギルバートに出会い、こんなにも知り合うことができたのは、マティアスのお陰だと思った。あの時ソフィアを拾い、ギルバートの元に保護させることを決めたのはマティアスだ。
「いや……ソフィア嬢を邸に置くと決めたのは、ギルバートだよ。私は思い付きだった。──今となっては、それが最良だったのだろうな」
ゆったりと話すマティアスにソフィアは首を傾げた。それはあまりにソフィアにとって都合の良い話だ。しかしマティアスはそれ以上何も言おうとはしない。痺れを切らしたギルバートが、ソフィアの手を引いた。
「ありがとうございます。殿下のお陰で詳しい話を見ることができました。また明日、お伺いしますので」
ギルバートはそのままつかつかと王族席とは反対側に向かって歩いた。ソフィアは絡まりそうになる足を慌てて動かす。いつも気遣ってくれるギルバートらしくない動きからは、余裕がないことが窺えた。
「ギルバート、様……っ! 如何なさったのですか……?」
ソフィアの声が届いたのか、ギルバートは立ち止まった。会場の中心では、まさに今国王と王妃が今日のファーストダンスを踊っている。ソフィアは会場の端から、初めて見るそれに目を向けた。
マティアスとエミーリアが加わる。あまりに優雅で美しいそれに、ソフィアは思わず見入った。ドレスの裾まで神経が通っているかのような、無駄がない動き。そして互いがパートナーを信頼し合っていることを隠そうともせず見せ付けるように寄り添う姿には、心惹かれた。じっと見ていると、ギルバートの声がすぐ隣から聞こえてくる。それは聞き慣れた穏やかで静かな声だった。
「──すまない。揶揄われる経験があまり無いので、取り乱した」
素直過ぎるほどの感情の吐露に、ソフィアは息を飲んだ。
「いえ。私こそ……先程は、ありがとうございました」
レーニシュ男爵からソフィアを守ってくれたのは、間違いなくギルバートだった。いつの間に、こんなにもその背中を信頼して全てを預けていたのだろう。煩い鼓動がギルバートに聞こえてしまうのではないかと不安になる。
それはまるで自身が物語のヒロインになったようだった。ギルバートがソフィアの前に立ち、ゆっくりと左手を差し出した。
「──ソフィア。お前が最初に踊る相手に、私を選んで欲しい」
なんて夢のような話だろう。熱の混じったその言葉に、否を唱えるはずもない。ソフィアは緊張を隠すこともできず、しかし喜びを前面に出しながら頷いた。
「はい。私で宜しければ」
「光栄だ」
右手を重ねる。緩やかに引かれ、ソフィアはダンスに加わる他の貴族達と共に、大広間の中心に足を滑らせた。
くるり、くるりと軽やかなワルツに合わせて足を動かす。練習のときにはこんなにも上手くできなかった。それほどに、ギルバートのリードは踊り易かった。いつの間にか音楽が耳に貼り付き、世界には自身とギルバートしかいないようだ。それがダンスの魔法か、自身の恋心故か分からないままに、ソフィアは目の前のギルバートを見つめた。吸い込まれそうな藍色の瞳が、すぐ近くにある。腰を抱く腕の熱が、鼓動を高鳴らせた。
「ギルバート様はダンスがお上手なのですね」
「いや。普段はあまり踊らないが」
それにしては随分と優しく丁寧なリードである。自然と足が動き、ソフィアは初めてダンスを楽しいと思った。ギルバートと触れ合っていて、身体を動かしていて、頬が染まっていく。
「ですが、とても踊り易いです。楽しいです。私のために……本当にありがとうございます」
「礼など。──私も楽しいから大丈夫だ」
ギルバートは表情を甘くする。ソフィアにしか聞こえない声が鼓膜を揺らす。まるで自分がギルバートの特別であるかのように錯覚してしまいそうだった。
先程までとは違う理由で、ソフィアとギルバートはすっかり目立っている。ソフィアの二曲目のダンスの相手を狙う男と、ギルバートが滅多に見せない微笑みに見惚れている女だ。ソフィアは気付いていなかったが、ギルバートは気付いていた。そして、そのまま更に一曲を踊った後、ソフィアに誘いの声がかけられるより早く──ギルバートはその手を引き、ソフィアを大広間と繋がっている庭園にある小さな四阿へと連れ出した。