令嬢は黒騎士様のことが知りたい3
ギルバートの言葉に驚き、ソフィアは目を見張った。
「──あの、それは……?」
どういうことなのかと聞きたかったが、言葉が続かない。予想外の告白に、ソフィアは何を言えば良いか分からなかった。
「王城の夜会で、挨拶をする機会があった。──断片だったが、ソフィアのことも見た」
見たと言うのは、以前話に聞いた魔力の揺らぎを読んだということだろうか。アルベルトとビアンカの記憶の中のソフィアは、どんな姿をしていただろう。自信がなくて急に不安になる。
「そう、だったのですか。では……私の事情もご存知だったのですか?」
涙は止まっていた。ギルバートはいつから知っていて、ソフィアをどう見ていたのだろう。それが分からないことが怖かった。
「アルベルト殿と婚約したときと、男爵家を出る場面だった。見ただけでは分からないことも多い。話してくれてありがとう」
「はい……」
困惑したままだが、どうにか相槌を打つ。
「──すまなかった。お前は知られたくないと言っていたな」
ギルバートの顔には何の表情も浮かんでいなかった。言葉に込められた感情が見えないことが余計にソフィアの心を乱す。
それでも、今日ギルバートに話をする覚悟を決めたのはソフィア自身だった。深呼吸をして、覚悟を決める。
「いえ──結局は同じことです。……お見苦しいものをお見せしました」
気になるのはただ一つ。ギルバートに失望されていないかということだ。きっとビアンカの記憶の中のソフィアは、酷い表情をしていただろう。いつだって恐れるか諦めるばかりだったのだから。
「お前を見苦しいと思ったことはない。それより──許してくれてありがとう。私はお前が歩み寄ってくれたことが嬉しい」
ソフィアは自由な左手で胸元を押さえた。ギルバートの言葉は率直だ。ともすれば不器用ともとれるそれは、いつだって心に響く。
「──ギルバート様……」
ソフィアが名前を呼ぶと、ギルバートは軽く頷いて空を見上げた。この場所にソフィアを連れてきたのはギルバートなのに、彼はこれまで殆ど空を見ていなかった。ずっとソフィアに顔を向けていたのだ。それに気付いたソフィアも視線を追って空を見上げる。二人並んで見上げる夜空はどこか暖かい。
「本当に、綺麗です」
「そうだな」
ソフィアは同意の言葉に口角を上げた。誰かと共に同じ感動を共有できることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。過去を伝えて、こんなに穏やかな心でいられるとも思っていなかった。
どれくらいの時間が経っただろう。そろそろ戻った方が良いかと思った頃、ギルバートが徐に立ち上がりソフィアの正面に片膝をついた。驚き目を見張るソフィアに構わず、右手を掴んだまま、それを大切な宝物であるかのように捧げ持つ。
「ギルバート様、ベンチから離れたら寒いです……っ!」
座っていると忘れてしまいそうになるが、今の季節は初冬で、時間は夜だ。日中と同じ服で外にいては身体を冷やしてしまう。慌てて声を上げるソフィアだが、ギルバートは全く構わない様子だった。
「──ソフィア」
静かに名前を呼ばれ、少しずつギルバートと視線を合わせる。真摯な藍色の瞳がソフィアを見上げていた。美しい騎士の礼に、勝手に頬が染まっていく。
「私に、お前を守る権利をくれないか」
請うような目を向けられ、ソフィアは思わず腰を引いた。真意は分からないが、ギルバートの表情からは真剣さが伝わってくる。顔が熱い。
「何を──」
ソフィアにとっては突然のことだった。それもこんなに真剣に、二人きりとはいえ正式な騎士の礼をされるほどのことをした覚えはない。ギルバートは表情を変えないままに口を開く。
「──お前が側にいると、私は調子が良い。共に話す時間も好きだ」
「……っ」
思わず息を飲んだ。まっすぐに好意を示されることに慣れていないソフィアは、瞬きを繰り返す。
「きっとこれからお前には、新たな出会いが沢山あるだろう。部屋に閉じ篭っていることはない。もっと世界を広げるといい。──それでも私の側にいてくれるなら、お前を守らせてほしい」
ギルバートにはきっと他意はないのだろう。しかしその言葉はソフィアの耳には甘く、秘めやかなもののように感じた。存在を求められることなど、これまでにはなかったのだ。
躊躇したのは僅かだった。ソフィアはおずおずと頷き──微笑みを浮かべたギルバートの唇が、右手の甲に触れるのを見て目を伏せた。
「──ありがとう」
心臓が煩かった。触れたところから感じた冷たく柔らかな感触が、ソフィアの心と身体を侵食していく。まるで自分が自分でなくなってしまったかのように、ただ見つめ返すことしかできない。
「──……ソフィア?」
気付くとギルバートが姿勢を戻し、立ち上がってソフィアを見下ろしていた。動けずにいるソフィアを心配するように、ギルバートはその手を軽く引く。その感覚ではたと現実に引き戻された。
「あ、ご……ごめんなさい! あの、あの……っ」
慌てて口から出るままに言葉を紡いだ。意味のない言葉が頼りなく、ソフィアをより落ち着かなくさせる。
「すまない。驚かせてしまっただろうか」
ギルバートの声はいつもよりゆっくりとしていて、ソフィアを気遣ってくれていることが分かった。未だ心は落ち着きを取り戻してはくれない。それでもこのままではいけないと思い、自由な左手をぐっと握った。自然と心の奥から湧き上がってきた覚悟は、これまでよりずっと強い感情だ。声が震えてしまわないように、ソフィアはゆっくりと口を開いた。
「──ギルバート様。私……強くなりたいです」
ビアンカやアルベルトに負けないように、ギルバートに守られるだけの存在にならないように、大切なものを大切と言えるように──強くなりたい。
ギルバートは一度瞬きをすると、ソフィアを溶かしてしまいそうなほどに甘く優しい微笑みを浮かべた。
「ああ、……期待している」
それは今のソフィアにとって、最も嬉しい言葉だった。勇気を振り絞ってぎゅっと右手でギルバートの手を握る。そこにある確かな感触は、夜の闇の中で道標のようにソフィアの心を照らしてくれていた。