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令嬢は黒騎士様と街に行く11

 手芸屋はその評判の通り、とても広く大きな店だった。瞳を輝かせたソフィアにギルバートが苦笑して右手を握る。


「──絶対に離れないように」


 さっき一度離れてしまったからだろうか、ギルバートはまるで幼子に言い聞かせるように言う。ソフィアはその声音に安心し、素直に頷いた。いつも触れているせいですっかり慣れてしまったギルバートの左手は、ソフィアよりも大きくて硬い。美しい手だと思っていたが、握れば実は剣の柄が当たるところは皮膚が厚くなっていることが分かった。

 刺繍道具を扱っているコーナーで、比較的安価な木枠や針等を選ぶ。刺繍を入れる白いハンカチだけは、並んでいる中で一番上等なものにした。ギルバートの瞳と同じ藍色の糸と、少し奮発して銀糸も買った。他にも売り切りになっている端切れや何色かの糸を選んでいく。


「色々使うんだな」


 ギルバートは見慣れない刺繍道具が珍しいのか、籠に入れたものをまじまじと見ていた。その姿が少し面白くて、ソフィアはくすりと笑う。さっきビアンカに会ったことなど、すっかり忘れてしまっていた。


「この枠で布を伸ばして刺すんです。久しぶりですので、ちゃんとできると良いんですけど……」


 自分が刺したくて刺すのは久しぶりだった。これまで半ば義務のようにやっていたことを思えば、ギルバートに贈りたいと思えた自分に少し自信を持てる気がする。

 ビアンカに言われて沢山作った刺繍入りの小物は、孤児院にもなっている教会のバザーに寄付されていたはずだ。ビアンカは自分が作ったものとして渡していたので、子供達からも人気だったらしい。ふと次のバザーはどうするのだろうと気になった。


「ソフィアは刺繍が上手そうだ」


 ギルバートの何気ない言葉にどきりと心臓が跳ねる。


「そんなこと……ございません」


 久しぶりで不安もある上に、ギルバートに渡すものを作ると思うと緊張する。ギルバートの周囲は侯爵らしく上質なもので揃えられており、それに見合うだけの刺繍ができる自信は今のソフィアにはなかった。だから適当な布と糸も買って、練習したいと思ったのだ。


「──完成したら見せてくれ」


 そもそも完成品はギルバートに贈るつもりなのだが、この場で言う訳にもいかず、ソフィアは無言で頷いた。そう言ってくれるギルバートの優しさにまた恋心が募っていく。





 夕陽が街を染める頃、ソフィアとギルバートは侯爵邸へと帰宅した。裏門の前に停められた馬車から、ソフィアはギルバートのエスコートで降りる。本来ならギルバートを優先して正門へと送り届けるべきなのだろうと思うが、ギルバートは御者に裏門に先に行くよう指定していた。それはカリーナに言われていたように、まるで本当にデートのようだ。またすぐに会うはずなのに、名残惜しく少し寂しい。


「──今日はありがとうございました」


 ソフィアが頭を下げると、ギルバートは首を振った。


「私も楽しかった。……これに懲りずに、また共に出掛けてくれると嬉しい」


 眉を下げたギルバートに、ソフィアは視線を落とした。今日あったことを思い出す。辛いこともあったが、ギルバートの暖かい言葉が、今もソフィアにくれる優しさが、胸を満たしていくのが分かる。


「あの──」


 勇気を出して顔を上げる。夕陽のせいで周囲は赤く染まっている。ソフィアの頬の火照りも、きっと隠してくれているだろう。


「どうした?」


 ギルバートが一歩ソフィアの方へ足を踏み出した。言い淀んだことを心配してくれたのだろうか。ソフィアは両手を前で組み合わせてぎゅっと握る。思い切って、躊躇っていた次の言葉を口にした。


「後で、お時間頂けますか? ギルバート様に……お話したいことがあります」


 ギルバートは足を止め、僅かに目を見張った。ソフィアは目を逸らさないまま、じっとギルバートの返事を待つ。知りたいと言ってくれたギルバートに報いたかった。過去から逃げるばかりではなく、向き合っていきたいと思う。ソフィアの勇気を汲み取ったのか、ギルバートはソフィアの頭を一度撫でた。


「分かった。食事の後で良いか?」


 いつもギルバートの部屋に浴室を借りに行く頃だ。そのまま時間を取ってくれるということだろうと思い、ソフィアは頷く。


「ありがとうございます……っ」


「では、また後で」


 正門へと走っていく馬車が見えなくなるまで見送ったソフィアは、ふと自らの頭に触れた。ついさっきそこに触れたギルバートの手の感覚に頬が染まる。話をしようと決めた心は、いつもより少し軽かった。





 部屋へと戻ったソフィアは、すぐにカリーナの部屋へと向かった。ブラウスは洗濯してからになるが、先にケープだけでも返そうと思ったのだ。侯爵家の使用人の服は、個人の名前が書いてある袋に入れておけば、他の洗濯物と一緒に洗って乾かしてもらえる。洗濯機を使えないソフィアはその仕組みにいつも助けられている。

 カリーナの部屋の扉をノックすると、まるで待ち構えていたかのようにすぐにドアが開けられた。


「あの、カリーナ。ケープありがとう。ブラウスは──」


 ブラウスは部屋に置いた紙袋の中だ。洗濯して後日返すと続けようとした言葉を、顔を赤くしたカリーナがソフィアの腕を引いて遮った。部屋の中に引き入れられ、背後で扉が閉められる。


「ちょっとソフィア! 朝と服が違うんだけど何があったの!?」


 興奮した様子のカリーナが前のめりに問いかけてくる。ソフィアもつられて頬を染めた。


「……あの、破れちゃって」


「え!?」


 説明し辛いので、破れた経緯は話さなかった。ビアンカに会ってしまったことはソフィアにとって不幸な偶然だが、カリーナには関係ないだろうと思う。そして頬を染めているのはそのせいではない。


「ギルバート様に買って頂いたの」


 恥ずかしくて声は小さくなってしまったが、カリーナにはしっかり聞こえていたようだ。両手で口元を覆っている。


「やっぱりっ! 素敵じゃない。選んだの、ギルバート様よね?」


「う、うん……」


 当然のように聞かれ、ソフィアは頷いた。なぜ分かるのだろうかと首を傾げる。


「分かるわよ。だって高そうだし、青は少し明るいけど銀と一緒ならギルバート様を連想するじゃない。髪飾りも揃いの銀色よ。──ソフィア、これで買い物に行っただけとは言わせないわよー」


 カリーナは、意外とギルバート様って独占欲強いのかしら、などと言いながら嬉しそうに笑っている。ソフィアはその指摘に熱くなる顔を隠すように手で覆った。店でワンピースを広げられたとき、確かにソフィアもギルバートのような色合いだと思ったのだ。


「でもカリーナ。ギルバート様の瞳はこんなに明るい色じゃないわ」


 誤魔化すように言い募ると、カリーナは更に笑みを深める。


「ドレスならまだしも私服のワンピースが藍色じゃ、いつもの制服と変わらないじゃない」


 フォルスター侯爵家のメイドの制服は紺色のワンピースだ。


「だけど……」


 言い訳を探すように、ソフィアは瞳を彷徨わせる。どうしても良い言葉が見つからずに焦っていると、カリーナがソフィアの手を取った。


「いいじゃない、喜んでおきなさい! さあ、ご飯食べに行くわよ。どうせまた後でギルバート様のお部屋に行くんでしょ?」


 おずおずとソフィアが頷くと、カリーナは嬉しそうに扉を開けた。


「楽しかったみたいで良かった。今度は私とも行こうね!」


「──うん……っ!」


 そのときには、ソフィアに魔力がないことをカリーナに伝えていなければならない。小さな覚悟を胸に秘め、ソフィアはカリーナの後について階段を降りた。

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