令嬢は黒騎士様と街に行く10
扉を開けて入ってきたのは先程の男で、店員らしい女を数名連れていた。いくつかの女物の服が掛けられた移動式のラックを持っている。突然増えた人数と状況にソフィアは目を丸くした。
「あ、あの……ギルバート様?」
ギルバートはちらりとソフィアを一瞥すると、立ち上がってラックへと歩み寄った。そこに並ぶ服を手に取っては戻している。あまり時間をかけずに一着を選ぶと、店員の手に渡した。ソフィアの位置からはギルバートと店員の背で隠れて、何が起きていてどれを選んだのかあまりよく見えない。
「これで頼む」
「承りました」
恭しく頭を下げた男が女の店員達に視線を送る。途端、ソフィアは女の店員に手を取られ、部屋の端に備え付けられている小部屋へと連れ込まれた。
「──素敵なお洋服でしたのに、残念ですね。こんなになってしまって」
「ですが大丈夫です。私どもでお嬢様をもっと可愛くさせて頂きますわ」
破れたワンピースを見ながら眉を下げて微笑み、また元気付けようと励ましてくる店員達に、ソフィアは困惑を隠せない。しかし、少なくとも先程のギルバートに聞くよりはしっかりとした答えが返ってくるような気がして、ソフィアは口を開いた。
「あの、どういうことなのでしょう……?」
「侯爵様が、お嬢様にお着替えをと仰っております。さあ、こちらへ」
状況は分かったが素直に受け入れられなかった。それでもこのままでいると店員達を困らせてしまうだろう。どうしようかと思っていると、先程ギルバートが選んだ服が目の前に広げられた。
「──これって」
それは、柔らかな青色のワンピースだった。美しいドレープのスカート部分にはふんわりとシフォンが重ねられており、銀糸の刺繍で夜空に浮かぶ星座が描かれている。決して暗い色ではないのに、夜空のように思わせる青は曖昧で可愛らしい。
「侯爵様がお選びになったものです。お召し替えのお手伝いをさせて頂きますね」
にっこりと微笑まれてしまえば、ソフィアに拒絶する勇気はなかった。店員達の手によってあっという間に着替えさせられる。閉じた瞼を濡れタオルで冷やされている間に髪型を変えられ、化粧を直され──気付けば、鏡の中には年頃の令嬢らしく美しく着飾ったソフィアが映っていた。
着替えを終え、身支度を整えられたソフィアが小部屋から出る。どきどきと胸を高鳴らせて伏せていた目を上げると、ソファーに座っていたギルバートは僅かに目を見張り満足げに頷いた。
結局、ソフィアはワンピースだけでなく、ワンピースと同色の靴と銀の髪飾りまで選んでもらっていた。カリーナの白いケープとも違和感なく馴染んでいる。可愛らしく素敵だったが、どれも今のソフィアには釣り合わないような気がして不安になった。
「よく似合っている」
「あ、ありがとうございます……っ」
ギルバートの一言で、頬が染まっていくのが分かる。化粧も直してもらっているが、きっとこの熱は隠せていないだろう。そう思うと余計に鼓動が早まった。ギルバートが立ち上がり、ソフィアの側まで歩いてくる。見上げると当然のように右手が握られた。
「後は手芸屋だったか。行こう」
手を引かれたソフィアは驚いてその場に立ち竦んだ。ギルバートが振り返って怪訝な表情をしている。
「──どうした?」
「あの、お会計を……」
「私からの贈り物だ。貰ってくれ」
ギルバートはそれが当たり前であるかのように口角を上げた。ソフィアは余計に戸惑ってしまう。貰う理由などないはずだ。
「ですが私には、このような物を戴く理由がございません……」
素直に言った自分の言葉に自分で落ち込んでしまうが、紛れもない事実である。ソフィアはフォルスター侯爵家の使用人で、そもそも二人で出掛けていることすらおかしなことなのだ。ギルバートは僅かに眉間に皺を寄せた。
「──私には贈る理由がある」
先程よりも少し強く手を引かれ、ソフィアは頭を下げる店員達に見送られながら部屋を出た。ギルバートの言う贈る理由に、ソフィアは全く心当たりがなかった。しかし心遣いが嬉しかったのは確かだ。
「ありがとうございます、ギルバート様。……可愛いお洋服で嬉しいです」
二人きりになった馬車の中でソフィアは口を開いた。ギルバートがこちらに目を向ける。視線が絡むと、それだけで体温が上がるようだ。背伸びした服装なのは分かっている。上品な令嬢らしいデザインが今の自分に似合っている自信もない。
「良かった」
しかしギルバートは甘さを含んだ微笑みをソフィアに向けてくる。両手でスカートの裾を握り締めそうになって──ぐっと堪えた。困ったときのソフィアの癖だが、このワンピースを握り締めてはいけない気がする。代わりに両手の指を膝の上で合わせた。
「ですが、緊張します……」
意識をすれば背筋が伸びる。ソフィアの両親が亡くなったのは五年前、ソフィアが十二歳のときだった。それまでの間に学んだ作法を総動員して、令嬢らしい振る舞いになるようにしようとすると、肩に力が入ってしまった。
「そんなに固くならなくて良い。前を向けば充分だ」
ギルバートが喉の奥を鳴らしてくつくつと笑う。ソフィアは余計に恥ずかしくなって、言葉に反して俯いた。染まる顔を覆ってしまいたくて手を上げかけると、向かいに座っているギルバートが身を乗り出した。右手がソフィアの頤に触れ、くっと上向かされる。正面から見つめ合ってしまい、目を逸らせない。車輪の音が遠くに聞こえた。
「──大丈夫だ。ソフィアは充分可愛らしい」
すうっと目を細めると、ギルバートは手を離して座席に座り直した。一瞬止まってしまうかと思った心臓の鼓動が、耳元で大きく鳴っている。ソフィアは俯くこともできず、態とらしく窓の外へと目を向けた。
こんなにも顔を赤くしている姿を見られるのは恥ずかしいが、二人きりの馬車には逃げ場もない。やがて馬車が止まり御者に声をかけられるまで、ギルバートは飽きもせずソフィアを眺めていた。ソフィアは見つめ返すこともできず、高鳴る鼓動がギルバートに聞こえないようにと必死で宥めるばかりだった。