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令嬢は黒騎士様と街に行く7

「──ビアンカ、アルベルト様……」


 思わず目を見張ったソフィアの前で、仲睦まじげに腕を組んで歩いていた二人は驚愕の表情をしている。何事かを話し、二人はソフィアの側まで歩いてきた。あの日のことを思い出し、どうしても顔が引き攣ってしまう。先に口を開いたのはアルベルトだった。


「心配していたよ、ソフィア! 家を出て行ったと聞いていたが、一体どこにいたんだい?」


 優しげな微笑みを浮かべ、眉を下げたアルベルトがソフィアを見下ろしている。婚約していた頃、アルベルトはいつも優しかった。あの日の言葉がなかったかのような態度に、ソフィアは困惑する。隣にいるビアンカが、アルベルトから見えない位置でじっとソフィアを睨むように見ていた。


「あ──あの。私、この先のお宅でお世話になっていて……」


 フォルスター侯爵家で働きながら暮らしているとは言えなかった。使用人として働いているなどビアンカに知られてはきっと何か言われてしまうだろうし、何より今の幸せな生活に、以前の影を持ち込みたくはない。アルベルトがレーニシュ男爵夫妻に言った婚約破棄の言葉も、真実を伝えることを躊躇う理由の一つだった。信用できないと、ソフィアの脳が警鐘を鳴らしている。


「そうか、元気そうで良かったよ。それに──そのワンピース、以前私が君に贈ったものだね。捨てたと聞いていたが、とても良く似合っているよ」


 ソフィアは初めて聞く話に驚き、目を見開いた。このワンピースは、ビアンカが捨てたのをソフィアが拾ったもので、もう一年以上前のことだったはずだ。ソフィアははっとビアンカに目を向ける。視線の先で、ビアンカは瞳を潤ませていた。態とらしく両手を胸の前で合わせ、上目遣いにアルベルトを見上げる。


「本当に心配しましたわ、ソフィア! 無事で良かった。……アルベルト様、久しぶりに会えましたの。少し従姉妹同士、二人で話す時間を頂けませんか?」


 細い声で言うビアンカに、アルベルトは愛おしそうな表情と甘い声で答えた。


「分かった。少し散策してくるから、後で合流しよう」


 ソフィアは離れていくアルベルトを縋るような気持ちで見ていた。どんなに信用できない相手でも、ビアンカと二人にならずに済むのなら構わなかったのに。引き止めたかったが、喉につっかえてしまって声が出てこなかった。

 アルベルトが視界から消えると、それまでの涙が嘘のようにビアンカが表情を消した。ソフィアの背筋が、すっと冷える。何度も見てきたこの表情がソフィアは恐ろしかった。震える声で口を開く。


「──……ビアンカ」


「名前を呼ばないで。貴女に呼ばれたと思うと気分が悪いわ。──ゴミを拾うなんて、貴女は本当に卑しいのね」


 その視線はソフィアの深緑色のワンピースに向けられている。先程のアルベルトの話を思い出し、ソフィアは口を開いた。


「アルベルト様の贈り物……だったの?」


 私への、という言葉は飲み込んだ。ソフィアのものを自分のものとして扱われるのは当たり前の日々だった。それでも贈られたものを勝手に捨て、それをアルベルトにソフィアが捨てたと報告していたというのは、あまりに酷い。


「私の方が似合うのだから良いじゃない。──服も、宝石も、アルベルト様も。美しい私にこそ相応しいわ。何もできない……お荷物の貴女ごときが、調子に乗らないで」


 ぐっと距離を詰めてきたビアンカに、ソフィアは身の危険を感じて肩を震わせた。不快なものを見る目で見下ろされるだけで、心が悲鳴を上げている。男爵家を離れ、もう二ヶ月以上が経っていた。優しい言葉と暖かい場所に慣れてしまって、それまで受け流せていた冷たい言葉が深く胸に刺さった。


「私……ごめんなさい」


 ぽつりと呟いた言葉は、反射的に漏れたものだった。いつだって言われるがままに謝ってきた。そうすることで、少しでも責められないように。ビアンカは当時と変わらないその言葉に満足げに鼻を鳴らした。しかし今のソフィアに芽生えた小さな自尊心が、そうではないと内側から言葉を湧き上がらせる。


「でも、このワンピースは……私のものなんでしょう?」


 ビアンカを見上げ、両手を握り奥歯を噛み締める。誰から貰ったものかは今のソフィアにはどうでも良かった。ただ、今日ギルバートに可愛いと言ってもらったワンピースを、ゴミだと言われたくなかった。


「──生意気になったわね……っ」


 振り絞った勇気は叩かれた頬の痛みで砕かれた。乾いた音が広場に響く。何人かがこちらに視線を向けたが、若い女が二人で話しているのを見ると、内輪揉めだと思われたのか我関せずとばかりに目を逸らされた。ソフィアは頬に手を当て、勝手に溢れ出した涙に驚く。慣れ親しんだ恐怖と諦めが、内側からソフィアを侵食していた。嫌でも震えてしまう身体が、自分の弱さを示しているようだった。


「ごめん……なさい。ごめんなさい……っ」


 ビアンカの口角が上がる。それは強者の笑みだった。自分に自信があり、それが滲み出ている表情は、ソフィアにはないものだ。俯いたソフィアの視界に、ビアンカの両手が映り込む。


「ねえ、そのワンピースは私にとってゴミなの。だから──どうしようと私の自由よね」


 はっと思った時には遅かった。膝下丈のスカートの裾が力任せに縦に割かれ、中のペチコートが露わになる。


「きゃ……っ」


「早くどこかへ行って。二度と私の前に現れないで」


 ビアンカが言い捨てるように背中を向けた瞬間、ソフィアはその場から走って逃げ出していた。強くなりたい、強くなりたいと何度も繰り返していた言葉が今の自分を追い詰めていく。ただその場でギルバートを待っていることすらできなかった。ごめんなさい、ごめんなさいと誰に言うでもなく繰り返し呟きながらでたらめに走り、気付けばソフィアは知らない道に迷い込んでいた。

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