令嬢は黒騎士様と街に行く1
「──それって、デートじゃないの!?」
ソフィアの話を聞いたカリーナが、頬を紅潮させて言った。ソフィアは向けられた数人の目が気になって首を竦める。今日はソフィアとカリーナ、二人共休日だった。休日は、侯爵邸内の使用人スペースで自由に過ごして良いことになっている。外出する者も多いが、その場合は裏門で名前を書いて出掛ける決まりだ。外出しなければ食事はいつも通りのものを貰える。使用人ホールの片隅で、二人はランチを済ませてからしばらくの間話し込んでいた。
「カリーナっ! 声を落として……」
「あ、ごめんごめん。でも、ギルバート様から出掛けようって仰ったんでしょう?」
カリーナはまるで自分のことのように瞳を輝かせている。
「それは……そうなんだけど。私が買い物に行きたそうにしていたから、連れてってくれようとしただけよ、きっと」
口にはしないが、直前に抱き締めてしまったことを誤魔化すためでもあったのかもしれない。あの日、ギルバートは会話中にソフィアの手に触れなかった。あれから数日が経つが、ギルバートは一切そのことについて話題に上げない。何事も無かったかのように振る舞われ、ソフィアもまたはっきりと自覚してしまった恋心を内心に隠し続けている。
「そうかもしれないけど。──ソフィア、せっかくなんだし、楽しんだら良いんじゃない? ここに来てから一度も出掛けてないでしょう」
「行きたいところって言われても、何があるのか分からないわ……」
ここに来てからどころか、ここ数年は王都を出歩いていない。目を逸らして嘆息したソフィアに、カリーナは笑いかけた。
「──ここはフォルスター侯爵邸よ、ソフィア。調べものなら、このホールだけでも充分だわ」
カリーナが目を向けたのは、壁に据え付けられた本棚だ。使用人達が持ち寄り、時には侯爵家の家人が下げ渡してくれた本が並べられている。自由に読んで良いというそれの中には、王都の地図や観光案内くらいあるだろう。
「──そうね」
ソフィアは少し明るい声音でカリーナに同意する。とても楽しみだったが、同時に不安もあった。王都を歩いたのは、家を追い出されたあの日以来だ。どうしても思い出すのは、痛む身体と行き場のなかった心。そして、ギルバートとの出会いだ。最初は分かり辛い優しさに戸惑ったが、今ではそれがなくなることを恐れている。
「ほら、地図よ」
ばさりと広げられた王都の地図に、ソフィアは驚き目を見張った。まさに観光案内図にもなっているのか、ところどころに簡単な絵が書き込まれている。ソフィアが思考の中にいるうちに、カリーナが持ってきてくれたらしい。
「ありがとう」
「それで、何が買いたいの?」
カリーナに問われ、ソフィアは首を傾げた。必要な物と欲しい物は違う。
「お菓子と……靴と上着? できればシンプルなハンカチと、針と糸も欲しいわ」
男爵家にいた頃は、一人部屋で刺繍をしていることも多かった。ビアンカが自分が刺繍したものとして教会や孤児院に寄付するために、ソフィアに強制していたとも言える。靴はあの日履いていたもの以外に制服用しかなく、上着も制服のもの以外に持っていない。お菓子は、カリーナに贈るつもりだ。
「何。ソフィア、刺繍とかするの?」
「──お渡しできればと思って」
頬を染めたソフィアは、俯いてテーブルの上の地図を見る振りをした。カリーナの顔を正面から見るのも恥ずかしい。誰に、など言わなくてもお見通しだろう。
「ああ、もうっ! もはや羨ましいわね、ギルバート様が。それなら……この通りは安くて良い服屋が揃っているし、お菓子屋さんもあるわよ。裁縫道具は私は詳しくないけど、こっちの……ああ、ここよ、ここ」
カリーナは地図の上で指を動かし、ある一点を指差した。丁寧に絵も描かれているそこは、随分大きな店のようだ。
「王都で一番大きい手芸のお店らしいわ。無地のハンカチも買えると思うわよ」
それぞれの通りと店の名前を教えてくれるカリーナに感謝しつつ、ソフィアはメモにそれを書きつけていく。
「──カリーナ、ありがとう。私だけじゃ、全然分からなかったわ」
素直に感謝の言葉を口にしたソフィアに、カリーナは呆れたように嘆息する。ソフィアは何故溜息を吐かれたか分からず、首を傾げた。
「それは良いのだけれど……ソフィア。その日、何着て行くつもりなの?」
カリーナには、最初のソフィアの荷物を知られている。小さなトランク一個だったのだから、中に大して入っていないことは明白だろう。
「手持ちのワンピースと……制服のコートがあったから大丈夫よ」
制服に合わせて支給されている、外出用のコートとストール。改めてフォルスター侯爵家は良い職場だとソフィアは思った。しかしカリーナは納得できないようで、腕を組んで眉を下げている。
「──ソフィア、これから私の部屋に来てくれない?」
「え、なに?」
真面目な表情で見つめられ、ソフィアは首を傾げる。
「デートに支給のコートなんて、聞いたことないわよっ! 私の服貸してあげるから、今からサイズ確認しましょう」
立ち上がったカリーナは地図を折り畳み、本棚に戻す。
「あのね、だからデートじゃ……」
「遠慮しないのっ」
躊躇するソフィアは、カリーナに腕を引かれて使用人ホールを出る。まだ日付すら決まっていないのに、浮かれている自分が恥ずかしかった。それでもカリーナの心遣いは嬉しかったし、ギルバートとの外出は楽しみだ。自然と軽くなる足取りが、何よりソフィアの気持ちを雄弁に語っていた。