宴の後で(ソフィアとギルバートの場合)
「捨てられ男爵令嬢は黒騎士様のお気に入り4」発売記念!
※書籍のみをお読みの方は、4巻を最後までお読みいただいてからご覧ください。
※web版では【夜会編】の後(時系列では212部分の後)のお話となります。
夜会の後に突然開催された親しい者だけによる宴は終わる気配を見せず、結果、皆がフォルスター侯爵邸に泊まっていくことになった。
夜会を主催するからと客間の支度をしていたこともあり、翌日が非番で朝まで飲み明かそうという騎士達以外は、皆それぞれの部屋で眠ってもらうことができた。
一階のサロンから、楽しげな笑い声がかすかに漏れ聞こえてくる。
夜着に着替えて侍女も帰し一人きりになったソフィアは、水差しからグラスに水を注いだ。
酒は少ししか飲んでいないが、雰囲気に酔わされてしまったようだ。
グラスを持って口へと運ぶ。
喉を通り抜ける冷たい液体が、高鳴りを抑えられずにいる心を少しずつ穏やかにしてくれているようだ。
窓から差し込む月明かりと、いつもよりも人の気配が多い邸。
もし、ソフィアの母が、父が生きていたならば、今日のソフィアを見て、なんと言っただろうか。立派だと、よく頑張ったと、褒めてもらえただろうか。
両親との思い出は幼い頃のものばかりで、想像の中の父はソフィアの頭にぽんと手を乗せている。母は、優しく抱き締めて、頬に口付けをしてくれていた。
ソフィアは嬉しくなって、母を抱き締め返した。すると、母ごとソフィアを父が抱き締めてくれるのだ。
「幸せな記憶なのだけど……」
亡くしてしまったそれらは胸に痛い。
賑やかだった場所から離れたせいで、感傷的になってしまっているようだ。
ソフィアは残っていた水を一気に飲み干して、寝台の中心に移動した。きっと、ギルバートは第二小隊の者達に囲まれているに違いない。今日は独り寝になるだろう。
そう思いながらシーツを引き上げようとしたソフィアは、扉が静かに叩かれる音ではっと顔を上げた。
「──起きているか?」
低い声は、夜に溶け込むように穏やかだ。もしソフィアが眠っていたならば起こさないようにするためだろう。
ソフィアは慌てて返事をした。
すると、寝支度を済ませた姿でギルバートが寝室に入ってきた。
「すまない。もう寝るところだったか」
「はい。ですが……来てくださって、嬉しいです」
賑やかな夜会の後だからこそ、独り寝は寂しい。
寝台から降りようと身体を動かしたソフィアを止めて、ギルバートも寝台に上がってくる。寝やすいようにと少し端に寄って場所を譲ったソフィアを、ギルバートは手首を掴んで引き留めた。
首を傾げると、腰に手が回って引き寄せられる。
気付けば寝台の上に座ったギルバートの足の間にソフィアが座り、背中を大きな胸に預けるような姿勢になっていた。
「ギ、ギルバート様?」
ギルバートが、ソフィアが上げた困惑の声に小さく笑い声を漏らす。
「──ソフィア、今日まで疲れただろう。夜会の準備も、私が家を空けている分までよく頑張ってくれた」
「いえ……っ、お、女主人としては、当然のことだと──」
「私が助かったと言っている。そんなに気負うことはない」
ギルバートの大きな手が、ぽんとソフィアの頭に乗る。出会ったばかりの頃と比べるとずっと慣れた手つきで、でもどこかぎこちなく、その手がソフィアの頭を撫でた。
甘やかされている、と思った。
これくらい、侯爵夫人であればできて当然なのだ。
しかし同時に、当然のことだからと自分に言い聞かせて慣れないことをしていたソフィアそのものを受け入れて認めてくれているようで、心が緩んだ。
「ありがとうございます……」
足りないところもいくつもあった。
夜会中の大きなトラブルこそ無かったものの、直前の変更になってしまったところも、クリスティーナに助けてもらったところもたくさんあった。
「お前は、これまで夜会に出ることもそう多くなかっただろう。余計に大変だったと思う。ありがとう」
まっすぐに褒められて、恥ずかしさから頬が熱い。
ソフィアの頭を撫でる手が離れ、そっと頬に触れる。ギルバートの指先がひやりと冷たくて、ソフィアの頬の温度に気付かれてしまう、と思った。
軽く仰向かされ、頬にそっと唇が触れる。
余計に顔が熱くなる。
背中から回された両腕が、まるでぬいぐるみを抱き締めるようにソフィアを抱き締めてくる。背中越しに伝わるギルバートの体温がいつもよりも高いのは、酒を飲んでいたからかもしれない。
冷たい指先と、高い体温。
ソフィアは腹の前にあるギルバートの両手に、そっと自分の手を重ねた。まさに今眠ろうとしていたソフィアの手の方が、ギルバートのそれよりずっと温かい。
「……ギルバート様がいてくださるから、頑張りたいって思えるんです」
一度手を解いて、くるりとギルバートに向き直る。今度はしっかりと手を握って、ソフィアはギルバートの胸に身体を預けた。
上目遣いに窺うと、ギルバートは驚いたように僅かに目を見張っている。
「ギルバート様といるためなら、もっと、頑張れます。だから──」
その先の言葉は、口付けに吸い込まれた。
いつの間にかギルバートの腕はソフィアの背に回っていて、少し痛いくらいだ。それでも、その痛みまでもが愛おしい。
ソフィアも同じくらい強く抱き締めたいと、口付けながら両腕を精一杯ギルバートの背に回した。しかしやはり思うようには力が入ってくれない。
苦しいくらいに抱き締めることができれば、言葉にできないほどの想いも、全部伝えられたかもしれないのに。
小さな悔しさで拗ねているソフィアは、気付かなかった。
想像の中の両親にされたかったこと全てが、ギルバートによって与えられていたことに。