口は災いの元(ケヴィンとカリーナの場合)3【完】
拘束した男達を警備兵に引き渡したときには、もう夜中と言って良い時間になっていた。流石に遅い時間なので、ケヴィンとカリーナの事情聴取は明日になった。
こういうときに、近衛騎士団所属というのは身分がしっかりしていて便利だ。カリーナもまた、フォルスター侯爵家の侍女という充分な肩書きを持っている。
「……邸まで送るよ」
ケヴィンがそう言うことになったのは必然だった。こんな深夜に、大柄な男達に囲まれたばかりの年頃の女を一人で帰すわけにはいかない。
たとえカリーナがそれに怯えていなかったとしても、だ。
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
カリーナがそう言って、ケヴィンの横に並んで歩き始める。歩く度、一つに束ねた髪の毛がぴょこんと揺れていた。
それが気になって、ケヴィンは目のやり場に困った。毛先が触れる首筋が、妙に細く滑らかに見えるのだ。
なにか話さなければ、と思ったケヴィンは、とりあえずというように口を開く。
「あの──」「ねえ──」
話し出したのは同時だった。
ケヴィンが驚いて言葉を切ると、カリーナが思わずと言ったように吹き出す。他に誰もいない夜道に、小さな笑い声が響いた。
こうしていると以前と何も変わらないのに、どうしてケヴィンの心は変わってしまったのだろう。こんなに惹かれているなんて、思わなかった。
「ごめんごめん。私は大したことじゃないから、ケヴィンから良いわよ」
カリーナがにこにこと機嫌良さげに言う。
ついさっき危険な目に遭ったとはとても思えない表情が、ケヴィンには眩しくて仕方ない。
「うん。いや、えーっと……今日、待ってた? 行けなくてごめん」
結局ケヴィンの口から出たのは、本当に何でもない言葉だった。
「来るかもとは思ってたけど、気にしなくて良いわよ。今日は店主さんの昔話が面白すぎて、長居しちゃっただけ。知ってた? あそこの店主さん、若い頃は冒険者だったんだって」
「え、そうなの? それじゃ、身体も大きいはずだ」
このアイオリア王国で、冒険者とは、組織に所属せずにギルドから仕事を斡旋されて世界を回っている人々のことを指す。大抵は魔物退治や貴族や商人の臨時護衛、薬や魔道具の材料の採取等をしている。
実践で腕を磨いてきているため、強く逞しい身体の者が多いのが特徴だ。同時に、その野性味が異性にモテるとも言われている。
「ね。手握ってもらったら、骨砕けるかと思ったわ。ケヴィンはその感じじゃ飲み会帰りでしょ。お疲れさま」
「ううん。今日は同僚とだったから──って、手を握ってもらった?」
ケヴィンはカリーナの話を聞いていて、聞き流そうとした言葉を拾い上げた。
カリーナは自分の左手を持ち上げて、ケヴィンに見えるようにとひらひらと振る。
「うん。右じゃ加減ができないって言われて、左手だったけど。握力とか気になるじゃない」
からりと笑う笑顔を、憎らしいと感じたのは初めてだった。
カリーナが元気でいることも、笑っていることも、嬉しい筈なのに。
「──……ケヴィン、どうしたの。疲れてる?」
黙ってしまったケヴィンの様子が気になったのか、カリーナが立ち止まる。ケヴィンも立ち止まって、カリーナに向き合った。
カリーナはケヴィンのことを好きだ。そうでなければ、プレゼントをくれたり、外食の度に短い手紙を出したりなどしないだろう。それなのに、他の男に簡単に触られないでほしい。
自分はこんなにも我慢しているのに──
「ああ、そっか」
ケヴィンは思わず苦笑した。
こんなにも簡単なことだったのだ。
「なに、どうしたのよ」
カリーナが怪訝な顔をしている。
ケヴィンは思い切って二人の間の距離を詰め、カリーナの両手を掴んだ。
「ねえ、カリーナ」
こんな遅い時間、店もない夜道にいるのはカリーナとケヴィンだけだ。見ているのは、きっと月だけだろう。
カリーナが肩を揺らした。
「僕、カリーナのことが好きだよ。だから付き合ってほしいんだ」
目を見張っているカリーナの両手を引くと、よく鍛えられた細い身体は、当然のようにケヴィンの胸に落ちてくる。
抱き締めると、想像よりも甘い香りがした。
強張った身体がケヴィンの腕の中でもがき始める。
「ちょっと、どういう意味よ」
「だから、好きなんだって」
「知ってるわよ」
「カリーナが恋人になれば、他の男に触るなって言えるでしょ」
「……は?」
カリーナが、ぴたりと動きを止めた。
ケヴィンは、自分がどうしようもなく恥ずかしいことを言ってしまったことに気付いた。いくら酒が残っていて少し暴れてすっきりしているとはいえ、流石にこれは照れ臭い。
頬が熱くなっている。夜風も全く気にならない。きっと今、ケヴィンの顔は真っ赤だ。
それでも、言ってしまったからには貫くしかない。
「あの男達も、店主さんも。カリーナに触るのは嫌だ」
カリーナの身体から力が抜けて、ケヴィンは抱き締める力を強めた。抵抗されないのならば、これまで散々我慢した分まで触りたい。
「今、あんたが一番触ってるけど」
「そうだね」
「いや、そうだねじゃなくて」
「良いでしょ。侯爵家の使用人だって、恋愛禁止じゃないんだし。今すぐ結婚、ってなったら都合は良くないかもしれないけど、恋人なら問題ないよ」
付き合うだけならば、爵位も、仕事も、実家も関係ない。
互いの心が求め合っているから、人は恋をするのだ。
「……それって、問題先送りにしてるだけじゃない?」
カリーナが冷静に言う。ケヴィンの腕の中にいるというのに、随分と落ち着いているようだ。
ケヴィンは焦った。
今ここで付き合えなければ、カリーナをいつ誰にとられるかも分からない。カリーナの実家は商家だ。繋ぎ止めておかなければ、今後万一縁談があっても握りつぶせないではないか。
ケヴィンはカリーナの肩に顔を乗せ、二人の間の隙間を少しでも埋めようとした。
「今すぐにはどうにもできなくても、絶対にずっと一緒にいられる未来を作るから。信じられないかもしれないけど、それでも、お願いだから僕を信じて!」
これでは告白じゃなくて懇願だ。
カリーナがまた身体を震わせる。
あまりに自分勝手なケヴィンの言い分に怒っているのかと思ったが、しばらくして聞こえてきたのは笑い声だった。
そして、カリーナの腕が、ケヴィンの背に回る。
「──……信じるね」
カリーナがケヴィンに言ったのは、その一言だけだった。
ケヴィンが腕を緩めてカリーナの表情を窺うと、カリーナは照れたように僅かに俯いている。
その恋人に向ける表情が、可愛かった。
「ありがとう……!!」
ケヴィンはカリーナを抱えてそこら中を走り回りたい気分だった。高揚した気分は、なかなか落ち着かない。
「ねえ、これからどうする!?」
ケヴィンはカリーナに問いかける。
カリーナは笑って、ケヴィンの背に回していた手を降ろした。
「何言ってんの。帰るわよ。すっかり遅くなっちゃった」
「……そんなあ〜」
カリーナがくるりとケヴィンに背を向けて歩き始める。
ケヴィンは大慌てで、その背中を追いかけた。
二人の恋はまだ、始まったばかりだ。