猫好き男爵の裏話(ガスケ男爵の場合)
連載していた「異世界から転生してきた園村くんは姫芽ちゃんに傅きたい」が完結したので、書きたいと思っていた番外編を書きました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
※魔道具塔の長官、ガスケ男爵視点です。
少しずつ職場の人間関係が豊かになっていくギルバートの話。
ガスケ男爵は猫好きである。
自他共に認める猫好きで、邸には五匹の猫がいる。いつも身につけているロケットと、愛用の懐中時計の蓋には猫の肖像画を入れており、仕事の合間に見るのが楽しみだ。
猫好きに悪い者はいない。それがガスケ男爵の座右の銘である。
「そうそう、とはいえ壊さないでくださいね。貴方様には前科があるんですから」
ギルバートが、ガスケが渡した魔道具が入った箱を抱え直した。
捜査では良く使われる、撮影用の魔道具だ。なんでも家の事情だということだが、ガスケにとっては他人事である。高位貴族はなにかと大変だなあ、と思うだけだ。
ギルバート・フォルスターは、魔道具塔の所長であるガスケにとって天敵のような男だ。
何故なら、いつも身につけている腕輪が無いと、本人の魔力の強さの影響で周囲の魔道具が壊れてしまうからだ。
普段は邸の私室以外では腕輪をつけているそうだが、以前任務のときに腕輪が壊れ、貸し与えた連絡用の魔道具を壊された。
実はその魔道具は、当時所長になりたてだったガスケが、必死で財務部に頼み込んで上げてもらった予算によって作ったものだった。
「……気を付けます」
ギルバートが表情を動かさずに言う。
「頼みますよ」
ガスケはそう言って、首を左右に振った。
ギルバートはもう話は終わりだというように、早足で帰っていった。その背中を見ながら、ガスケは小さく溜息を吐いた。
ギルバート・フォルスターは、猫好きであるガスケにとって天敵のような男だ。
何故なら、猫好きだと嘘を吐いていたからである。
ギルバートが猫を飼い始めて溺愛していると聞いたガスケは、早速ギルバートに猫の話をふった。いつも表情を動かさない男が、僅かながら確かに頬を緩ませたのを、ガスケは見逃さなかった。
「──貴方様は本当に、大層ご家族の猫ちゃんを大切にしていらっしゃるのですね。そうだ、肖像画などは持っていらっしゃいますか」
猫を家族と称するのは、ガスケの信条だ。変な奴だと言われることも多いが、そもそも自由のために爵位も財産も捨てた人間の考えが、一般の貴族に理解される筈がないと思っている。
「肖像画?」
「ほら、これですよ」
ガスケは早速、ポケットから銀の懐中時計を取り出した。蓋を開けると、そこには繊細なペン運びで描かれた小さな絵が嵌め込まれている。猫を描くのが上手いと評判の画家を呼び寄せて描かせたものだ。
家には油彩の大きな絵が何枚もあるが、ガスケが一番よく見ているのはやはりこの絵である。そもそも魔道具塔に篭っていることも多いのだから、仕方のないことだった。
とはいえこの絵は、本当に良く描けている。ペン画とはいえしっかり着色されていて、まるで本物を写し取ったような仕上がりだ。
「……愛らしいですね」
「こうしておけば、どんなときでも愛しい家族の姿を見ることができます。日中は使用人に世話を任せていますが、私が仕事から帰ると急いで玄関に走ってきて迎えてくれる……あの丸い潤んだ瞳! 本当に、猫とはなんて素晴らしい生き物でしょう」
「──ええ。分かる気がします」
ガスケは歓喜した。
これまでギルバートとは仕事の話しかしていなかったが、なんと物分かりのいい人間だろう。これなら、ガスケが主催する猫好き貴族の集う会に出席させてみても良いかもしれない。
「是非! フォルスター殿も、愛猫の肖像画を描かせるのがよろしいかと思います。何なら私おすすめの画家を紹介いたしましょう。その画家、本当に猫が好きで、猫以外のものは描かないという代わりに、猫の個性を捉えるのが非常に上手いのです!」
「い、いえ……まとまった休暇がいつ取れるかも分からない身上ですので、結構です。それでは、まだ仕事がありますので」
急いで去っていく後ろ姿に、多忙な人間を呼び止めてしまったことに対する罪悪感が湧いた。だが、ガスケの可愛い猫達を見せてやったのだから、きっと少しは安らいだだろう。
そう思っていたガスケは、数か月後の夜会で衝撃を受けた。ギルバートが連れていた愛らしい少女こそが、ギルバートの『愛猫』だったのだ。
社交に慣れない姿は初々しく、それでいてしっかりとした作法の少女だった。何か揉め事もあったようだが、帰っていくときの姿は幸せそうだった。
そして隣でエスコートするギルバートは、王城では見たこともないほど柔らかな表情をしていた。
「確かに……恋人を小動物に例えることはあるが──」
夜会から帰宅して、ガスケは着替える間もなく出迎えてくれた猫を吸っていた。
腹に顔を埋めて思いきり吸う。猫の臭いは最高だ。少し毛が口に入るが、それすらも愛おしい。
五匹の中でも特に甘えん坊の長毛種の子だ。白く長い毛は王族の姫のような気品を感じさせるが、ガスケがこうしてもふもふとしていても嫌がらないので嬉しい。
穴があるなら埋まってしまいたい。猫好き相手だからと思ってとっておきの肖像画を見せたのに、そうではなかったのだ。少女を描くなら、ガスケの気に入りの画家では難しいだろう。
変な男だと思われたに違いない。
「ちょっと、ご主人。夜会服のまま猫に埋もれないで欲しいといつも言っているでしょう! その毛を払うの、大変なんですからね」
ガスケの家にいる唯一のメイドが小言を言う。ガスケが雇っている使用人は一組の夫婦で、住み込みで猫と家を見てもらっている。そう大きくない家で、かつ家に帰ることもそう多くないガスケにはこれで充分だった。
この親しみやすさがかえって心地良い。
「今日は許してくれ……自分の勘違いが恥ずかしい」
ギルバートは第二小隊の副隊長であり、王太子マティアスの側近の一人だ。特務部隊との間にも確執があると聞くし、その仕事の性質柄、恋人を隠す必要があるのは頷ける。
「でも、猫だと嘘を吐くことはなかったじゃないか……」
他の動物なら、ガスケはもっと冷静に対応できた。
よりによって猫。猫だったのだ。
「明日から、どんな顔で話をすれば……!!」
ガスケは頭を抱えた。
それから更に半年以上が経ち、ガスケは、ギルバートがまた通信用の魔道具を壊したと聞いた。しかも今回は、前回壊したものの改良版で、高価な魔石を使い、できるだけ小型化するためにとガスケが回路を必死で研究し、ようやく作り上げたものだった。
そもそもガスケが作る魔道具は研究の成果であると同時に、大切な子供のようなものでもある。それを何度も壊されるとなると、やはり思うところがあった。
「本当に申し訳ない」
ギルバートが壊れた魔道具をガスケに渡す。
ガスケは、それを見て唖然とした。
「何をしたら、こうなるのですか!?」
その魔道具は、魔石が粉々に砕け散っていた。刻まれていた回路はあちこち焦げ付いて切れており、もはや跡形もない。
前回の魔道具とは、ぱっと見で分かるほどに壊れ方が異なっていたのだ。
「……竜種と交戦しました」
「存じております。それは、本当にお疲れ様でございました」
その話は聞いている。
何でも、めったに群れることがないという竜が群れで出没し、魔法騎士が対処したらしい。奇跡的に死者は出ていないと発表されていた。
しかし、他の魔法騎士はこんな壊し方をしていなかった。壊れて帰ってきたのは、この一個だけだ。それでは壊れた理由にはならない。
「ありがとうございます」
「ですが、それだけでこんなに壊れるものでしょうか? これは……その、あまりに」
正直、この魔道具を持っていた人間が無事でいることが奇跡のような壊れ方だ。前回のように『腕輪が壊れただけ』ではないことは、魔道具研究の第一人者を自負しているガスケだからこそ分かる。
ガスケは相手が高位貴族であると理解した上で、じっとりとした目を向けた。こうほいほいと高価な魔道具を壊されていては、長官としてたまったものではない。
ギルバートは困ったように眉を下げ、口を開く。
「その……子猫が」
ギルバートの言葉に、ガスケは耳を疑った。
「猫?」
「逃げ遅れた子猫を庇って、魔法騎士達の攻撃を受けたのです」
ギルバートがいかにも気まずいといった表情で言う。この男がこんなに人間らしい表情を見せるのは珍しい。きっと、騎士団長にも絞られたのだろう。マティアスだって、ギルバートがそんなことをしたのなら叱ったはずだ。
「本物の猫ですか?」
「はい」
「あの、ふわふわの動物の?」
「……はい」
しかしガスケにとってギルバートが語った内容は、称賛に値するべきものだった。
「──そうですか、そうでしたか! それで、その子猫はどうされたのですか?」
「我が家で保護することにしました。妻もよく面倒を見ておりますので」
ギルバートの表情が、ふっと緩む。僅かに上がった口角は、猫を愛でる感情から来るものに違いない。
「それでは仕方がありませんな! いや、良い行いをなさったと思います。そういったことが原因でしたら仕方がありませんとも、ええ」
「ありがとうございます。今後、同様のことがないように気を付けます」
まだ若いギルバートは、それが本心であると分かる表情で言う。その姿が尻尾を落として落ち込んでいる猫に見えてしまったのは、ガスケの性分故だろうか。
「いえいえ! どうぞ貴方様は、今後も同様のことがございましたら、猫を助けてあげてください。それによって魔道具が壊れてしまうのでしたら、いくらでも私が直しましょう」
「ありがとうございます」
ギルバートはそれからすぐ、王城の使用人に呼ばれて去っていった。
残されたのは無残な姿になってしまった魔道具。しかしガスケは最初の失望はどこへやら、すっかり機嫌が直っていた。
あのギルバートもついに猫の愛らしさに目覚めたのだ、と。
更にひと月後、ガスケはギルバートと偶然王城の廊下で出会った。
互いにあまり急いでいなかったこともあり、ガスケから挨拶をして立ち話をすることにした。ガスケはギルバートを猫好き貴族の集う会に誘うことを諦めていない。
しかしギルバートは、ガスケが話をふる前に猫の話を持ち出した。
「そういえば、ガスケ殿は猫がお好きでしたね」
「ええ!」
即答すると、ギルバートは苦笑して上着のポケットから懐中時計を取り出した。よく磨かれているそれは、明かりを反射してきらりと光る。
ぱちりと開いたそこには、手の平サイズの小さな肖像画が入っていた。
「──以前気にかけていただいた猫です」
その肖像画には、薄茶色の髪と深緑の瞳の愛らしい少女が描かれていた。少し恥ずかしそうに微笑んでいるのは、描かれ慣れていないからだろうか。間違いなくそれはあの夜会でガスケが見た少女だった。ギルバートの妻に違いない。
その腕の中に、同じ色合いの子猫がいる。猫だけならばガスケの猫達を描いた画家の方が上手いだろうが、それでもその辺にいる画家の作品よりはずっと猫の可愛らしさと柔らかさがよく描かれていた。
「これは──とても可愛らしいですね」
ガスケはうっかり家にいるときのようにだらんと緩んでしまった頬を慌てて直す。
「ありがとうございます。それで、ですね。ガスケ殿さえよろしければ、魔道具の相談をさせていただきたいのですが」
「それは、どのような」
「猫の毛だけを集める魔法を作ったのですが、それを魔道具にするようにと懇願されまして。理論は説明させていただきますので、ご協力を──」
ガスケはギルバートの手をがしっと掴んだ。相手が高位貴族であっても、触れると心が読まれてしまうのであっても、構わなかった。
そんなことが今この手を握り締めない理由にはならない。
なにせ、全ての猫好きにとっての救世主なのだ。
「是非! 今からでも!! お話、お伺いさせてください!」
「──……勤務時間後でもよろしいでしょうか」
その日からしばらく、ガスケはこれまでにない真剣さで研究に打ち込んだ。そうして数週間後には完成した魔道具を、ギルバートは喜んで受け取っていった。
ガスケの家の使用人夫婦はこれまでにガスケが作ったどんな魔道具よりもその魔道具を喜んだ。
魔道具が普及するにつれ猫を飼う貴族が増え、ガスケ主催の猫好き貴族の集う会も参加人数が急増していくことになる。
ギルバート・フォルスターは、猫好きのガスケにとって最高の男である。
何故なら、お陰で出勤直前まで、大好きな五匹の猫達を愛でることができるようになったのだから。
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2021年12月7日より、新連載「伯爵令嬢ミシェルの結婚事情〜貧乏神令嬢は3度目の買い取り先で幸福な恋を知る〜」投稿開始しました!
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