これからの未来を、二人で9
しばらくすると、ハンスがギルバートに耳打ちをしに来た。ギルバートが頷くと、しばらくして大広間にマティアスとエミーリアがやってくる。
護衛に近衛騎士団第二小隊の面々も何人か連れてきているようだ。ソフィアはその中にトビアスの姿を見つけ、こっそり目礼した。トビアスは小さく笑って返してくれる。会うのはエラトス以来だ。
マティアスは片手を上げて気楽な様子だ。印象的な空色の瞳が楽しそうに細められている。
「来たよ、ギルバート」
「殿下。お越しくださりありがとうございます」
ギルバートが王族に対する正式な礼をする。ソフィアも深く膝を折った。
「ソフィア嬢、しばらくぶりだね」
「大変お世話になっております。今日は、ありがとうございます」
顔を上げる機会を窺っていると、マティアスがはあとわざとらしく溜息を吐いた。
「……固いな。ギルバート、ソフィア嬢」
「今日は、王太子殿下としていらしているのでしょう」
ギルバートが顔を上げて言った。王太子という立場である相手に対し、夜会の場で、正式な挨拶をしないことは不敬に当たる。当然のことを言うギルバートに、マティアスはにっこりと笑った。
「いや、友人として来たよ」
「そうでしたか。でしたら、もっと適当に歓迎いたしましょう」
ギルバートが姿勢を戻したのを見て、ソフィアもまたそれに従った。
「つれないね。……まあ、そういうところもギルバートの良いところか」
マティアスはそう言って歩み寄ると、それが当然というようにギルバートの肩をぽんぽんと叩いた。
瞬間、ざわ、と空気が揺れた。
今、ギルバートは能力を隠していない。あえてはっきりと公言もしていないが、力のある家の者や、噂話が好きな令嬢達には知れ渡っている。任務上、その程度が効率が良いのだそうだ。とはいえ今日はフォルスター侯爵家主催の夜会だ。この場に、ギルバートの能力を知らない者はいないだろう。
そんな中、あえてギルバートに触れたマティアスに、皆は驚きが隠せなかったのだ。それは公然と、隠し事が無いほどに親密であると言っているようなものなのだから。
「殿下は相変わらず、パフォーマンスがお好きですね」
「良いじゃないか。たまにはこういうことも大切だよ」
ギルバートがその返事に苦笑する。
そうこうしていると、マティアスの少し後ろに控えていたエミーリアが、ソフィアに笑いかけた。
「ソフィアちゃん、おめでとう!」
エミーリアにはつい最近も世話になったばかりだ。王太子妃という立場にありながらも気さくに話してくれる優しいエミーリアを、ソフィアはすっかり好きになっていた。緊張はするが、身構えることはもうない。
「ありがとうございます、エミーリア様」
「侯爵が夢中だった猫ちゃんと結婚することになったのだと、皆は知っているのかしら」
「エミーリア様……っ」
後になって聞いた話によると、ギルバートはソフィアを拾った当初、何かを聞かれる度に『猫を拾った』と言っていたらしい。その話をするときのギルバートの様子から、猫を溺愛しているという噂になったと聞いたときには、ソフィアは恥ずかし過ぎて逃げ出すのを堪えなければならなかった。
今も少し話に上るだけで、こんなに頬が熱くなる。
「冗談よ。もう、本当に可愛いわね」
エミーリアが微笑む。
「妃殿下。ソフィアを誘惑しないでいただきたいと以前も申しておりますが」
マティアスとの会話が一段落したらしいギルバートが、ソフィアとエミーリアの会話に割って入ってきた。マティアスは、楽しそうに笑っている。
「良いじゃない。どうせこの子は侯爵のなんだから」
「それは……」
エミーリアのさっぱりとした物言いに、ギルバートは何も言えないようだった。それに反論しないギルバートは、つまり、そう思っているということだ。
ソフィアはあまりに恥ずかしい事実に気付いてしまって、すっかり赤くなっているであろう頬を、そっと取り出した扇で隠した。
それから二時間ほどで、夜会は終わりを迎えた。ソフィアとギルバートが見送りを終えてサロンに戻ってくると、そこには我が物顔でソファに座り、葡萄酒の入ったグラスを傾けているマティアスとエミーリアがいた。マティアスは上着を脱いで、すっかり楽な服装だ。
護衛としてやってきたはずの第二小隊の者達も、違うテーブルで酒を飲んでいた。
少し離れたところに、ケヴィンとカリーナもいる。ケヴィンは困ったように笑っているが、カリーナは想定外の事態に顔を青くしているようだった。
「さて、ギルバート。夜会も終わったことだし、ここからは無礼講といこうじゃないか」
「ソフィアちゃんも、私とお話ししましょう?」
夜会が終わったから、身内だけで飲み直そうということだろう。
当然のように酒を勧めてくるマティアスに僅かに眉を下げたギルバートは、近くにいた使用人に言伝を頼んだ。席を外した使用人は、戻ってきたときには三枚のストールを持っている。ギルバートはケヴィンとマティアスに一枚ずつ渡し、一枚をソフィアの肩に掛けた。ケヴィンはカリーナに、マティアスはエミーリアに、ストールを渡す。
ギルバートが着ていた上着を脱ぎ、使っていない椅子の背に掛けた。
「殿下、護衛に酒を飲ませたのですから、今夜はここに泊まっていただきますよ」
「ああ。さっき、ハンスに頼んでおいたから大丈夫だよ」
「そうですか。それは安心ですね」
ギルバートが呆れたように笑い、給仕が持ってきたグラスを手に取った。ソフィアにも果実水が用意される。
皆が笑っていた。カリーナもしばらくすると緊張が解けたようで、第二小隊の面々と楽しそうに酒を飲み始めた。
ソフィアもまた、見知った者だけの祝福の宴に、自然な笑顔が溢れる。
華やかに、賑やかに、夜は更けていった。