これからの未来を、二人で8
会場に一歩踏み出すと、招待客皆がソフィアとギルバートを見ていた。
ソフィアは微笑みの表情のまま、中心へと進む。そこは二人のために空けられていた。
ダンスフロアとなった大広間は、今はソフィアとギルバートのためだけの静寂に包まれている。その場所に辿り着くとギルバートが立ち止まり、ソフィアの手に口付けを落とした。
「ソフィア、私の手を取ってくれてありがとう」
「いいえ。見つけてくださったときから、ずっと……私の手を取ってくださっているのは、ギルバート様です」
森の中で出会ったとき、ギルバートはソフィアの手首に触れた。フォルスター侯爵邸に来てからも、ギルバートは何かにつけてソフィアの手に触れてきた。
正直、最初はどうしてこの人はこんなに触れるのかと困惑した。理由を知って、その苦悩に触れて、ソフィアは初めて、魔力が無いという自分の性質に感謝したのだ。
ギルバートがただの人であるために、きっとソフィアはそれを無くして生まれたのだ。今ならば、そう思える。
「ふ、それもそうだな」
ギルバートがおかしそうに笑い、ソフィアの手を引く。急に近付いた距離に驚いているうちに、反対の手が腰に回され、あっという間にダンスの構えになる。
それを合図に、華やかで優美な音楽が流れ始めた。
ギルバートが足を引くのに合わせ、ソフィアも足を踏み出す。最初の一歩の後は、それが当然のように身体が動いた。ギルバートのエスコートが上手いのか、それとも二人の相性が良いのか。いつもこうして踊っていると、二人きりの世界にいるような気分になる。
それが、とても心地良いのだ。
「ギルバート様。これからも、こうして踊ってください」
くるり、くるりと回る視界の中、正面のギルバートだけは明瞭に見える。甘い表情は、いつもソフィアに向けられるものと同じだ。
いつまでもこのまま、音楽に包まれて、二人きりでいたい。
ふと浮かんだ願望に、ソフィアは小さく笑った。
「ああ。勿論」
音楽が終わりに近付いてくる。ギルバートがソフィアの腰から手を離した。ソフィアが回ると、支えるようにギルバートの手が動く。翡翠色のドレスが、ふわりと舞った。
引き寄せられると、また距離が近くなる。
「ありがとうございます」
「それは、私の台詞だ。ありがとう、ソフィア」
大勢の中にあってソフィアとギルバート以外の誰にも聞かれることのない会話は、あまりに幸福だった。いつの間にかファーストダンスの緊張感はどこかに行ってしまって、残るのは今が幸せだという満たされた気持ちだけだった。
曲が終わり、次の曲になる。エルヴィンとクリスティーナがフロアに滑り出て、ダンスに加わった。二人は長く連れ添った故の穏やかさと、今も想い合っているが故の甘さを兼ね備えている。
ソフィアはそんな二人に憧れ、いつかギルバートともそうなるであろう未来を想像した。
踊り終えて端に寄ると、今度は挨拶に追われることになる。ソフィアも必死で覚えて詰め込んだ招待客だが、やはり肖像画と文字で見るのとは印象が違う。当然だが、髪形を変えたり、太ったり痩せたりしている者は何人もいるのだ。
名前がすぐに出てこないときには、ギルバートが助けてくれた。お陰で、人見知りのソフィアなりにどうにか挨拶をこなすことができた。
そんな状況だったため、ジェレ子爵夫妻が挨拶に来てくれたときにはついほっと小さく息を吐いた。知っている人がいると、それだけで少し安心できる。
「結婚、おめでとうございます」
「ジェレ子爵、祝いの言葉感謝する」
定型文の挨拶の後、ギルバートとジェレ子爵が会話を始めた。リリアは先日のことを気まずく思っているのか、子爵の背中に隠れるようにして俯いていた。
しかししばらくすると、リリアが意を決したように顔を上げる。困っているように下がっている眉に、ソフィアは首を傾げた。
「……リリア様?」
「奥様……おめでとうございます。あ、あの」
「どうかなさいましたか?」
言い辛そうにしているリリアに、続きを促す。するとリリアは、ちらちらとギルバートを気にしながら口を開いた。
「頑張ってください、ね。その……色々と」
リリアは先の一件で、ソフィアのことを色々と誤解している。だが、誤解はそのままにしておいた方が良いとギルバートとハンスが言うので、ソフィアはそれに倣って黙っていることにした。
リリアには、ソフィアはギルバートを愛するが故にフォルスター侯爵夫人という激務に耐え、魔道具に頼らなければならないほど病んでいると思われているのだ。
「ふふ。はい、ありがとうございます。お二人も、どうか仲良くなさってくださいませ」
「お心遣い感謝いたします」
会話を終えたジェレ子爵と共にリリアが去っていく。
「あれで良いのか」
ギルバートが不満そうに言った。帰宅後にハンスから話を聞いたギルバートは、リリアにもっと重い罰を与えても良いと言った。しかしソフィアはそれを止め、未来の可能性を潰したくないと頼んだのだ。いずれリリアがしっかり反省し、ジェレ子爵との仲も改善された頃、本当のことを話したい。そうして、もし許されるならば、友人になって欲しい。
「きっと、お二人なら大丈夫です」
ソフィアは二人の背中に向かって微笑んだ。