令嬢は黒騎士様の役に立ちたい8
ギルバートは王城の大広間で、最もよく全体を見渡せる場所にいた。王族席に座るマティアスの斜め後ろである。国王の挨拶によって始まった夜会は、華やかに着飾った貴族達で賑わっていた。上品なその面の皮の下で様々な駆け引きや腹の探り合いが行われていることを知っているギルバートにとって、あまり気分の良い場所ではない。仕事でなければ、最低限の挨拶だけでさっさと帰りたいところだ。
「──ギルバート、もう少し朗らかな表情をしたまえ。見なくても分かるよ」
マティアスの言葉に、ギルバートは眉間に右手を当てた。いつものことだが、確かに深い皺になっていたようだ。指先で伸ばし、意図的に表情を緩める。
「申し訳ございません」
「──そんなに気になるかい?」
ギルバートは無言のままでいた。マティアスは正面を向いているので、その表情はギルバートからは分からない。
「──最初に挨拶に来た中には、いなかったね」
「はい。……これから来るのでしょう」
夜会に出席しているのならば、一度は王族席に挨拶に来るはずである。その好機を逃さなければ良いのだ。
「──エミーリア、それらしいのは見つかったかな?」
マティアスの隣に座っているのは王太子妃であるエミーリアだ。アルベルトが婚約者を連れて夜会に訪れるという話を聞いてきた張本人である。先程から瞳を輝かせて会場を観察しているのは、噂の二人を探しているためだろう。
「多分あれだと思うわ。……まぁ、お相手の女性は本当に可愛いらしい方ね」
エミーリアがマティアスの袖口に触れ、視線で会場の入口の方を示す。二人の視線を辿り、ギルバートもそちらに目を向けた。
少し遅れてきたその二人は、仲の良い婚約者らしく寄り添い合っていた。夜会服姿の若い男が、爽やかな笑顔で周囲の知人らしき貴族と挨拶を交わしている。エスコートされる艶やかな金の巻き髪の女は、動く度にふわふわと揺れる赤く華やかなドレスを着ていた。
「──なるほど、確かに見目の良い男だね。人気があるのも頷ける」
令嬢達がアルベルトの様子を窺っているのが分かる。しかし慣れているのか、アルベルトはその一切を気にせず振舞っているようだった。むしろ隣にいる婚約者の方が、しおらしくしつつも令嬢達を牽制しているように見える。
「そろそろ来るよ。──ギルバート、手筈通りに」
マティアスが振り返り、にっと口角を上げる。ギルバートはそれに頷き、向かってくる二人に改めて目を向けた。
「殿下、ご挨拶が遅れ申し訳ございません。フランツ伯爵家のアルベルトでございます」
先に国王と王妃に挨拶を済ませた二人は、マティアスの前で最敬礼をする。マティアスはそれを受け、誰もが見惚れてしまうほどに美しい微笑みを浮かべた。可哀想に二人共マティアスから視線を動かせずにいる。
「いや、今日は楽しんで行くといい。……噂の婚約者とは、彼女のことかな?」
ソフィアがいなければアルベルトなど全く覚えていなかったであろうことを、マティアスはおくびにも出さない。アルベルトは驚いたのか目を見張った。
「──女性というのは、なかなか面白い話を聞かせてくれる。可愛いらしい令嬢ではないか」
ちらりとエミーリアに目を向けたマティアスに、アルベルトは納得したように表情を緩ませ、口を開いた。
「はい。彼女が私の婚約者、レーニシュ男爵令嬢ビアンカでございます。互いに良い年齢になりましたので、この夜会から同伴させて頂いております」
ビアンカがアルベルトの隣で頭を下げる。マティアスは少し大仰に振り返り、ギルバートに目を向けた。ギルバートはそれを合図に数歩前に出る。
「──そうか。アルベルト殿は今何歳だったかな?」
「十八でございます」
「十八か。──ではこれから王城に出入りすることも増えるだろう。私の友人のことも知っておいてやってくれ、ギルバートだ」
自然な流れで紹介をすると言っていたが、少し無理があるのではないかと思ったギルバートだったが、アルベルトは王太子の友人を紹介された興奮で、全く気にしていないようだった。
「ギルバート・フォルスターだ。よろしく」
「よろしくお願いします、アルベルト・フランツと申します。殿下のご友人をご紹介頂けるなど……光栄でございます!」
ギルバートが友好の証のように右手を差し出せば、何の警戒もなく握り返してくる。近くにいた貴族達は咄嗟に目を逸らしたが、アルベルトとビアンカは全く気付いていないようだ。ギルバートがここにいる限り、二人に真実を伝える勇気がある者もいないだろう。
断片的な映像と音声がギルバートの脳内に流れ込んでくる。そのままでは意味を成さないそれを、空気を読まない振りをしたエミーリアが誘導した。
「──ご婚約されたのは幼い頃だったと聞いているわ。本当におめでとう」
「恐れ入ります」
アルベルトは不意を突かれ驚いたのか、ギルバートとの握手を解かないままそれに答える。──瞬間、映像と音声が重なった。
薄茶色の髪と深緑色の瞳を持つ愛らしい少女と、その両親であろう男女。同じようにまだ幼いアルベルトの横にいるのは、老齢の男だ。
「この子が僕のお嫁さんになるんだよね」
幼いアルベルトが老齢の男に聞く。男はその頭を撫でて微笑んだ。
「ああ、そうだよ。ソフィア嬢だ。……優しくしてあげなさい」
その言葉を聞いて表情を輝かせたアルベルトが、少女──幼いソフィアの手を取る。
「よろしくね、ソフィア」
ソフィアは不安そうに両親を見上げるが、微笑みながら頷かれてアルベルトに向き直った。
「アルベルトさまが、ソフィアの王子さまなの?」
小首を傾げたソフィアにアルベルトは僅かの間動きを止めたが、すぐに頷いて見せた。
「そうだよ。君は僕と結婚するんだ」
アルベルトの返事を聞いたソフィアの表情からは、それまでの不安の色が消えていた。
「うん、わかったっ!」
幼いソフィアは花も綻ぶような笑顔でアルベルトの手を握り返し、くるくると回っている。ダンスか何かのつもりだろうか。最初は戸惑っていたアルベルトも、やがて大人の真似をするように引き寄せ、不恰好だが可愛らしいワルツのようになる。周りの大人達は、それを微笑ましそうに見つめていた。