これからの未来を、二人で6
ばっさりと言ったカリーナに、ケヴィンは小さく呻いてから、少しだけ顔を上げた。前髪の間からちらりと上目遣いの瞳が覗く。これを分かってやっていないのならば、逆にすごいことだとカリーナは思った。
「分かってる。今日副隊長に確認したら、ソフィア嬢の支度の後なら構わないって。会場にカリーナがいたら、ソフィア嬢も心強いだろうってさ。……本当は一日休みでも良いけど、ソフィア嬢もカリーナもそれは嫌がるからって、そう言ってもらったんだ」
ケヴィンの言葉に、カリーナは驚いた。
「先に聞いてきたの?」
「だって、そうじゃなきゃ誘えないでしょ」
「それはそうなんだけど」
ケヴィンにとっての副隊長は、カリーナにとっての雇い主だ。カリーナに頼むより先にギルバートの許可を取っているとなると、途端に断り辛くなる。
「そもそも、何で急にそんなことになったのか教えてくれる? あんた、貴族だとは言ってたけど、これまでそういう話無かったわよね」
「あ、うん。それが……」
ケヴィンの話はこうだ。
ケヴィンの実家は、レーヴェ子爵家というらしい。小さい港がある領地を持つ貴族で、当主は商人でもあるそうだ。ケヴィンはその家の三男で、跡継ぎでもスペアでもないなりに、今は実家を出て、自由に暮らしている。
今回、フォルスター侯爵家からの招待状を貰って、当初の予定では当主であるケヴィンの父親が母親と共に出席するはずだった。しかし、エラトスとの戦争が終結し、新たにコンラートが国王として即位したことで、状況が変わった。丁度外商に出ていた父親は、敵国ではなくなったエラトスに向かってしまったのだ。
「元々、僕の父は商売馬鹿なところがあって……商機を見つけると、あちこち行っちゃうんだよね。今回はよりによって、一番上の兄貴も一緒だって言うし」
実家が商家であるカリーナにも、ケヴィンの父親の事情は同情できるものだった。商売人というものは、こういった性質があるのだろうか。カリーナの父親も、同じような状況ならきっと同じことをするだろう。
どうやら招待の日までに王都には間に合わないだろうと思った母親が、次男とケヴィンのどちらかに名代として出席するようにと言ってきた。社交嫌いの次男は、ケヴィンがギルバートの部下で親しくしていると知っていて、知らない人間が行くよりもずっと喜ばれるだろうと、母親を説得してしまったそうだ。
「問題はここからでさ。母が、僕に一緒に行く相手がいないんなら、こっちで相手を見つけておくって言うんだ」
「あら、良かったじゃない」
「良くないよ! 何でカリーナがいる邸に、別の女の子連れて行かなきゃいけないの」
カリーナの事情に構わない強引な誘いかと思いきや、逆に誤解を与えたくないと思ったからとは、何とも気遣いの方向が斜めである。とはいえ、ケヴィンの事情は見えてきた。
「知らないわよ」
「そんなこと言わないでよ!」
ケヴィンが両手で頭を抱える。まるでこの世の終わりのような派手な反応に、カリーナは思わず吹き出した。一度笑い出すとなかなか落ち着いてくれなくて、残っていた酒を飲んで呼吸を整える。
店員を呼んで、酒の追加を頼んだ。
ようやく落ち着いたカリーナを見て、ケヴィンはわざとらしく咳払いをした。
「こほん。それで、僕としては、当日は是非君をエスコートしたいんだけど」
カリーナは、ケヴィンが他の令嬢を連れている場面を想像した。想像の中のその令嬢は、自然とケヴィンよりも小柄で、ふわふわの金髪が愛らしい小動物のような見た目になる。大切な友人であるソフィアの大切な夜会でそんなものを見せられたら、事情を知っていても平静でいられる気がしない。
それに、夜会に出席できるというのも、本当は魅力的だった。まだ社交界に友人がいないソフィアの、心の支えになれるかもしれない。
しかしそれには、いくつかの問題がある。
カリーナは素直に頷きたくなくて、今思い付く限りの問題を口にしていくことにした。
「私、踊れないわよ」
「僕も下手だから丁度良いじゃん」
それは、貴族の子息としてはどうなのだろう。
「ドレスもないし」
「明日買いに行こうよ。僕の都合だから、プレゼントさせて」
ドレスのような高価なものは貰えないという遠慮と、逆に好きな人からの贈り物という喜びで、反応に困る。
「ヒール履いたら、ケヴィンより背が高いかも」
ケヴィンがうう、と唸り声を上げた。身長が低いことを気にしているらしい。カリーナにとっては、親しみやすい距離感で助かっているが、社交界という意味ではあまり見栄えは良くないだろう。
「……それは、カリーナのせいじゃなくない? 気になるなら、僕も踵に仕込むけど」
「え、何を?」
「ヒール」
「そんなのあるのね」
なんと、男用のヒールも存在するらしい。やはり、皆気にしているのか。
ケヴィンが、ずいと身体を乗り出してきた。カリーナはその圧に驚き、思わず少し身を引く。
「それで、そうやって言うってことは、嫌ではないんだよね?」
「う、うん」
嫌ではない。カリーナが感じる問題をケヴィンは問題と感じないのならば、悪くない話なのだ。
「じゃあ決まり。良かったー、助かったよ。これで今夜は心置きなく飲める」
「仕方ないわね。後で文句言わないでよ?」
「言わないよ」
そうして、その日の夜は遅くまで飲み、邸まで送ってもらって、次の日は昼から二人で出かけた。流石にギルバートやソフィアが使っている店ではないが、それでも貴族に人気の服屋に連れて行かれ、あれこれとドレスを試着した。
選んだのは、黄色のドレスだ。黄色と言っても秋に合わせた少し落ち着いた色味のもので、着るとどこかしっかりした家の令嬢のように見える。店員は絶賛してくれたし、素敵なドレスだとは思ったが、カリーナは自分に似合っているのかどうか分からなかった。
同じ店で扱いやすそうな髪飾りと踵の低い靴を選び、一緒に買ってもらうことになった。
なんだか分不相応な買い物をしているようで落ち着かない。ソフィアを可愛く着飾らせるためのドレスや宝飾品は見慣れているはずなのに、自分のために揃えていると思うと、勿体なく感じてしまう。
そうしてそれ以降、カリーナはケヴィンと一度も甘い雰囲気になることなく、結婚披露宴の日を迎えてしまったのだ。
誰かに支度を手伝ってもらうのも嫌だったカリーナは、自力で着替え、髪を結い上げた。いつもと同じ高さの一つ結びでも、アレンジと髪飾り次第で華やかな仕上がりになる。ドレスに合わせてしっかりと化粧をして、いつもは使わない赤い口紅を引いた。
鏡の中には、少し気の強そうな印象に仕上がった夜会仕様のカリーナがいる。
「──似合ってない気はするけど、今日は仕方ないか」
ケヴィンにあんな頼み方をされて、断れるはずがないのだ。
カリーナはそう独り言ちて、ケヴィンとの待ち合わせ場所へと向かった。