これからの未来を、二人で3
ギルバートが、顔を手で覆った。
「──……ギルバート様?」
「いや、違うんだ。その、ソフィア──」
「みゃーん」
子猫は起き上がって、ギルバートの元にてくてくと歩いてくる。子猫なりに助けてもらったことを理解しているのか、随分懐いているようだ。薄茶色のふわふわの毛が、頬ずりと共にギルバートのスラックスの裾に付いた。
ソフィアはもしかしてと思い、子猫をじっと覗き込んだ。そして、おずおずと声をかける。
「……ソフィア、ちゃん?」
「みゃーん」
ソフィアを見上げる子猫の丸い瞳は、深い緑色だった。
ギルバートの耳が赤くなっている。ソフィアは子猫がソフィアと呼ばれて反応した理由に思い至り、顔を真っ赤にした。
「ギ、ギルバート様っ! 思い出したって、そういう意味ですか!?」
「……一目見て、ソフィアの色だと思った」
いつになく狼狽えているギルバートを珍しがる余裕は、ソフィアには無かった。
ギルバートは子猫を保護してから、手ずから面倒を見ていたのだろう。子猫の安心し切った様子からそれは分かる。そしてきっと、ソフィアと同じ色を持つこの猫を、ソフィアと呼んで、慈しんでいたのだ。
頬が熱くて仕方ない。
「みゃー」
子猫が鳴く。
ソフィアは困ってしまった。顔を隠したギルバートと甘えている子猫を交互にきょろきょろと見るが、どちらもソフィアに答えをくれることはない。
「お……お名前、どうしましょう」
既に自身をソフィアだと認識しているらしい子猫の名前をどうするかが今一番の問題だ。まさか同じ名前にするわけにもいかない。邸の者達が困ってしまうだろう。
「そうだな。ソフィアが決め──」
「みゃーん」
呼ばれたと思ったらしい子猫が、また鳴く。
「頼むから、もう返事をしないでくれ……」
途方に暮れたようなギルバートの言葉に、ソフィアは思わず、笑い声を上げていた。
それから四日後、ソフィアは自室で身支度を整えていた。
最後の準備と段取りの確認に追われているうちに、あっという間に時は経ち、今日はソフィアとギルバートの結婚を披露する宴が行われる日だ。フォルスター侯爵邸は朝から準備のために大騒ぎで、今日ばかりは全ての使用人が落ち着きなく邸中を走り回っていた。
夕刻となってようやく全ての確認を終え、後はソフィアとギルバートの支度をするばかりとなった。
もうすぐ来客も来始めるという頃になって、カリーナが、ソフィアの一部分を編み込みにして緩く纏めた髪に、銀の髪飾りを挿した。
「ソフィア、気になるところはある?」
「ううん。ありがとう」
ドレスの裾を気にしながら立ち上がると、しゃらりと飾り紐が揺れた。
今日のソフィアは、この日のために仕立てた新しいドレスに身を包んでいる。
翡翠色のドレスは透け感がある柔らかな素材を重ねて作られており、胸元には銀糸で薔薇の模様が刺繍されている。落ち着いて見えてしまいそうなドレスは、裾の切り返し部分に付けられた銀の飾り紐によって華やかで上品な印象になっていた。
それらに、ギルバートから貰った藍晶石の耳飾りと首飾りを合わせた。社交界デビューのときに力を貰ったそれらに、ソフィアはもう一度願いを込める。
どうか、ギルバートの隣に立ち続けられるだけの自分であれますように、と。
「みゃあ」
「スフィ、ごめんね。今日はお留守番、お願いね」
子猫の名前は、スフィになった。折角覚えた名前とかけ離れたものにするのも気が引けて、ソフィアに似た名前にすることにしたのだ。最初こそ不思議そうにしていたものの、ソフィアとギルバートが、そして使用人達がスフィと呼び続け、どうにかそれが自分の名前だと認識してくれたようだった。
侍女に面倒を見て貰っていたスフィが、着飾ったソフィアを見て目を輝かせた。
「ソフィア、早く部屋から出て。飾り紐!」
カリーナがソフィアの手を引いて、慌てて部屋の外に連れ出す。
侍女の腕の中から飛び出したスフィは戯れつこうと思っていたらしいソフィアのドレスが無くなって、扉の向こうで不満の声を上げていた。
「……スフィに悪いわ」
ソフィアが言うと、カリーナが頬を膨らませる。
「そのドレスに爪を立てられたら困るわ。いくら可愛いからって、私、それは許せないからね」
「カリーナったら、もう」
「そもそも、スフィがソフィアの後を付いてくるから仕方ないとはいえ、夜会の準備のときには遠慮して欲しいわ」
カリーナは、まるでスフィが人であるかのような言い方をする。まさか、子猫に遠慮を求めるとは思わなかった。くすりと笑うと、緊張が少しだけ和らいだように感じた。
「ふふ、猫に言っても仕方がないじゃない」
「そうなんだけどね。ソフィアも旦那様も、スフィに甘いのよ」
ギルバートもソフィアも、愛らしい新しい家族を尊重し、よく面倒を見ていた。
ギルバートの騎士服は黒くスフィの毛が付くと目立つため、帰宅後は着替えてから触るようにとハンスが注意しているのを、ソフィアは何度も聞いている。しかしどうしてもソフィアと共に迎えに来るスフィを見ると抱き上げずにはいられないようで、ギルバートは困っていた。
先日など、猫の毛が付かないようにすれば良いのだろうと、新しい魔法を考えるとまで言っていたのだ。
「旦那様ったら、すっかり小さいソフィアみたいに扱ってるじゃない。あれは猫が好きだからってだけじゃないわ。ソフィアに似てるからよ、絶対。──これで娘でも生まれたら、きっと溺愛するわよー」
「カリーナ……っ!」
カリーナのからかう言葉に、ソフィアは頬を染めながら慌ててしまう。こうして何でもないことで笑い合う時間が、ソフィアは好きだ。
だからこそ、今日のカリーナのこの後の予定を知っていて、念を押さずにはいられなかった。
「カリーナ。今日は……本当に、良いの?」
「良いのよ、ソフィアが気にすることないわ。私が決めたんだし。……また、会場で会いましょう」
カリーナが何でもないと言うように笑う。
ソフィアはその言葉に笑顔で頷いて、先に支度を終えているらしいギルバートの部屋へと向かった。