これからの未来を、二人で2
「ソフィア、どうした?」
「これ……」
ソフィアの視線の先を追って、ギルバートがしまったというように顔を顰める。
ソフィアはギルバートの瘡蓋を確認しようと、シャツのカフスボタンを外した。そのまま、さらりとした素材のシャツの袖を捲り上げる。
「あ、待て──」
そこにあったのは、無数の傷だった。右手の指先から、肘の辺りまで、まるで皮膚の表面がひび割れたような瘡蓋が沢山ある。瘡蓋になっているということは治ってきているのだろうが、それでもこんなに多くの傷を見たのは、初めてだった。
「こんな……」
ソフィアは息を呑んだ。
既に瘡蓋となって剥がれ落ちるのを待つだけの傷だ。ギルバートは何でもない顔をしているから、既に痛みは無いのかもしれない。
それでも、ソフィアは痛いと思った。どのようにしたらこんな傷が付くのかソフィアには全く予想できない。だから、ギルバートが感じたであろう痛みも分からない。だが、痛くなかったはずがないのだ。
思わず目を伏せたソフィアの頭に、ギルバートの左手が乗せられた。
「……手袋をすれば隠れる。問題ない」
「そういう問題では、ございません……っ!」
つい責めるようになってしまった言葉に驚き、慌てて両手で口を覆う。
ギルバートは仕事で魔獣の討伐に行ったのだ。怪我をするのも任務のうちとは言えないが、しかし、仕方のないこともあるのだと受け止めなければならない。
そこまで考えたソフィアは、ギルバートが向き合っているものの大きさに改めて気付かされた。ギルバートが強いことは分かっている。信じてもいる。それでも、こうして傷付くことがあるのだ。それが、騎士であるということだ。
ソフィアの愛するギルバートは、国のため、皆のために、痛みを隠して立っているのか。
胸が痛い。心臓の音が変に大きくて、耳元でばくばくと鳴っているような気がする。考えてはいけない。この人が損なわれてしまうかもしれないなんて、そんなこと、考えてはいけないのだ。一度立ち止まってしまったら、もう、笑顔を作って見送ることもできなくなる。
ソフィアが出会って今まで見てきたギルバートは、そんなに弱い人ではないのに。
泣くべきではないと分かっているのに、瞳が熱くなってくる。
ギルバートがこれ以上見ていられないというように、ソフィアを胸の中に閉じ込めた。思い切り抱き締められ、苦しいくらいだった。
「だが、止められなかった」
ギルバートの声が、心臓の音の間を縫って、ソフィアの耳に届く。
「怪我をして逃げられずにいる猫を見たとき、お前を思い出した」
子猫はいつの間にかギルバートの膝の上から逃げ出し、カーペットの上で丸くなっている。ちらりと目を向けたギルバートが、ふっと目を細めた。それは、ソフィアが良く向けられる視線と同じものだった。
「……無茶をしている自覚はあったが、私には、守る以外の選択肢が無かった」
「ギルバート様……この子のために、お怪我を?」
ギルバートが無言のまま頷いた。
子猫は怪我をしていたというが、今はその怪我の面影も無い。きっと、今日までの間に傷が癒えたのだろう。
子猫を見捨てても良いとは、ソフィアには言えなかった。こんなに愛らしい子を、ギルバートが無視できるはずがない。
「──……それでも、心配、させてください」
言葉は、無理に絞り出したように震えていた。
「ギルバート様がお強いことは知っています。お仕事ですから、仕方がないことがあることも分かっています。それでも、どうか隠さないでください。……お怪我をして、痛くないはず、ないんですから」
「……すまなかった」
ソフィアはギルバートの謝罪に、溜まった涙を溢れさせた。
悔しかった。悔しくて、どうしようもなく愛しかった。
ギルバートが困ったように眉を下げ、ソフィアの背中を落ち着けるように撫でる。
「心配、してくれたのか」
「そんなの、当たり前です……っ!」
当然のことを言うギルバートに何度も頷く。本当に、無事に帰ってきてくれて良かった。
「そうか。ありがとう」
柔らかい声に心が緩む。
ソフィアはそっと身体を離して涙を拭い、ギルバートの右腕の瘡蓋におそるおそる触れた。
「もう、痛くはないですか」
「ああ」
「──無茶、しないでください」
ギルバートが頷いたのを確認して、ソフィアはほっと息を吐く。泣いて乱れた呼吸を整えるようにゆっくりと深呼吸して、子猫を見た。
ゆらゆらと揺れるしっぽの可愛らしさに、思わず笑みが浮かぶ。
「この子に、名前を付けてあげないといけませんね」
ギルバートは泣き止んだソフィアの顔を見て、安心したように表情を緩めた。
「そうだな。ソフィアは──」
「みゃー」
「え?」
ギルバートの言葉に応えるように、寝ていたはずの子猫が鳴いた。