黒騎士様は未来を掴み取る5
◇ ◇ ◇
ギルバートの帰宅を心待ちにしていたソフィアは、新しいワンピースドレスをおろし、カリーナに化粧もしてもらっていた。
華やかに着飾ることには慣れないが、好きな人の前でできるだけ可愛くいたいという気持ちはある。カリーナも喜んで協力してくれた。
準備の途中で馬車の音がして、知らせよりも早く帰ってきたのかもしれないと、慌てて身なりを整えて玄関まで迎えに出ようと扉を開け、おかしいことに気付いた。
階下から、甲高い女の怒鳴り声がしたのだ。
ソフィアはこの声を知っている。何年もの間、ソフィアに向けられていたものだからだ。
何事かと駆け足でサルーンが見えるところまで来ると、ギルバートとビアンカが、向かい合って何かを話していた。ギルバートの手が、ビアンカの手を握っている。
ビアンカの尋常ではない様子から、ギルバートが責められているようにも見えた。
しかも、詳しいことは分からないが、会話の内容はどうもソフィアのことのようだ。
「──ビアンカ、何してるの?」
「ソフィア……」
ソフィアが声をかけると、二人はぴたりと動きを止め、勢い良く階上を振り仰いだ。その視線を痛いほどに感じながらも、ソフィアは一歩ずつ階段を下りていく。
少しずつ近付くギルバートとの距離に、自然と頬が緩んでいく。見慣れた黒い騎士服姿のギルバートは、一見したところ、大きな怪我も無さそうだ。
会いたかった。一人で、心細かった。それ以上に、ギルバートが心配だった。
それでもこうして無事な姿を見るだけで、ソフィアの心は満たされる。
「おかえりなさいませ、ギルバート様」
ソフィアはさっきまでビアンカに触れていたらしいギルバートの手を拾って、そっと握った。手袋越しでも感じる体温に、本当に帰ってきたのだと改めて実感して嬉しくなる。
しかし、目の前にいるギルバートの表情は硬く、ソフィアは首を傾げた。いつもならば、ソフィアを抱き締めて、ただいまという言葉と共に表情を和らげてくれるのに。
不思議に思っていると、不意にギルバートがソフィアの両肩を掴んだ。
「ソフィア、体調は」
藍色の瞳が、ソフィアのどんな小さな変化も見逃さないというように、じっとソフィアの顔色を窺っている。その目が疑いを込めてすうっと細められ、少しずつ近付いてくる。
「体調、ですか?」
至近距離で瞳を覗き込まれ、ソフィアは瞬きもできずにいる。
どういうことか分からずにいるうちに、ギルバートが少しだけ顔を離し、眉間に皺を寄せた。
「ああ。倒れたと聞いたが、医師には診てもらったのか。ハンスはどうしている? 大変なときに側を離れてすまなかった。私はまた、お前を──」
痛ましそうにぎゅうと目を瞑ってしまったギルバートに、ソフィアは驚いた。
倒れたのが虚言であったことは、ハンスもカリーナも知っている。それならばどうして、と思ったところで、はたとギルバートに何かを言い募っていたビアンカの姿を思い出す。もしかして、ビアンカはソフィアが倒れたことでギルバートを責めたのか。
慌ててビアンカを見ると、ビアンカはギルバートの取り乱しように驚いているのか、その場でぴしりと固まっていた。
ソフィアはギルバートに向き直り、安心させるように微笑んで見せた。
「何ともございませんから、安心してください。倒れたのは、倒れたんですけど。それは嘘で……ほら、私は元気ですから」
肩に置かれた手を外し、それぞれの手で握る。それから、ソフィアはぽふりとギルバートの広い胸の中に飛び込んだ。
「ソフィア、何を……」
困惑しているギルバートを、あえてしっかりと背中に腕を回して抱き締めた。
ソフィアの心を見せることができないのがもどかしい。もし今ギルバートがソフィアの記憶と想いを覗いたら、誤解なんて与えることなく、素直に無事の帰宅を喜び合えるのに。
触れただけで伝えられるビアンカが、羨ましかった。
その能力を恐怖する人達がいることを、ソフィアは知っている。つい最近、その気持ちも理解できると思ってしまったことに、罪悪感も覚えていた。それでもやはり、ソフィアはギルバートにならば、いつだって、全てを見せる覚悟があるのだ。
それは、決して叶うことではないけれど。
「私も、触れただけで心をお見せできたら良かったのに。どうしたら伝わりますか?」
上目遣いに見上げると、ギルバートがソフィアの背中にゆっくりと手を回した。ようやく抱き締めてもらえたことに、ソフィアはほっと息を吐く。
「それでも私は、こうしてただお前に触れていられることが幸せだ。だから後で、ゆっくり話して聞かせてくれ。──……ただいま、ソフィア」
やっと聞くことができたその言葉に、ソフィアは嬉しくなって小さく笑い声を上げた。
「はい。お帰りを、お待ちしておりました」
そっと触れるだけの口付けが、ソフィアの唇に落ちてくる。恥ずかしくて首を竦めると、今度は額に柔らかな熱が触れた。