黒騎士様は未来を掴み取る4
それから一週間かかって現場の整理をしたギルバート達は、王都へと帰還した。披露宴まで残り四日となっている。
帰城後の仕事も、やっと家に帰れると思うと、予定よりも早い時間に終えることができた。
ギルバートはソフィアを不安にさせてしまっただろうと思いながら、侯爵家の馬車で自宅へと急いだ。拾った猫は王城で貰った籠に入れ、連れて帰ってきた。
窓から見えてきた久しぶりの自宅に、ほっと小さく息を吐く。
ソフィアには、昨日のうちに王城から先触れを出してもらっている。きっと帰宅を待っているだろう。一人で心細い思いをさせているだろうことには罪悪感を覚えるが、土と煙の匂いが染みついた身体には、甘い香りを思い出すだけでも幸福だった。
なんとなく子猫に目をやると、丁度起きて顔を上げたところだった。
「邸の者達とも仲良くしてくれ」
「みゃー」
馬車は門をくぐり、いつも通りに良く手入れされた庭園を抜けていく。いつの間にか、秋薔薇が満開になっていた。出かける前にはこんなに咲いていただろうか。
正面玄関で馬車を降りたギルバートは、左手に籠を持ち、扉を開けて邸内に入った。先触れの時間より早かったためか、まだ使用人の迎えもない。ソフィアは身支度を整えているところだったかもしれない。いずれにせよ、御者の知らせでハンスはすぐに来るだろう。
まずは猫についてハンスに説明が必要だろうと、ギルバートはあえて自室には行かずにサルーンの椅子に腰を下ろした。隣に籠を置き、猫が驚かないように上にハンカチを広げて軽く覆う。
慣れ親しんだ自宅の香りに、ほっと息を吐いた。
ぱたぱたと慌てて走ってくるような足音がした。ソフィアだろうか、それにしては忙しないような──そう思いながら顔を上げた先にいたのは、ソフィアとはあまり似ていない、同い年の従妹だというビアンカだった。ルグラン伯爵の葡萄園に預けるときにかなり脅した記憶があるので、まさかこうしてギルバートに面と向かって話しに来るとは思わなかった。一体何の用だろうか。
ビアンカは顔を真っ赤にして肩で息をしている。かなり急いで部屋を出てきたらしい。その尋常ではない様子に、何かあったのかと立ち上がる。
「何故──」
しかしビアンカはギルバートの言葉を途中で切って、行き場のない思いをぶつけるように大きな声を上げた。
「あんた、ソフィアを幸せにするんじゃなかったの!? どうしてあの子が、倒れるほど思い詰めなきゃいけないのよ。いくら侯爵夫人が激務だからって、あんなになるまで放っておくなんて。この家の人達は何をしてるのよ!」
ギルバートはその話に、さっと顔色を変えた。
「それはどういうことだ。詳しく──」
「疑うって言うなら、触ればいいわ。そうよ、あんた、記憶が見れるのでしょう? その力は気持ち悪いけど、それで分かるって言うんなら、さっさと確かめなさいよ。ほら!」
ビアンカが挑むような目でギルバートに右手を差し出した。その態度から言葉が嘘ではないと確信したギルバートは、迎えに出てこないソフィアに急に不安になる。
もしかして、出てこないのではなく、動けないのだとしたら。また自分は、側にいない間にソフィアの身を危険に曝してしまったのか。
真っ暗になりそうな視界の中、ギルバートは真実を知る唯一の手段に触れた。
「──……疑ってはいない。お前のその態度が演技とは思えないが、話を聞くよりこの方が早い」
「勝手にしてよ」
ビアンカの魔力は感情を昂ぶらせているせいで酷く揺れていた。お陰で、記憶を探るのに何の抵抗もない。するりと当然のようにギルバートに突きつけられたのは、リリアからソフィアに向けられた暴言の数々と、沢山の書類と本が積まれたソフィアの机と、茶会でふらりと倒れた頼りないソフィアの姿だった。『恐怖と不安を和らげる髪留め』のことをビアンカが知ったことも、伝わってくる。
ビアンカは侯爵夫人としての仕事が負担でソフィアが精神的重圧を感じ、恐怖や不安を覚えたと思っているのだろうが、それは違う。元々それは、短期間で収束した先のエラトスとの戦争がきっかけだ。
つまり、ソフィアの負担はビアンカが思っているより多かった。
リリアとの仲がうまくいっていないことは、ハンスから伝え聞いていた。ソフィアが隠したがっていたからギルバートは知らぬ振りをしていたが、もしこれ以上悪化するならばしかるべき対応をするようにと、留守にする前にハンスに頼んでもいた。
だからこそ、今見せられたものはギルバートにとって看過しがたいものだった。
ソフィアが無理をすることは、知っていたはずなのに。知っているだけでは何もできないのだと、それも知っていたのに。
「──これは」
ビアンカが、ギルバートを睨んで手を引いた。
「あの子を追い詰めるのなんて簡単なの。私達とはきっと、心の作りが違うのよ。すぐ全部自分が悪いって思うって……そんなこと、私は他の誰より知ってるの!」
ギルバートが唐突に知らされたソフィアの危機に無事を確認しようとその場を離れようとした、そのとき、階段の上からかつんかつんと足音がした。
「──ビアンカ、何してるの?」
そこにいたのは、ギルバートが任務に行く前と変わらない姿のソフィアだった。ギルバートを待っていたためか、新しいワンピースドレスを着て、化粧もしている。肩に掛けたショールは薄く、階段を一歩ずつ下りる度にさらさらと揺れていた。
その柔らかさが、華奢な姿を余計に儚げに見せる。
任務の間に見ていた竜と騎士達に対し、圧倒的に弱々しく美しいソフィアに、ギルバートは心臓を握り締められたような痛みを覚えた。
「ソフィア……」
ビアンカが信じられないものを見るような目で、ソフィアを見ている。
「おかえりなさいませ、ギルバート様」
ソフィアが、ギルバートの手をそっと拾って微笑んだ。