令嬢は未来を希う7
「──そ、そんなに言うなら持って帰れば良いじゃない」
ソフィアの剣幕に圧倒されたらしいリリアは、ふいと顔を背けた。
マルセルはそんなリリアを逃がさないようにか、肩に手を置いて顔を詰めた。
「リリア。どこにあるんだ」
リリアはしばらくマルセルの顔を見つめたが、何かを諦めたように深く溜息を吐くと、部屋の端に置いてある大きなトランクを指さした。
マルセルは駆け足でトランクの前まで移動して、躊躇無くそれを開けた。
中から出てきたのは、まさに映像の中でリリアがソフィアの部屋から持っていったドレスと、それに包むようにされた髪留めだ。
マルセルは恭しい手つきでそれらを掲げ持つと、ソフィアに差し出した。
「本当に、馬鹿なことを……奥様、申し訳ございません」
言葉と共に、マルセルは深く頭を下げる。
ドレスと髪留めを受け取ったソフィアは、傷が無いことを確認する。魔道具の髪留めについた石が変わりなく輝いているのを見て、やっと少し安心した。流石に盗んだばかりの品を持ち主の邸で使うことには抵抗があったのだろう。リリアの態度を見る限り、魔道具を使って感情が動かされた様子はない。トランクの中にしっかり保管されていたことからも、副作用の心配はなさそうだ。
ソフィアはドレスと髪留めをカリーナに預け、マルセルに向き直った。
「もし、子爵が本当に私に申し訳ないと思ってくださっているのでしたら……どうか、もっとリリア様とよく話をしてください」
「ちょっと、余計なお世話よ」
ソフィアの言葉に、リリアが焦ったように立ち上がった。
「リリア──」
マルセルはリリアの態度を諌めようと、厳しい声で名前を呼んだ。
ソフィアはマルセルの言葉を止めさせるために、思いきって声を張った。
「──リリア様がこのようなことをしたのは、本当に、リリア様一人のせいでしょうか? 子爵。貴方と共に生きていく、ただ一人の奥様なのですから……互いに理解し合う努力を、なさってみてはいかがですか?」
マルセルも、リリアも、今度こそ何も言わなかった。
しんと静まり返った室内に、こほんと小さな咳払いの音が響く。はっとそちらを見ると、ハンスが困ったような顔でソフィアを見ていた。
「奥様。リリア様に対する処置は、いかがなさいますか」
「何もしないわけには……いかないのですよね?」
「はい。フォルスター侯爵家の女主人の私物を窃取したのですから、何の罰も無いという訳には参りません」
ハンスの硬い声に、マルセルとリリアの顔が引き攣った。特にリリアは、今更になって自分がしたことの重大さに気付いたかのようでもあった。目を大きく開いて、今にもへたり込んでしまいそうに見えた。
「そうですよね……ですが実際のところ、リリア様がドレスも髪留めも傷付けず所持していてくださったお陰で、私の元に戻ってきました。侯爵家としても、大事にするのはあまり良くないでしょう」
ソフィアは考えた。リリアが自身がしたことを正しく理解しているのならば、厳しいことはしたくない。だが、何もないというわけにはいかない。できれば、これをきっかけにマルセルもリリアと向き合えるようなことがいい。
しばらくして、ソフィアはぱんと手を打ち鳴らした。
「ですから、反省文、というのはいかがですか?」
「──……ソフィア?」
それまで黙っていたカリーナが、思わずといったように声を上げる。
「反省文、でございますか?」
ハンスが訳が分からないというように聞き返した。
ソフィアは思い付いた方法を、詳しく説明する。
「ええ。ですが、毎日書いていただきます。リリア様と子爵の間で交換しながら、互いのことを、そして、今回のことを……理解し合うきっかけになればと思います」
「交換日記……」
満足して小さく微笑んだソフィアに、カリーナは呆れたように呟いた。
やはり驚いて言葉を失っていたらしいマルセルが、首を傾げる。
「あの。私が言うのもおかしな話でしょうが、そのようなことでよろしいのですか?」
「毎日ですから、結構大変だと思います。……そして、来年ここにいらっしゃるときには、それを持ってきてください。あ、中身は読みませんからっ。ただ、ちゃんとやっているか確認と言いますか──」
リリアとマルセルの二人が、これから先、少しでも解り合えたら良い。まだ二人とも若いのだから、このまま諦めるのは早いだろう。世の中には、最初から想い合って結婚した夫婦ばかりではないと、ソフィアにも分かっている。
すれ違い続ける夫婦も、いるのだろう。
それでも、保身のためでもリリアを庇おうとしたマルセルは、リリアを自分の妻だと自覚していた。リリアも、今もマルセルへの気まずそうな態度を隠さない。
もし二人が互いの存在を諦めていないのならば、まだ可能性はあると信じたかった。
どうか、未来の二人が、仲良くあれますように。
ソフィアは強く、強く願っていた。
「……寛大なご処置、感謝いたします」
マルセルが深く頭を下げた。リリアは俯いたまま、何も言わない。しかしその瞳が濡れていることは、ここにいる皆が知っていた。
「──それにしても、奥様。髪留めが無事に見つかって良かったですね。幸い、リリア様もまだ使用されていなかったようですし」
ハンスが湿った空気を吹き飛ばすように、からりと明るい声を出した。ハンスがそうしたことをするのは珍しくて、ソフィアの意識は強く引きつけられる。
「はい、本当に。魔道具だから、壊れてたらどうしようかと思いました……」
「この髪留め、魔道具なのですか」
ほっと息を吐いたソフィアに問いかけたのはマルセルだった。
確かに、星空のように輝く石がついた銀の髪留めが魔道具とは、一見して誰も気付かないだろう。魔道具は正しい手順で壊さなければ回路が壊れて危険だということは、ここにいる皆が知っている。まして元の回路が複雑なものほど、その危険は増すのだ。
リリアがそうと気付かずに壊していたら、事故が起きていたかもしれない。
「奥様が医師から処方された魔道具ですので、余計に心配されていたのです」
ハンスの説明に、リリアがはっと顔を上げてソフィアを見る。その瞳にはもうソフィアへの敵意は無かった。
「あ……貴女、何か、ご病気とか……?」
代わりに純粋な心配の色が浮かんでいて、ソフィアは申し訳ない気持ちになる。別に大変な病気ということではない。
ただ先の戦争に巻き込まれたときのことが原因で、悪夢に悩まされていただけで。
ソフィアは少しでもリリアを安心させようと、穏やかに見えるように微笑みの表情を作った。
「いいえ、大丈夫です。この髪留めは、恐怖や不安を和らげて、心を落ち着けるためのものですから。……魔力に作用するものだと聞いているので、リリア様が使われなくて良かったです」
心配されたことが嬉しかったソフィアは、つい、言わなくても良いことまでも口にした。
だから、リリアとマルセルが息を呑んだことも、ハンスが満足げに口角を上げたことも、カリーナが呆れた顔をしていることも、気付かなかった。
当然、部屋の扉の前でこっそりと話を聞いていた人物にも。