令嬢は未来を希う6
ソフィアは目を伏せた。今、遠慮を見せてしまったら舐められてしまう。
「リリア様が、私の私室から持っていってしまわれたようで……子爵、責任を持って監督すると言っていましたね。今なら罪に問いませんから、どうか自身の役目を果たしてくださいませ」
マルセルがはっとした表情でリリアに詰め寄った。
「リリア、どういうことだ!?」
「私は知らないわ! その人が勝手に──」
リリアが首を左右に振る。
「わ、私も、妻が盗みをするとは思えません。何か証拠があって仰っているのですか?」
マルセルはソフィアよりもリリアの意見を採用することにしたようだ。ソフィアに向き直り、おどおどと主張する。しかし、その目に浮かんでいるのはリリアへの愛と信頼ではなく、保身のためにソフィアの話を信じたくはないという拒絶の色だった。
ソフィアはそれを見て、思わず息を呑んだ。
一番側で心を預け合うことができるのが、夫婦というものだと思っていた。記憶の中のソフィアの両親は仲睦まじかったし、エルヴィンとクリスティーナも互いを尊重していることが分かる。今は牢の中にいるソフィアの叔父と叔母も、ソフィアにとって良い人ではなかったが、よく夫婦で笑っていた。
リリアがマルセルの態度に対して何の失望も見せていないことがまた、苦しい。
ハンスはそんなソフィアの心情に気付く筈もなく、持ち込んでいた魔道具をマルセルとリリアに突きつけた。
「失礼いたします。こちら、奥様の部屋の前に設置しておりました魔道具でございます。ジェレ子爵。どうぞ、ご覧ください」
映像が再生され始めたところで気付いたのか、リリアがぐしゃりと顔を顰めた。
マルセルは映像から目を離さない。そうして再生が終わったところで、追い詰められたように視線を彷徨わせた。
「こ……これは──」
「証拠でございます」
答えたのはハンスだ。
「リリア! あ……貴女は、何ということを……!」
マルセルは決定的な証拠に、すぐに意見を翻すことにしたようだった。
慌てるマルセルに対し、リリアの瞳は恨みを込めてソフィアをひたと見つめている。その色に、ソフィアの心臓がどきりと跳ねた。
「何よっ。分不相応な暮らしをしてるそこの女が悪いんじゃない。私は、私の分を取り返しただけだわ!」
言葉には確信のような響きがあった。
ソフィアはリリアの瞳の中の恨みの感情に向き合った。そうしてゆっくりと問いかける。
「──……リリア様の分?」
「ええ。フォルスター侯爵の隣に立つ権利は、私にもあったわ。だから、髪留めも、ドレスも、私の分。返してもらったの」
リリアがもし、両親の罪と幼い頃の過ちによって鬱屈された気持ちで日々を過ごし、望まない結婚をしたのならば。他人に用意された夫婦で信頼関係を結べないまま、今までいたのならば。そうして、本来の想いを押し殺すしかなかったのだとしたら。
突然現れてその立場をさらりと奪っていったように見えるソフィアが恨まれるのは、仕方がないことのように思えた。
「リリア様は……ギルバート様をお慕いしていらしたのですか?」
ソフィアは湧き上がってくる怖れの気持ちから目を背けながら、質問を続けた。本当は、今にもこの場から逃げ出したい。ソフィアが聞いた話ではそんなことはなかったが、もし、リリアが心の奥ではギルバートに恋をしていたのなら。
この場所で救われただけのソフィアは、ここにいて良いのだろうか。
張りつめた気持ちでいるソフィアを知ってか知らずか、リリアが笑い声を上げた。
「やぁだ、何言ってるの?」
心底面白いというような、からかいを多分に含んだ声だった。
「え?」
「誰が、あんな人に恋なんてするっていうのよ。気持ち悪いし怖いじゃない」
リリアは、言葉が本心であることが分かる明け透けな態度だ。
「で、ですが……好きだから、一緒にいたいと思うのでは」
「違うわ。私が一番輝ける場所は、侯爵夫人の椅子だもの。それ以上は大変そうだから望まないけど……フォルスター侯爵夫人って言ったら、上位貴族の中でも一目置かれる地位よ。そのくらいが丁度良いじゃない? ──ねえ、貴女が着ているドレスも、素敵な部屋も。私が手に入れたかもしれないものよ」
だから、盗んだのか。ソフィアがそれらを手にしていることが、許せなかったから。
ソフィアは驚きと失望に混乱する心の中から、ゆっくりと言葉を選び出した。今の気持ちを伝えるのに、最も適切な言葉は何か。ゆっくりと、確実に。ソフィアの気持ちを正しく伝えることができる言葉を選びたかった。
「私が……こうして皆によくしてもらっていることが、分不相応だと思ったことは、何度もあります。贈り物に、心苦しく思ったことも……」
「あら、じゃあ私に──」
ソフィアは、どこか余裕ある態度を崩そうとしないリリアをじっと見据えた。
物はどうでもいい。ただ、贈り物に込められた想いも、これまでの努力の成果も、そしてこの侯爵邸で暮らす内にできた絆も、ソフィアのものだ。大切な宝物だ。
「ですが、ギルバート様を想う気持ちは、確かなものです。彼の能力を怖れるのは、仕方がないことなのかもしれません。私だって、その気持ちが分からないわけではありません。それでも私は……ギルバート様が、好きなのです。誰より側にいたいのです。──地位にしか魅力を感じていない貴女に、私は……何一つ譲るつもりはありません……!」
言葉と共に、一滴だけ、涙が零れた。