令嬢は未来を希う2
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アイオリア王国の王城、中でも騎士団周辺はにわかに騒がしくなっていた。久し振りの大型魔獣討伐ということで、普段は各隊に所属している魔法騎士が演習場に集まってきているからだ。
一度は帰宅していたものの、フォルスター侯爵邸から急ぎ馬で王城に戻ってきたギルバートは、アーベルに詳しい話を聞いて早足で演習場に向かった。魔獣は全て竜種で、しかも属性が複数であるという。今は領主軍の中で魔法を使える者が結界を張って領民を逃がしているが、いつまで持つか分からないということだった。
もしも全てが炎竜であれば全て水浸しか氷漬けにしてしまえば良い。数人の魔法騎士が協力すれば、決して困難な敵ではない。しかし、異なる属性の竜が複数となれば、話は別だ。炎竜を討伐するための氷で氷竜が強くなっては困るのだ。竜を個別か属性別に結界に閉じ込めることができれば最も効率が良いが、竜種とそれを討伐するための魔法攻撃に耐えられるだけの結界を複数張り巡らせることができる魔法騎士はなかなかいない。技術としてはできても、魔力が足りず結界が続かないのだ。
しかしギルバートにはそれができる。自身が呼ばれた理由を正確に理解したギルバートは、内心でソフィアに詫びた。
魔力によって浮かんでいる明かりに照らされた演習場には、既に全魔法騎士の半数以上が集まっているようだった。急く気持ちのままに歩く速度を上げようとしたとき、門の陰に見知った人物が隠れていることに気付いた。ギルバートはこのような場所にいるはずのない相手に驚き、咄嗟に足を止める。
「ギルバート、やはり行くのかい?」
見慣れた金髪が、そこにあった。柔らかく上げられていることが多い口角が、今は下がっている。見るからに不機嫌そうな表情だ。執務を抜けてきたらしい王太子──マティアスの姿に、ギルバートは小さく嘆息した。それから自身も目立たないように門の陰の方に移動する。
「この状況ですから。殿下も、私が行くのが最も効率が良いとご存知でしょう」
「それはそうだが……」
マティアスが何かを言いかけて口を噤む。言いたいことは分かっている。ギルバートとソフィアの結婚披露宴まで、二週間を切っている。当日はマティアスとエミーリアをお忍びで招待していた。万一ギルバートが戻らなかったら、または、怪我をしてしまったら。ソフィアは独りでその日に臨まなければならない。
「さっさと片付けてきます」
ばっさりと言うギルバートに、マティアスが真剣な瞳を向けた。
「くれぐれも、無事に帰ってくるようにね」
「当然です。……ソフィアが、悲しみますから」
披露宴には多くの貴族を招待している。延期や中止となったら、ソフィアが矢面に立たされることになる。まして最悪の場合など、あってはならない。
いつかソフィアが流した涙を思い出す。大切な人を、ものを、なくし続けてきたソフィアに、もう二度と、失う怖さを味わわせたくなかった。だからギルバートは、どんな場所に行くときであっても、ソフィアの前で不安は見せない。帰ってくると信じてもらえるよう、日々の鍛練を怠らない。騎士団で働き、危険な任務も多いギルバートにとって、そうして約束を守ることが、ソフィアへの愛のひとつのかたちだった。
「私も心配しているんだよ」
「ふ。それは有難いことでございます」
ギルバートは思わず小さく笑った。マティアスから心配など、面と向かって言われたことがあっただろうか。
「あ、茶化したね。──本当は、私も行きたいところなのだが」
「守る対象を増やしてどうするのですか。良い迷惑です」
「そう言われると思って、大人しくしていることにしたよ。まったく、君と冒険するつもりが、君ばかり危険に飛び込んでいく」
学生の頃はマティアスもよくギルバートと二人、冒険と称して無茶をしたものだ。今では、マティアス自身がそうしたことをすることは無い。本人が自身の重要性を良く知っているし、ギルバートはただの学友ではなく、側近で、部下である騎士の一人だ。寂しく思うこともあるが、後悔は互いにない。
「──……殿下には、感謝しています」
マティアスは、いつだってギルバートのことを考えてくれていた。ソフィアを侯爵邸で面倒を見るように命令されたとき、最初こそ何を考えているのかと思ったが、それもギルバートを思ってのことだったのだろう。きっとパブリックスクールの頃から、マティアスはギルバートの孤独を知っていたのだ。
ソフィアと触れ合っていると、ギルバートもただの人間なのだと思える。余計な感情や記憶に捕らわれず、自身の気持ちとだけ向き合うことができる。そんな触れ合いがこんなに貴重な幸福になることを、あのときのマティアスは知っていたのだろうか。付き合いが長くても、この王太子は未だにギルバートに全てを悟らせない。
「どうしたんだい、突然」
ギルバートの言葉にマティアスが目を瞠った。
「私が今こうしていることも、ソフィアと縁を結ぶことも、殿下がいなければありませんでした」
「これから前線に行くってときに、そういう話をするのは止めてくれないか」
マティアスが眉間に皺を寄せ、拗ねたように口を尖らせる。普段部下に見せることはない子供のような少年のような振る舞いに、ギルバートの肩の力が抜ける。
ギルバートは右手でそっと剣の柄に触れた。守るべきものは、沢山ある。それらを一つも、取り零すつもりはない。当然、ソフィアとの約束もだ。
「すぐに戻ります」
「ああ、披露宴を楽しみにしている」
マティアスがくるりと踵を返す。後ろ姿を見送るギルバートに片手を上げて応えるその背中は、もう友人を心配して見送りに来た一人の男ではなく、アイオリア王国の将来を背負う未来の王のものだった。