令嬢は未来を希う1
「奥様、よろしいですか?」
ソフィアはハンスの声にはっと顔を上げた。
時刻は昼過ぎだ。ギルバートはまだ帰ってこない。
「はい」
ソフィアは短く返事をして、読んでいた領地の報告書を机に置いた。ギルバートがいない状況でソフィアにできることは少ないが、何もしないでいると良くない方に思考が向かってしまっていた。昨夜は久し振りの独り寝で、やはり悪い夢を見た。滅入る気持ちを誤魔化すためにも、前を向いていたい。
部屋に入ってきたハンスは、手に以前見たことがある封筒を持っていた。ギルバートが使っているものだ。
「旦那様から奥様宛です」
ソフィアは差し出された封筒を受け取った。ギルバートは、わざわざ王城からソフィアに手紙を書いたようだ。一言を伝えるために帰宅をすることもできない状況に思い当たり、眉を下げる。
ハンスが気遣わしげに見ていることに気付いて、なんでもないというように首を振った。
「ありがとうございます。……私は大丈夫ですから、ハンスさんがそんな顔しないでください」
ギルバートのことだから、ハンスには別に手紙があったのだろう。それを読んだ上で、ソフィアを心配してくれているのだ。
「いえ、その……」
「どうしました?」
「──間が悪いなと思いまして」
ハンスが困ったように肩を竦めた。
披露宴まで二週間を切っている。大型魔獣相手の遠征となれば、きっとこちらに戻ってくるのはぎりぎりになってしまうだろう。万一ギルバートに何かあれば、そもそもパーティーどころではない。ソフィアは纏わりつくそれらの気持ちを振り払うように、小さく首を振る。指先が震えないように意識を向けながら、そっと封筒の中から便箋を取り出した。そこには流麗な、しかし急いでいることが分かる少し走った文字が並んでいた。
──愛しいソフィアへ
私はこのまま任地へ行くことになる。
一人にしてすまない。すぐに片付けて帰ると約束する。
どうか、待っていて欲しい。 G.F.──
ソフィアは短い手紙に目を通した。はっきりと書くことはできないのだろう、細かい内容には触れていない。しかしソフィアにはそれがどういう意味か分かる。
「ギルバート様は、このままティボー辺境伯領へ行かれるのですね」
やはり魔獣討伐に向かうということだ。大型魔獣相手となれば、魔法騎士であるギルバートが前線に行くのも当然だ。まして、その魔法の腕と魔力の多さは誰もが認めるところなのだから。
「そのようでございますね」
やはりハンスの表情は優れない。ソフィアはハンスを安心させようと、口角を上げて見せた。
「ハンスさん。ギルバート様は、すぐに戻ってきてくださるはずです」
「何か書かれておりましたか」
「はい。……あ、ハンスさんには秘密です。ふふ」
ギルバートはソフィアに約束したのだ。これまでに、ギルバートがソフィアとの約束を破ったことはない。そう思うと、寂しさも心の重石も軽くなるような気がした。きっと、ギルバートは無事に帰ってきてくれる。
ソフィアの気持ちを汲んでくれたのか、ハンスが戯けたように笑った。
「でしたら、安心ですね。……あ、奥様。取り付けた魔道具はこちらで毎晩確認させていただいてもよろしいですか?」
「私からお願いします。面倒ばかりかけてごめんなさい」
せっかくギルバートが調達してくれた魔道具だ。遠征に出てしまったが、しっかり使うべきだろう。
「いえ。奥様と旦那様の幸せのためでしたら、私達は本望ですよ」
「ハンスさん……」
「本来でしたら、魔獣にも遠慮していただきたかったのですが、仕方ありません。……気詰りかと思いますが、邸にお客様がいらっしゃる間は特に、普段以上にお気を付けくださいね」
ソフィアはハンスの言い様に、小さく声を上げて笑った。
「ふふ……っ、分かりました。……よろしく頼みますね」
「承りました」
ハンスが一礼し、部屋を出ていく。残されたソフィアは、ふと以前医師に貰った髪留めのことを思い出した。昂ぶった感情を落ち着かせる魔道具だと言って渡された、魔力の揺らぎを静める効果がある物だ。魔力がないソフィアには使えないと思い、机の抽斗に入れたままにしていた。
装飾の少ない髪留めだったが、繊細な銀細工と夜空色の石の中に散らばる金色の星が美しかった。見るだけでも、少しは心が落ち着くような気がしてはくれないだろうか。
ソフィアは机の抽斗を開けた。いつもはあまり使わない、右下の小さな抽斗だ。そこに、貰ったときのまま仕舞っていた。
「──……あれ?」
ない。
確かにそこに入れたはずだ。机の抽斗を開けるのはソフィアだけで、カリーナも他の使用人も触れることはない。ソフィアは勘違いで他の場所に仕舞ったのかもしれないと、次々に抽斗を開けて探してみた。
「ソフィア? 何、どうしたの!?」
別の仕事から戻ってきたカリーナが、ソフィアの慌てた様子に困惑の声を上げる。ソフィアはすぐに事情を説明し、念のため衣装部屋を確認したいと伝えた。カリーナもソフィアの様子からそれが大切なものだと思い、慌てて衣装部屋の鍵を開けた。
それから夕食の時間まで二人がかりで部屋中を調べたが、魔道具の髪留めはどこにも見つからなかった。