黒騎士様は拾い上げる8
◇ ◇ ◇
ギルバートが、不意にソフィアの手を握った。
「ソフィア、私はお前が話さないことは分からない」
言われ慣れている言葉なのに、心臓が嫌な音を立てる。あえて隠していることがあるからだと分かっていた。ソフィアはギルバートの真意を探るように、藍色の瞳を覗き込んだ。
「ギルバート、様?」
その瞳は真摯で、罪悪感が募った。客人の失態に関わる話を邸の主人であるギルバートに隠していて良いのだろうかと、逃げるような迷いが生まれる。ソフィアがギルバートに黙っていることを決めたのは、元々ソフィアが自身に向けられた悪意ある言葉を伝えたくなかったからだ。その相手が幼い頃のギルバートに強い影響を与えたと思うと、余計に言いたくなかった。
ギルバートが、ソフィアの目を見つめ返す。
「だが、知りたいと思っていることは忘れないでほしい」
「それは──」
思わず視線を逸らそうとしたソフィアを逃がさないというように、ギルバートが手を握る力を強めた。
「たとえ、ソフィアが隠したいと思うような、葛藤であったとしても」
「──……っ」
ソフィアは息を呑んだ。
ギルバートが手を離し、代わりにそっとソフィアの頭を撫でる。その手が後れ毛の一房を取った。視線が落ちる。
「……勿論、私がソフィアを愛していることは変わりない」
するりと流れ、毛先に落ちた口付けが、ソフィアの心を強く揺さぶった。
「だから、あまり一人で抱え込まないでくれ」
「あ……りがとう、ございます」
甘い触れ合いに顔を上げると、ギルバートは悪戯が成功したような表情でソフィアを見ていた。軽く笑って、髪を逃がす。宙を舞ってさらりと落ちた髪に寂しさを感じた。
「お前は隠し事が苦手だな」
「あまり、良いことではないと思っていますから……」
心のままに言うと、ギルバートが首を左右に振った。
「そうでもない」
「え?」
「中には、相手のためを思って黙っていることもあるだろう」
ソフィアは、ギルバートが本当は全て知っているのではないかと思った。そうでなければこんなことを言うことはできないだろう。しかしソフィアにそれを確かめる手段はなく、また、相手を思っての気持ちだけではないことも事実で、いたたまれない。自信の無さに思わず俯く。
「──あまり気に病むな。お前が抱えきれないものも置いていくものも、全部私が拾ってやる」
「そんなこと……っ」
顔を上げると、優しく暖かな藍色があった。ソフィアの大好きな色だ。
「問題ない。それでも私は、ソフィアの側にいよう」
言葉が、心に染みていく。大丈夫だと伝わってくる。
ソフィアは口を開こうとした。そのとき、背後から慌てたような足音と、声が届いた。
「旦那様、よろしいですか」
ソフィアは、ぱっとギルバートから身体を離した。ここが自室の前の廊下だと今更になって思い出す。今は来客もいるのだから、見られてしまうかもしれない。ましてここは邸の二階、客間がある階だ。
真っ赤になる顔を手で覆うと、カリーナの押し殺すような笑い声が聞こえた。
「ハンスか。どうした」
「お話し中に申し訳ございません。今、王城より使いのものがいらしております」
王城、と聞こえて、ソフィアは一気に平静を取り戻した。ギルバートが帰宅してから、まだそれほど時間は経っていない。何かがあったということだ。
ギルバートと共に応接間に移動したソフィアは、使いとしてやってきたトビアスに一礼した。ギルバートが、真剣な表情で口を開いた。
「何があった?」
トビアスは座って話す間も惜しいとばかりに、立ったまま話し始める。
「副隊長。先程ティボー辺境伯から連絡がありました。パルカ国との国境に、大型魔獣の群れが出没。現在交戦中です」
ソフィアは魔獣と聞いて寒気がした。魔獣とは、魔力を持つ獣のことだ。小型のものは愛玩用に飼育されることもあるが、基本的に危険な生物である。本で読んだ知識によると、発生原因は不明で、炎を吐いたり、周囲を氷付けにしたり、属性によって被害は様々らしい。中型程度までは領地で対応するが、群れになっていたり、大型である場合は騎士団が討伐をすることが多い。ティボー辺境伯は、西の国境を守る貴族だ。辺境伯であるため他の貴族よりは領地で保有している武力は多いが、大型魔獣の群れということは、きっと魔法騎士が対応することになるだろう。
「被害状況は」
「現地の住民が複数名負傷、農地への影響は不明です。魔法騎士に招集がかかっています」
ギルバートがちらりとソフィアに目を向けて、振り切るようにして視線をトビアスに戻した。
「……詳細は城で聞こう」
すぐに騎士服に着替えたギルバートが、サルーンに降りてくる。
「ソフィア、行ってくる。食事は先に食べていてくれ」
「いってらっしゃいませ……お気を付けて」
ソフィアの頬に触れた手が、名残惜しそうに離れていく。ギルバートは待たせていたトビアスと共に侯爵邸を出発した。
その日の夜、眠る時間になっても、ギルバートは帰ってこなかった。