黒騎士様は拾い上げる5
「ソフィア、お待たせ!」
それからすぐ後に、カリーナがワゴンを押しながら戻ってきた。茶会の残りを貰ってきたのだろう、見覚えがあるケーキが小さく切られ、皿に並んでいる。
「カリーナ……」
カリーナの笑顔を見た瞬間、ソフィアは一気に気持ちが楽になったのを感じた。肩の力を抜いて、思わず背凭れに身体を預ける。行儀が悪いのは分かっているが、今だけ、カリーナだけには見逃してもらおう。
カリーナがすぐに扉を閉める。
「え、何。休憩しようっていうのに、余計に疲れた顔して」
そこまで話して、はっと気付いたように扉の方を振り返った。
「……今、ジェレ子爵とすれ違ったんだけど。もしかして来てた、とか?」
「う、うん」
「嘘っ。一人にしてごめん!」
ソフィアがおずおずと頷くと、カリーナが驚いたように目を瞠った。
しかし、カリーナがいないときにマルセルがやってきたのは偶然である。ソフィア一人でもどうにか乗り切れているのだから、カリーナが自身を責める必要もない。
「……気にしてないわ」
微笑みを浮かべようとしたソフィアは、失敗して情けない顔になってしまった。カリーナが眉間に皺を寄せて、ワゴンを置いてつかつかとソフィアに歩み寄ってくる。
「そんな顔で何言ってるの、もう。とりあえず、今度こそ休憩よ。ほら、こっち来て」
ソフィアはカリーナにがしっと腕を掴まれ、促されるがままに窓際のティーテーブルへと移動した。場所が変わると、景色が変わる。窓から見える秋の庭園が、ソフィアの心を慰めてくれた。
カリーナが急いで紅茶を淹れ、ソフィアとカリーナの二人きりの茶会が始まった。
ケーキをつつきながら、ソフィアはカリーナに聞かれるままに先程の出来事を伝えた。口止めされているのは、ギルバートに対してだ。ソフィアがカリーナに話すことは問題ないだろう。
話を聞いたカリーナが、自棄を起こしたようにケーキを一口でぱくりと食べた。
「──うわー。そこでソフィアのところに来るあたり、子爵も小狡いわね」
「そうなの?」
小狡い、という表現に、ソフィアは首を傾げる。
「そうよ。本当に悪いと思ってるなら、旦那様もいるところに謝罪しに行くべきだわ。しかも、口止めまでして」
「でも、私も……ギルバート様のご迷惑になりたくない、し」
ただでさえ、衣装部屋の鍵の件で心配をかけているのだ。
ギルバートが多忙であることが、ソフィアには分かっている。特にここ数日は、余計にだ。いつも通りの仕事と、来客対応、会合、披露宴の準備。ソフィアに気を遣わせないようにしているようだったが、気付かないはずがない。ふとしたときの表情や、寝入りの早さ。いつも以上にソフィアに触れようとするのは、心を落ち着けようとする無意識故だろう。
カリーナは諦めたのか、首を振った。
「分かった。──でも、次に何かあったら私からハンスさんに言うからね」
「え?」
驚いたソフィアに、カリーナが唇をすぼめて見せる。
「私だって、腹が立つのよ。ソフィアのこと……この邸の奥様のことを、軽視されるのは。私は口止めされてないんだから、問題ないじゃない?」
ソフィアは思わず笑った。カリーナが、変わらずにソフィアを大切に思ってくれているのだと分かって、心が暖かくなる。
「うん。ありがとう、カリーナ」
ソフィアもケーキを口に運んだ。甘い甘いそれは、少しの酸味と共にほろほろと口の中で解けていった。
夜。ソフィアはギルバートと共に、私室でハーブティーを飲んでいた。いつものようにギルバートが手ずから淹れてくれたそれは、ほっとする味がする。
ギルバートもソフィアも、今日は一日慌ただしかった。あまり夜更かしをせず、早く寝た方が良いと互いに思っているにもかかわらず、何故か、ハーブティーを飲む早さはゆっくりになっている。ギルバートの心境は分からないが、少なくともソフィアは、やっと訪れた安心できる時間に少しでも長く浸っていたかった。
「ソフィア、今日は疲れただろう」
ギルバートが固い表情のまま言う。ソフィアは首を左右に振って、薄く笑った。
「ギルバート様こそ、お疲れ様でした」
きっとギルバートの方が、ソフィアよりずっと大変だっただろう。当主会議というのがどういったものかソフィアは知らなかったけれど、それが難しいものだということは分かる。ましてギルバートはまだ若い。歳上の貴族相手にフォルスター侯爵家当主として振る舞うのは、きっと大変なことだろう。
ギルバートがいつものように、ソフィアの手に手を重ねようと腕を伸ばす。指先が触れて、ソフィアは思わずびくりと手を震わせた。
ソフィアには魔力が無い。だから、ギルバートはソフィアの心を読むことができない。理解しているそのことに、今更ながら、なんとなくずるをしているような気持ちになった。隠し事をしていると自覚することは、こんなにも罪悪感が伴うのか。
ギルバートはソフィアの手の震えに一瞬目を向けたが、何事もなかったようにそのまま手を握った。