黒騎士様は拾い上げる4
一人きりになった部屋で、ソフィアはほっと息を吐く。カリーナと共に休めると思うと、それだけで心が軽くなったような気がした。
一族の会合が無事に終わったことも大きい。披露宴はこれからだが、結婚してから半年、ようやく皆に認められることができたのだ。これまで自分の立ち位置をいつも探っていたソフィアにとって、認められた場所がはっきりとしたことは、自身が思っていた以上に大きいことだったらしい。
「──とはいえ、気を引き締めないと。披露宴には、エミーリア様達もいらしてくださるのだから……」
二週間後に控えた披露宴には、お忍びでマティアスとエミーリアが出席することになっている。マティアスの、友人を祝いに行くのは当然だ、という言葉で国王が許可を出したというのだから、やはりギルバートとマティアスは仲が良いのだろう。
ソフィアとしては、ただでさえ自身が注目されることが分かっている場に、更に国の誰にとっても重要な人がやってくると考えると、緊張で胃が痛くなるようだった。ギルバートは気にするなと言っていたが、そう簡単にはいかない。なにせソフィアは、フォルスター侯爵家に拾われるまで、ほとんどを自室で一人きりで過ごしていたのだから。
しかし、ギルバートの妻として多くの人に認められることはとても嬉しい。そのためにも頑張ろうと、ソフィアは気合いを入れ直した。
そのとき、扉の向こうから声がかけられた。
「──奥様、いらっしゃいますか」
聞き慣れない男の声に、ソフィアはびくりと身体を震わせる。返事を躊躇したのは一瞬だった。今、この邸には客人がいる。ソフィアがよく知らない者もいて当然だった。
「ど……どちら様でしょう?」
「マルセル・ジェレでございます。お寛ぎのところ申し訳ございませんが、妻がご迷惑をおかけしましたようで……謝罪の機会をいただきたく参りました」
どうやら扉の向こうにいるのは、ジェレ子爵家当主であるマルセルのようだ。リリアから先程の話を聞いたのだろう。しかし間に使用人を挟まず直接詫びに来るとは、律義な人である。
ソフィアは立ち上がって、扉を開けた。
「ご丁寧にありがとうございます、子爵」
ソフィア本人が扉を開けたことで、マルセルは少なからず驚いたようだった。
「ただ今侍女が出ておりまして、私しかおりません。扉を開けたままでよろしければ、お話をお聞きできますが……」
ソフィアは顔が引き攣りそうになるのをぐっと堪え、控えめな微笑みを貼り付けた。マルセルは僅かながら怯んだようだったが、流石当主を務めるだけあって、すぐに元の表情に戻った。
「よろしいのでしょうか」
「ええ、構いません。どうぞ、中へ」
礼儀として一度は遠慮したマルセルに、ソフィアは入り口から最も近い椅子を勧めた。マルセルは落ち着かない様子で腰かける。ソフィアはうっかりにでも扉が閉まらないようしっかりと開き、テーブルを挟んでマルセルの向かい側に座った。
話をしている間に、カリーナも帰ってきてくれるだろう。ソフィアとカリーナが飲むために支度してもらっている紅茶だが、マルセルに出すことになるかもしれない。
「それで、お話ですが──」
ソフィアが話し出してすぐに、マルセルは勢い良く立ち上がって腰を折った。来訪時の落ち着いた印象とは大違いだ。
「妻が、本当に申し訳ございませんでした。お詫びいたします!」
突然のことに、微笑みを崩さないようにと意識していたソフィアも目を瞠る。
「頭を上げてくださいっ」
「いいえ、このままで。──妻には……リリアには、私から厳しく言いました。もう二度と、奥様のお心を煩らわせるようなことはさせません。ですので、どうか……どうか、ギルバート殿にお話するのは待っていただきたく存じます……っ」
「ギルバート様に……?」
ソフィアは思わず聞き返した。同時に、ジェレ子爵家の事情を思い出す。強制的に引退させられた先代子爵と、跡を継いだリリア。そこに派遣された家令と、リリアと結婚したその息子。マルセルは婿養子の形で、子爵家当主になっている。
「お恥ずかしい話ですが……先代子爵の不正の話はお聞きになっていらっしゃいますでしょうか」
「ええ、まあ……伝聞程度ではございますが」
ギルバートとハンスから聞いている。子供がしたことだとはいえ、ギルバートの能力を思うと、悲しい出来事だと思った。
「私は当時子供でしたので、子細は存じ上げませんが……そのときに、リリアがギルバート殿を酷く傷付けたと聞いております。もし、今回、奥様にも害があるとなれば、彼女は社交界で生きていけなくなってしまいます!」
「そんな、私など」
マルセルの過大な評価に、ソフィアは首を左右に振った。しかし、マルセルは真剣な様子で話を続ける。
「いいえ、いいえ! 奥様は、王太子妃様とも仲が良いとお聞きしております。まして妻が侯爵家に敵意を向けるなど……とんでもないことでございます。お願いいたします。我が家は、以前の不正のときに、多くを失いました。今も、私がかつて家令であったために、侮られてしまうこともございます。妻には、苦労をかけていて……そのせいで、鬱屈した感情が奥様に向いてしまったのかもしれません。全て、私の不徳の致すところです。ですから、どうか……」
マルセルが、下げていた頭をより深くした。ソフィアは慌てながらも一度ゆっくりと呼吸してから、口を開く。
「子爵、頭を上げてください。お願いします」
ソフィアがお願いだと言ったことで、マルセルはようやく顔を上げた。僅かに紅潮した顔に向かって、ソフィアは微笑み、身振りで座るよう促す。マルセルが浅く腰掛けたことを確認して、話を始めた。
「──私は、ギルバート様にお話しするつもりはありません。……今回のことは、無かったこととして処理させていただいております」
「奥様……」
「ですので、リリア様には、それに相応しい行動をしていただきますよう、お願いいたしますね」
その言葉を聞いて、マルセルの瞳には力が戻っていった。政略結婚だったが、マルセルなりに妻であるリリアへの愛があるのだろう。そうでなければ、リリアのために妻になったばかりのソフィアの元に謝りになど来るはずがない。
「当然でございます! ありがとうございます……必ず、妻が大人しくしているよう、私が責任を持って監督いたします」
マルセルは今度は座ったまま頭を下げた。
ソフィアにしてみれば、ギルバートに話したくないのだから、マルセルが黙っていてくれる方がありがたい。
話を終えて出て行くマルセルの背中に、内心で謝罪の言葉を呟いた。