黒騎士様は拾い上げる1
◇ ◇ ◇
「旧レーニシュ領は、維持する必要がないのではありませんか」
その一言で、会議は紛糾した。
ソフィアの気持ちを慮れば侯爵家で所有した方が良いと言う者と、先の男爵によって搾取された土地を維持することは負債にしかならないと言う者。どちらの意見も正しかった。エルヴィンは会議に参加しているにも拘らず、何も言わないまま成り行きを見守っている。
ギルバートは誰にも気付かれないように小さく嘆息した。
それぞれの領地の会計報告と直近に迫った披露宴の確認を終え、個別の領地についての対策を練る段になって、これだ。他の領地についてはギルバートも冷静に対応し返答できていたが、旧レーニシュ男爵領についてだけは、それができなかった。どうしてもソフィアの泣き顔がちらついてしまう。
「奥様が男爵位を継いでこちらに嫁いでいらしたことは存じております。ですが、領地の返納は認められておりますよね」
彼等の言い分はこうだ。レーニシュ男爵領を維持することで、他の領地で得た利益が損なわれる。それならば、ソフィアが相続したが管理はできないとして国に返納すれば良い。実際に、借金で首が回らなくなった貴族が領地を売却したり、大きな災害に遭った領地の貴族が国の支援を当てにして手放したりといった前例はある。
しかし、会議に参加している当主達は知らないが、ソフィアは国王の前で領地ごと継ぐと宣言している。そしてギルバートもまた、フォルスター侯爵領の一つとして管理すると伝えているのだ。
だからギルバートは、この場で彼等を説得しなければならない。同意無いまま押し通すこともできるが、あまり得策ではない。
「ですが、奥様の縁の土地です。損得だけで切り捨てるのは、あまりに薄情かと」
「切り捨てるなら早い方が良いのは間違いないでしょう」
ギルバートはこうなることを予想していた。良くも悪くも、当主達は現実的だ。旧レーニシュ男爵領の損失は、彼等には直接的に何の影響もない。フォルスター侯爵家の財によって補填しているのだから当然だ。それでも彼等がこうして意見を交わすのは、自分が正しく土地を治めているという自負があるからだ。自分に厳しいからこそ、他人にも厳しい。
ギルバートは目を閉じた。会議中、触れて誰かの心を読むことはできない。当然ながら、魔力の強さも剣の腕も、本家の当主としては求められていないだろう。そういう意味では、この場ではギルバートもまだ未熟な若者でしかないのだ。
心を落ち着けて、目を開ける。ゆっくりと見渡せば、皆の表情が分かる。話をしていない者ほど、その表情が口ほどにものを言っているようだった。
「──五年」
ギルバートの声に、視線が集まる。それに背筋が伸びる思いで、言葉を続けた。
「五年、お待ちいただきたい。……旧レーニシュ男爵領の負債を清算し、会計も黒字にしましょう」
それはギルバートにとっては、決意の表明でもあった。ソフィアと共に進めてはいるが、これまでで領民達に芽生えた不信感や絶望を拭い去るような政策は打ち出せていない。特産品として栽培しようとしているカルナ豆も、研究途中だ。はっきりと言えるものは何もなかった。しかし何も言わないままでは、ただ情に流されただけだと思われてしまう。
それでは駄目なのだ。フォルスター侯爵家の当主として、妻であるソフィアを守るために。ギルバートには、取りこぼせないものがある。一つ一つ拾い上げ、抱えていかなければならない。
「妻の縁の土地であることを一切考慮していないとは、私には言えません。ですがあの土地には、今後特産品となるものもあります。王都には距離がありますが、夏も暑過ぎない場所ですから、避暑地として売り出すこともできるかもしれません」
「それは──」
「……今が良くないからといって、先々益になる可能性がある土地を手放すことはないでしょう」
反論の声はねじ伏せた。ソフィアの大切なものを、ギルバートが切り捨てることはしたくない。テーブルの下、誰にも見られない場所で拳を握る。あの日、全てを守ると誓ったのだ。
「希望的観測なのではないか? 領地経営は、そう甘くはないよ。──そんなに大切なのかい?」
そう言ったのは、ギルバートの大叔父だった。言葉に反して、その瞳には愉快なものを見るような色が浮かんている。昔からこの人は、亡き祖父の分までギルバートを可愛がってくれた。きっとここにいる誰よりも──もしかしたらエルヴィンよりもずっと、ギルバートを買ってくれている。ならばこの言葉は、ギルバートを責めるものではない。
「このような場で揶揄わないでください、大叔父様」
ギルバートが困ったように言うと、大叔父は心底愉しげに笑った。
「ははは、つまらん奴だ。……結婚おめでとう、ギルバート。奥様のためにも、旧レーニシュ男爵領は発展させるんだね」
大叔父がそう言ったことで、もう誰もそれ以上の反対意見を言うことができなくなる。これは、ギルバートを助けてくれたのだろう。
「はい、ありがとうございます。──では次」
ギルバートは気を引き締め、議題を変えた。