令嬢は黒騎士様に隠したい7
「ソフィアちゃん、緊張してる?」
会議は大広間で、茶会はサロンで行うことになっている。子供達は庭園で使用人達が面倒を見ているはずだ。一度自室に戻っていたソフィアは、クリスティーナと共に、サロンへと向かっていた。
「緊張はしていますけれど……大丈夫、です」
できる限りの勉強はした。先程の昼食会も、穏やかに過ぎた。初めての相手が自分をどう思っているかと考えると恐ろしくもなるが、それはきっとお互い様だ。ソフィアだけではないのだろう。
クリスティーナが、口元を綻ばせた。
「ふふふ、懐かしいわー。だけど大丈夫よ。私のときはね──」
クリスティーナの昔話を遮るように、慌てた様子の足音がした。見ると、侍女が早足にやってくる。
「大奥様、少々よろしいでしょうか」
身内とはいえ、先代侯爵夫人と侯爵夫人が話しているところに口を挟んだのだ。クリスティーナに長く仕えている侍女がそのようなことをするのは、フォルスター侯爵家より上の家格の者が関わることだけだ。
クリスティーナもソフィアもそれに気付き、会話を途切れさせて立ち止まった。二人が立ち止まったことに安心したらしい侍女は、足音が立たない程度に歩調を緩める。
「あら、どうしたの?」
「実は、王妃様から──」
そう言って、侍女が大切そうに抱えた封筒をクリスティーナに見せる。ちらりとソフィアにも見えたその封筒には、アイオリアに知らない人はいないであろう紋章がしっかりと入っていた。それは王家のものだ。
クリスティーナはそれを見て、ソフィアに向かって申し訳なさげに眉を下げた。
「ごめんね、ソフィアちゃん。中身を確認したらすぐに行くから。先にサロンに行っていてくれる?」
「分かりました。……ご無理はなさらないでください」
ソフィアは頷いた。本心ではクリスティーナに側にいて欲しかったが、王妃からの連絡では仕方がない。すぐに行くと言ってくれているのだから、それまでくらい、一人で頑張らなければいけない。その程度できなくては、ギルバートの隣に立ちたいなんて言うことはできないだろう。今日の茶会は、侯爵夫人であるソフィアが開いた形式のものなのだから。
クリスティーナはソフィアの肩を励ますように軽くぽんと叩くと、侍女と共に自室の方へと戻っていった。
廊下に一人きりになったソフィアは、急に今ここにカリーナがいないことを、とても心細く思った。
階段を降りて、曲がって、廊下を歩く。サロンの扉に手をかけ、少し開いた。
「あの新しい『奥様』って、没落した男爵家の娘なんでしょう? 侯爵家に嫁ぐなんて、大変よねぇ……」
聞こえてきた言葉が、ソフィアの両足をその場に縫い留めた。開きかけた扉もそれ以上動かせない。
中にいるのは声の主だけではなく、他の皆も雑談をしている。それなのに、その声はソフィアの耳にしっかりと届いた。
「奥様、お声が大きいです」
窘める声は、おそらく声の主である女が連れてきた使用人のものだろう。しかし意に介さない様子で、女は言葉を続ける。
「あら、いいじゃない。全く、どんな手を使って落としたのかしら」
「あ……あの、それは……」
ソフィアは扉の隙間から中を覗いた。淑女として相応しい行動ではないことは承知しているが、今、サロンの中に入っていく勇気はない。
控えめな声は、先程ソフィアに歳が近い娘だと紹介されていた令嬢だった。そして、ソフィアを貶めようとしているらしい女は。
「だってそうでしょう? なんでも、犯罪者の一族だって話じゃない。嫌だわ、そんな子でも本家の奥様になったら、敬わなきゃいけないんだから」
「リリア様──お言葉が過ぎますよ」
ついにはっきりと主人を諌めた侍女は、しかし主人を止める力は持っていなかった。
「何よ。あなた、私の侍女でしょ。あの女の味方なわけ?」
「そういう意味ではございませんっ。……ここは本家ですから、慎まれませんと」
「あら、でも、皆そう思ってるんじゃない? ここにいる女の子達は、誰だってあの立場になり得たのよ」
ソフィアの胸がずきんと痛んだ。
ギルバートにはソフィアよりもずっと相応しい相手がいるだろう、というのは、何度も何度もソフィアを立ち止まらせた考えだった。ちゃんとした家の娘で、相応しい容姿で、家の繋がりがあって、それから、それから──。
あの頃のソフィアの頭の中には、自分が想像したギルバートの相手に相応しい条件がたくさんあった。そのどれもを、ソフィアは持っていなかった。そしてここにいる令嬢達は皆、それを持っている。
「──……ですが、」
侍女はそれでも主人を止めようとしている。
このままソフィアがここに立っていては、明らかに不自然だ。いつまでも待たせていてはいけないし、クリスティーナが来たときに心配させてしまう。何も聞いていないふりをして、中に入らなくては。
そう思うのに、今中にいる人達は今のリリアの言葉を聞いているのだと思うと、どうしてもできなかった。
悔しい。悔しくて堪らない。それならば中に入って言い返すべきだと、ソフィアの冷静な部分が囁く。それでも、悪意ある言葉に支配された場の空気は重く、扉をそれ以上開けられないでいた。
そのときだった。ばたん、という大きな音がする。扉を開ける音だ。
ソフィアは扉を開けていない。はっと廊下を見ると、開け放たれていたのは反対側にあるもう一つの扉だった。
「どういう意味よ」
聞き慣れた声だった。貴族の令嬢らしい高く、よく通る声。しかし何らかの負の感情が込められていることが分かる、固い声。
その持ち主を、ソフィアはとても良く知っていた。