令嬢は黒騎士様に隠したい6
翌日、ソフィアは普段よりも念入りに支度を整えてもらっていた。
今日は一族が集まる会合の日だ。午前中のうちに集まり、昼食を皆で食べた後、当主達は会議に、同伴の妻と年頃の娘は茶会に、子供達は使用人が面倒を見ることになっている。中でも茶会を取り仕切るのは侯爵夫人であるソフィアだ。そう思うと、今から緊張してつい身体が固くなる。
「ソフィア、ちょっと緊張しすぎよ」
ソフィアの髪を梳かしていたカリーナが苦笑して、櫛をゆるゆると引いた。解れた髪の毛が、日の光を透かしてさらさらと落ちていく。
「そ、そうかな」
「そうよ。折角のドレスが台無しだから、もっと綺麗に笑いなさい」
「うう……分かった。ありがとう」
確かに、こんな顔をしていては、練習した振舞いも、今日のために誂えたドレスも泣くだろう。
今日の装いは、秋に相応しい、深緑色のベロアのドレスだ。袖口と裾には丁寧に編まれた白いレースが付けられている。腰からふわりと広がったドレスは、暖かそうな見た目に反し軽やかな印象だ。首に共生地のリボンを付けているせいで、肌の白さが際立っている。
カリーナが、編み込んで緩く纏めた髪にも同じリボンを飾った。薄茶色の中に深緑がよく映えている。耳飾りと腕輪に藍晶石を使ったのは、指輪と調和を取るためであり、同時にギルバートの妻であることを主張するためでもある。
いつか貰った魔道具のカフスボタンは、ドレスの隠しに忍ばせた。
鏡に向かって微笑みを作る。何度か繰り返すと、ようやく自然に見える笑顔ができた。
「大奥様もいらっしゃるんだから。ね?」
「うん。──頑張るね」
クリスティーナは初めてフォルスター侯爵夫人として働くソフィアを心配して、何かあれば力になると言ってくれている。曰く、クリスティーナが嫁いで初めての会合のときには、ギルバートの祖母が同じようにしてくれたからだとのことだった。侯爵家の女主人の心遣いには感謝するしかない。
どうにか支度をして、ソフィアはサルーンに移動した。来客対応のためにカリーナがソフィアの側を離れる。ソフィアはギルバートの隣で、鏡に向かって練習したときと同じ笑顔を作った。
昨日の二組が練習になったのか、来客の出迎えは問題なく終えることができた。十五組三十数名の出迎えはなかなかに疲労を伴うものだったが、概ね皆が好意的だったため、心理的負担は少ない。ハンスにその話をすると、本家の奥様に対して無礼ができるはずがないと、当然のように言われた。
一度サロンに皆を集め、ソフィアはクリスティーナと共に使用人にそっと声を掛ける。
「食堂の支度は問題ないかしら。お客様をお連れして大丈夫?」
「はい。お願いいたします」
使用人は慣れた様子で頷いた。
ソフィアがギルバートに耳打ちすると、ギルバートがハンスに呼びかけるように指示をする。ハンスの声で、客達は皆食堂に移動した。
食前酒が運ばれ、それぞれが口にする。最初に話し始めたのは、侯爵家当主であるギルバートだった。
「──遠くから来てくださった方もいるでしょう。本日はありがとうございます」
特に大きな声ではないのに、ギルバートの声は食堂にはっきりと響く。
決まり切った挨拶に、老齢の男が微笑んだ。確か、フレミー伯爵だ。ハンスが用意していた名簿によると、先々代侯爵の従弟にあたる人で、今も現役で王宮に仕官しているはずだ。
「いえ、毎年のことですから」
皆が頷いているのを見て、ソフィアは小さく安堵した。食堂に移動してから誰も一言も話さないので、沈黙が怖かったのだ。大人達の空気が緩んだのを察したのか、まだ幼い子供達がわいわいと声を上げ始めた。その喧騒が、食堂中の空気を一気に弛緩させる。
「ですが、今回は奥様にもご挨拶できると楽しみにして参りました」
フレミー伯爵がソフィアに顔を向けた。ソフィアは今がその機会だと、緊張を隠しきれないままに口を開く。
「……ありがとうございます」
その様子を微笑ましいと思ってくれたのか、エルヴィンとクリスティーナと同世代の者達が、次々に娘を紹介し始めた。
「どうか娘と仲良くしてやっていただけますか。今年十六になるのですが、奥様とお歳も近いかと」
「うちの娘とも是非に」
ソフィアは彼等の顔を順に確認し、それぞれの人物と名簿の名前を結びつけていった。それから、順に娘達と視線を合わせる。
「まあ、ありがたいお話でございます。私からも是非お願いいたしますね」
ギルバートがソフィアに目配せして、ソフィアにだけそうと分かるくらい薄く笑んだ。
「妻はまだ不慣れなところもありますが、仲良くしてもらえるとありがたいです」
表情こそソフィアにしか分からないようなものだったが、声音は明らかに穏やかだった。ギルバートがソフィアを想っていることがはっきりと分かる。それを聞いた当主達は目を丸くし、ソフィアとギルバートを見比べた。
「勿体ないお言葉でございます!」
立ち上がらんばかりの勢いに、エルヴィンが面白そうに笑い声を上げた。
「はは、若い世代をよろしく頼むよ」
昼食会で話をしていたのは殆ど当主達だったが、終始和やかに進んだ。ソフィアも緊張はしていたが、料理長の複雑かつ長い名前の料理の味が分かる程度には余裕を持って過ごすことができた。
食事を終えると、子供達は使用人によって庭園へと連れて行かれた。