令嬢は黒騎士様に隠したい5
ソフィアが食事を終え自室に戻ると、そこには誰もいなかった。カリーナがいてくれることが多いのだが、今日は夕食会だったので、その間に食事を済ませているのかもしれない。折角なので、部屋のソファに腰掛けて少し休むことにする。
レーニシュ男爵家ではいつも一人だった。このフォルスター侯爵邸に住むようになってから、ソフィアの周りにはいつだって人がいる。ギルバートとカリーナだけではない。皆がソフィアを気にかけ、大切にしてくれているのだ。
「思えば、最初から優しかったのよね……」
マティアスの提案を、迷うことなく受け入れたギルバート。言葉数は少なく、行動が先になることも多かったために、最初は何を考えているのか分からなくて、怖いと思ったこともあった。
それでも、使う魔法は暖かくて。触れる手は、穏やかだった。降りかかる優しさが積もって愛になるのなら、ソフィアはもう、何に遠慮することもなく幸せに生きて良い。
「あんなこと聞かれたから、つい……思い出しちゃった」
ギルバートと知り合ったきっかけ。結婚するというからには馴れ初め話は気になるところだろう。どうにか誤魔化したが、ギルバートと相談して、先に何か納得できるような理由を考えておけば良かったかもしれない。
「──ソフィア、ごめんなさい! 早かったのね」
カリーナがぱたぱたと駆け足で部屋に飛び込んできた。誰かから、夕食会が終わったと聞いてきたようだ。ソフィアは首を左右に振った。
「大丈夫。さっき戻ったばかりだから」
「そう? ありがと。……じゃあ早速、お風呂にしましょうか」
ソフィアの言葉にほっと小さく息を吐いたカリーナが、ソフィアの着替えを支度するために衣装部屋に向かった。
風呂といっても、まずは身につけた装飾品を外して、ドレスを脱がなければならない。特に今日は来客対応のために凝った装飾のものを着ているから、手間がかかる。ソフィアも立ち上がり、長手袋を外した。
「……あれ?」
声がした方を見ると、カリーナが衣装部屋の扉を見つめていた。僅かに首を傾げている。
「どうしたの、カリーナ?」
「なんか、おかしいのよ。──私、いつも鍵のダイヤルは揃えてるんだけどな」
「鍵……って、衣装部屋?」
寝室と繋がっている衣装部屋には、ソフィアのドレスや装飾品が全てしまわれている。中身の殆どはギルバートとクリスティーナに贈られたものだ。扉にはダイヤル式の鍵が付けられており、三つの数字を決まった順番に揃えなければ開かないようになっている。ソフィアの部屋の入り口の鍵は普段は掛けることがないため、最低限の防犯対策なのだろう。
「そうよ。私、鍵をかけた後は、いつも同じ位置に揃えてるの」
カリーナが言うには、ダイヤルを全て同じ位置になるようにしているらしい。その方が数字への手がかりが少なくなるからと、ハンスの指示だったそうだ。ちなみにソフィアも鍵の開け方は知っているが、一人で開けようと思うことがないため、これまでに一度もやったことはない。
「夕食会の支度がぎりぎりになったから、ばたついていて忘れたのかもしれない……かな?」
ソフィアは不思議に思いつつも、気にしていないように言う。
本当は少し気になっていた。鍵の数字が動いたということは、数字を知らない誰かが、故意に衣装部屋を開けようとしたということだ。その場合、目的は窃盗か、嫌がらせだ。どちらにしても、恐ろしい。
カリーナはそんなソフィアの不安に気付いたのか、ソフィアの顔を見て僅かに目を瞠った。それから、何でもないことのように手をひらひらと振る。
「……そうね、うん。──今支度するから、待ってね」
そう言うと、それまで触れるのを躊躇っていたダイヤルをくるくると回して操作し、あっという間に扉を開けてしまった。ソフィアもちらりと中を窺ったが、一見した様子ではドレスにも装飾品にも何の変化もなく、安堵の溜息が漏れる。やはり、扉は開けられなかったのだろう。
カリーナがこれまでの時間を惜しむように、手早く着替えを用意した。それからソフィアを鏡台の前に座らせ、装飾品を外していく。それらは次々と専用の箱にしまわれていった。箱は全て、後からやってきた手伝いの使用人の手によって、衣装部屋に戻される。
「お待たせ。お風呂、行きましょう」
ソフィアは浴室に移動し、隅々まで磨かれた後、適温に温められた湯の中に浸かった。カリーナがほんの少しだけ垂らしてくれたカモミールの香油のお陰で、緊張が解れる。考え事をするには、丁度良かった。
問題は、衣装部屋の鍵だ。先程は誤魔化したが、カリーナがそんなことをするはずがない。突然の何かがあったのならば別だが、そうでなければ、カリーナが日々の業務となった仕事を失敗することはないだろう。それならば、やはり、誰かが動かしたのだ。
ソフィアはギルバートに報告するか考え──止めた。カリーナはきっとハンスに報告するだろう。そうすれば、自ずとギルバートには伝わる。ソフィアがわざわざ口にすることで、ギルバートに心配をかけたくなかった。
幸い、被害は何もない。ただ少しだけ悪意の片鱗に対する不安があるだけだ。だがそれだけならば、ソフィアはギルバートから話をされるまで、全く気にしていないように振る舞った方がいいだろう。
ゆっくりとカモミールの香りを吸い込んだソフィアは、湯の温かさで、背筋の寒さに気付かないふりをした。