令嬢は黒騎士様に隠したい3
◇ ◇ ◇
ビアンカはベアトリスと共に案内された客間で、きょろきょろと周囲を見渡した。
落ち着いた調度に、繊細な細工。使われている魔道具もそうとは感じさせないほどに美しく、職人の技術力が感じられる。これ一個で、宝石がいくつ買えるだろう。以前通された応接間も素晴らしいと思ったが、この部屋も負けていない。これだけの富があれば、一生働かなくても遊んで暮らせそうだ。
それら全てがソフィアのものだと思うと、非常に腹立たしい。
身なりのしっかりとした使用人が、ベアトリスとビアンカの荷物を次々に運び込んでいる。今回、ベアトリスは本邸からドレスを詰めて持ってきているため、かなり嵩張っていた。ちなみにビアンカの荷物はトランク二つ分である。ただ付いてきただけでどこに行くわけでもないのだから、当然だが。
全ての荷物を運び終えると、使用人達は退室していった。ベアトリスが部屋付きの侍女まで断ってしまったため、二人きりである。
ベアトリスは退室前に侍女に淹れてもらった紅茶を飲み、ほうと息を吐いた。今の姿だけ見ると、女伯爵と言われても疑いようがない。普段の姿を知っていると、こんなにも上手く化けるなんて、何の動物か呪いか、というようである。
「……ここの紅茶はやっぱり美味いね」
それはそうだろう。しっかり教育されていそうな、王城に勤めている侍女と比べても遜色ない振る舞いと容姿の使用人だった。これで紅茶が不味かったら詐欺だ。
ビアンカはなんとなく紅茶に口を付けずにいたが、ベアトリスがあまりに美味しそうに飲むので、少し飲んでみることにした。ベアトリスの向かい側の椅子に座り、カップを口に運ぶ。
少し顔に近付けただけで、華やかな花と熟れた果実のような甘い香りがした。香りの割に味はすっきりとした甘さだ。一口飲んだだけでも、一級品だと分かる。客が長旅で疲れているだろうと、甘いフレーバーのものを淹れたのだろうか。その細やかな気遣いも素晴らしい。
それにこんなに高級な紅茶、男爵家でさえ飲んだことなかった。
「ちゃんと挨拶して、偉いじゃないか」
ベアトリスがふんと鼻を鳴らした。折角の淑女が台無しだ。ビアンカはティーカップをテーブルにおいて、ベアトリスに指を突きつけた。
「余計なこと言ったら外に放り出すって脅したの、婆さんじゃない!」
馬車の中で散々念押しされたのだ。ビアンカだって人間である。直情的なところがあるのは少し前に自覚したが、三歩歩いたら忘れる鶏と一緒にされたくはない。
「当然だろう、ここは本家のお邸だからね。お情けであんたも泊めてもらえるんだ。そこんとこ、散々説明しただろう」
「分かってるわよ」
このままではまた同じ説教を聞く羽目になりそうだ。ビアンカは早々に諦め、突きつけていた指を膝の上に戻して頷いた。
「なら大人しくしてるんだよ。私は、揉め事起こした馬鹿のために宿を取るなんて、ご免だからね」
「うぐ」
つまり、揉め事を起こしたらここを追い出し、更に自力で宿を取るか野宿をしろということだ。ビアンカに自由にできる金はない。外には虫も野犬もいるのだ、野宿なんてとんでもない。
「返事は?」
ベアトリスがじろりとビアンカに厳しい目を向けた。まったくもって、信頼が無い。
「分かりましたっ! これで良いでしょ!?」
ビアンカは思い切って言って、紅茶の続きを楽しむことにした。
ビアンカはここに滞在している間、この部屋から出るつもりがなかった。あの恐ろしいギルバートとも、その妻となって全てを手に入れたソフィアとも、決して会いたくない。ついさっき、出迎えで会ってしまったが。
「ああ、そうだ。あの奥様が、あんたが苛めてたって子だろ?」
「……」
「なかなか可愛い子だったじゃないか。仲良くしてれば、あんたの人生も違ったかもしれないのにねぇ」
ビアンカは先程のソフィアの姿を思い出した。一人前に自信なんか持って、しゃんと立っていた。着ていたドレスは特注品だろう、表面の金糸の刺繍は見事だった。
よく梳られたことが分かる艶やかな髪に、白い肌。緩やかに弧を描く唇は血色の良い紅色、瞳の深緑はかつての濁りが消えていた。たおやかな仕草は、まさに侯爵夫人という立場に相応しく──そこまで思い出して、ビアンカは首を振った。
ソフィアばかりずるい。私だって、男爵令嬢だったのに。伯爵家嫡男の婚約者だったのに。
たとえビアンカが今の暮らしにそれなりに納得していても、何も思わずにいるのは無理だ。
「ソフィアは」
咄嗟に言い返そうとしたビアンカの言葉を遮って、ベアトリスは続けた。
「そう、ソフィア様。侯爵との仲もとても良いようだし、分家としては安心だ。本家が潰れちまったら、こっちはたまらないからねぇ。──それに、あの侯爵に触られても平然としているんだから、良い子に決まっているね。誰かさんとは大違いだ」
『あの』侯爵というからには、ベアトリスはギルバートの能力を知っているのだ。そして触られても動じないというのは、心の中を覗かれても疚しいところが無いからこそできることだと言っている。
つまりそれは──ビアンカは触られても平然としていることはできないだろうと、貶しているのだ。心当たりは、ありすぎた。
「婆さん、煩いわよ!」
感情のままにテーブルを叩くと、食器ががちゃんと音を立てた。
ベアトリスは面白くて仕方がないというように、笑い声を上げる。本当に性格の悪い人だ。
「ははは。──私はちょっと外に出てくるからね。この部屋の中なら好きにしてていいけど、勝手に出歩くんじゃないよ」
ベアトリスはそう言って、ティーセットもそのままに立ち上がって部屋を出ていった。
一人残されたビアンカは、ベアトリスのせいで逆撫でされた気持ちを見ない振りしようと躍起になる。今のソフィアに手を出したら、今度こそ自分がどうなってしまうか分からない。そのくらいの良識は持っている。それでも、あのすっかり綺麗になった顔を見たら、自分でも何を言ってしまうか分からなかった。
そもそも、ソフィアを綺麗だなんて、認めたくはないのだ。いつも陰気な顔をしていた従姉が本当は自分よりも美しかったなんて、そんなことあっていいはずがない。それではビアンカが、よくある物語の悪役ではないか。ビアンカは悪役ではなく、ヒロインになりたかったのだ。
「──……寝る!」
ビアンカは考えることを放棄して、明らかに寝心地がよさそうな寝台に向かう。靴を脱ぎ、思い切って大の字になって転がった。完璧に整えられた寝台はきっとベアトリスのためのものなのだが、構うまい。この部屋の中なら好きにしていいと言ったのはベアトリスだ。
ほんの小さなことなのに何故だかビアンカの心はすっきりとした。目を閉じると、旅の疲れのためかあっという間に睡魔に襲われる。
思いの外深く眠ってしまったビアンカが目覚めたのは、日が暮れ、夕食会の身支度のために帰ってきたベアトリスに叩き起こされたときだった。