令嬢は黒騎士様に隠したい1
「今日の午後にはお客様がいらっしゃいます。お二人はお出迎えをお願いしますね」
朝食をとった後の食堂で、ハンスが言った。今日は、邸に宿泊する人達──ジェレ子爵夫妻と、ビアンカを伴ったルグラン伯爵──がやってくる日である。会合は明日の予定だ。
「はい」
ソフィアは短く返事をした。久し振りにビアンカに会うのだと思うと、緊張する。
「ソフィアちゃん、大丈夫よ。今日は私達も一緒だからね」
ソフィアの緊張を察したのか、クリスティーナが柔らかく微笑んで言った。優しげな表情なのに艶やかな笑顔が、食堂を明るくする。ソフィアはほっと息を吐いて頷いた。
「ありがとうございます、お義母様」
これまで、何度も落ち込んだり俯いたりしてきた。それは自分に自信がなかったからであり、同時に、他人から向けられる悪意が怖かったからだ。
しかしソフィアはもう、誰からも傷付けられるつもりはない。ギルバートと交わした言葉を守るためにも、ソフィアは背筋を伸ばす。
「少し緊張しますけれど、大丈夫です。お義母様もお義父様も……ギルバート様もいてくださいますから」
「んもうっ、嬉しいこと言ってくれちゃうわね」
「何かあったら、いつでも頼りなさい」
クリスティーナとエルヴィンが、口々にソフィアに優しい言葉をくれる。ソフィアは心のままに浮かんだ自然な表情で笑った。
「ありがとうございます」
ちらりと隣にいるギルバートの表情を盗み見ると、ギルバートもソフィアを見ていたようで、互いの視線が絡まった。どきりと心臓を跳ねさせたソフィアに対して、ギルバートは満足気に少し口角を上げる。
食事を終え、ソフィアはカリーナの手によって出迎えの支度を整える。
「良い? ソフィアはフォルスター侯爵夫人なんだから。もし何か言われたりしても、黙ってることないんだからね!」
カリーナが腰のリボンを結びながら言う。きゅっと引き締められると、蝶の羽のようにシフォンがふわりと広がった。
今日のドレスは、社交用に新しく仕立てたものだ。胸元はギルバートの瞳と同じ藍色で、裾に行くにつれて淡い灰色になっている。落ち着いた印象になってしまいそうな色合いだが、重ねられたシフォンに金糸で細かく施された刺繍と、同素材の腰の大きめなリボンが若々しく、清楚で儚げな美しい新妻を演出していた。手の甲から二の腕までを覆っている藍色の長手袋から覗く指先が、ソフィアの肌の白さを際立たせている。
「大丈夫よ」
ソフィアは鏡越しにカリーナに笑いかけた。
カリーナはソフィアの長い髪を丁寧に編み込んだ。余らせた髪はサイドに流し、編み込み部分にラピスラズリの飾りピンを差し込んでいく。ソフィアの淡い茶色の髪に、ピンの藍色がよく映えた。
「もう、そういうところが心配なのよ……」
カリーナはどこか納得しきれていない様子だ。
ソフィアは藍晶石の指輪をつけた左手を軽く振った。これだけは、どのドレスを着てもいつも身につけている。ギルバートもまた、イヤーカフを常に身につけてくれていた。
ソフィアに魔力が無いことは、一族の者にも秘密である。ハンス曰く、ギルバートの幼い頃の事件と同様に、漏らす者は必ずいる。魔力が無いということは、抵抗する術を持たないと思われ、危険に曝される可能性が上がる、とのことだ。
特にジェレ子爵夫妻とルグラン伯爵達が滞在する間は気を付けるようにと、念を押されている。
「ふふ。ありがとう、カリーナ」
カリーナが心配してくれるのは、ソフィアを大切な友人だと思ってくれているからだと思う。それが、とても嬉しかった。
ビアンカと再会しても大丈夫。今のソフィアは、決して一人ではないのだ。
ジェレ子爵であるマルセルは、ソフィアが想像していたとおり、そしてハンスから貰った名簿に書いてあった通り、とても真面目そうな男だった。すっきりとした灰青色の服をさらりと着こなしている。短くすっきりと整えられた黒髪の印象もあり、とても落ち着いて見えた。
「ようこそいらっしゃいました」
ギルバートが声をかけると、マルセルは柔和な微笑みを浮かべて礼をした。
「ギルバート殿、しばらくお世話になります。こちらは、妻のリリアでございます」
「リリアでございます。お久し振りでございます、ギルバート様」
マルセルの少し後ろにいたリリアが、淑女らしい仕草で軽く腰を落とす。リリアは、勝ち気な赤茶色の瞳が印象的な人だった。ソフィアより少し低い身長なのにか弱そうに見えないのは、その瞳の印象のせいだろうか。
ギルバートはリリアを一瞥した。
「……お久し振りです。どうぞ、滞在中はご自宅にいらっしゃるようにお寛ぎください」
決まり切った挨拶をしたギルバートは、それまでの硬い声に反した優しさでそっとソフィアの手を引いた。ソフィアはそれに促され、小さく一歩前に出る。
「妻のソフィアです」
ギルバートに紹介され、ソフィアは淑女の礼をした。
「はじめまして、ソフィアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ソフィアが歓迎の意を示す微笑みを浮かべると、マルセルはほうと納得するように頷いた。
「こちらこそよろしくお願いいたします。……お美しい奥方を迎えられましたね」
「ありがとうございます」
社交辞令のはずのその言葉に、ギルバートは簡潔に礼を言う。
「──……っ!」
ソフィアは思わず息を呑んだ。驚いたのだ。そこは遠慮するところではないだろうか。別に受け入れても問題は無いのだが、それはギルバートがソフィアを美しい妻だと思っていると、公言することである。社交界でも余程仲の良い夫婦や親子でないと、そのような返答はしない。
ソフィアの反応に、リリアが訝しげに目を向けた。ソフィアは慌てて微笑みの仮面を身につける。
「……いえ、なんでもございません。リリア様、何かございましたらどうぞ、当家の者にお申し付けください」
「ありがとうございます。しばらくお世話になりますわ」
一礼したマルセルとリリアを、侯爵家の使用人が客間へと案内する。二人は連れてきた数人の使用人に荷物を持たせ、階段を上っていった。