令嬢は覚悟を決める8
「私は、ギルバート様が話してくださって、嬉しかったです」
ソフィアは、ギルバートが言う言葉の意味を正しく理解した。言わねば分からない。それは、こういうことだったのだ。出会うまでの時間や、一緒にいられない時間を埋めるようで、酷く切なく、甘い。
そしてその切なさと甘さは、こんなにもソフィアの心を満たす。
「そう、か」
「はい」
ゆっくりと確認するように言うギルバートに、ソフィアはしっかりと頷いた。そうすることで、ギルバートが少しでも不安に思うことがないようにしたかった。
ギルバートはまだ撫で続けていたソフィアの右手を掴み、引き寄せた。重心がずれた身体は、いとも簡単にギルバートの胸に吸い寄せられる。抱き締められると、馴染んだ爽やかな香りが鼻腔を擽った。
「だが、リリア嬢──子爵夫人がどういった気持ちでここに来るのかは分からない。だから、ソフィアは気をつけてくれ」
その声は、先程までよりも随分と固くなっていた。ギルバートがソフィアを守ろうとしてくれていることがよく分かる声だ。
しかし、リリアが恨んでいるのならば、その相手はこのフォルスター侯爵家、またはギルバート自身だろう。そこまで考えて、ソフィアは縋るようにギルバートのシャツを握った。
「それは、ギルバート様もですよね?」
傷付けたくない。これまでに辛いことも大変なことも受け止めて、強くなったというこの人に、これ以上傷付いてほしくなかった。それがたとえ、ソフィアのためであったとしても。
「──私に傷を付けることは、できないだろう」
ソフィアの気持ちを知ってか知らずか、ギルバートはどこか自嘲するように言う。ソフィアはそれを見て、首を傾げた。
ギルバートが喉の奥でくつくつと笑った。途端に緩んだ空気が、ソフィアを優しく包んだ。
「私を傷付けられるのは、ソフィアだけだ」
その台詞はあまりに強引に、大胆に、ソフィアの心を占めた。かあっと身体中が沸騰してしまったかのように熱くなる。満たされていることが分かった。嬉しかった。そして同時に、とても恥ずかしかった。
「ギ……ルバート、様」
噛み締めるように名前を呼ぶ。楽しげな表情なのに、ギルバートの瞳には真剣な色が宿っていた。ソフィアを抱き締める腕の力が強まる。
「ソフィアを傷付けるものも、私だけでありたい。……これ以上、傷付けるつもりもないが」
「──……っ!」
今度こそ、ソフィアは息を呑んだ。
「ソフィア」
ギルバートはソフィアに返事を急かすように、呼んだ。
ソフィアは心の中にしまっていた自分を引っ張り出す。抽斗の奥、大切にしまっていた箱の中。そこにあったのは、我儘と言っていい種類の感情だった。ギルバートの乞うような視線に引き摺られるように、ソフィアはその感情を口にした。
それは、ソフィアの覚悟でもある。
「はい。私も、そうありたいと思います……」
ソフィアはギルバートの胸に顔を埋める。それを合図にしたように、ギルバートがソフィアを抱えて立ち上がった。
「きゃ」
ふわり、と浮いた身体に、思わず小さく悲鳴が漏れる。間違いなく重いはずなのに、ギルバートの力強い腕はまるで重さを感じていないかのように、軽々とソフィアを運んでいる。
「下ろしてください……重いですからっ」
「重くない。ちゃんと食べているか?」
「食べています。ギルバート様だって、見ていらっしゃるでしょう?」
昼食は別だが、朝食と夕食は一緒なのだ。誤魔化せるはずがない。それどころか、休憩時間には料理長自慢の菓子を食べているし、ギルバートの帰りが遅い日にはちょっとした軽食を摘んで待っていることもある。
かつてレーニシュ男爵家にいた頃と比べると、間違いなくいくらか体重は増えている。
そのことを言うと、ギルバートは眉間に皺を寄せた。
「──ソフィアは細すぎる。もっと食べても良いくらいだ」
「そんなに、食べられません……」
困ったように言うと、ギルバートは小さく笑って、寝台の上にソフィアを下ろした。ふわりと柔らかく軽い感触が、ソフィアの身体を受け止める。ゆっくりと動いていた寝室の扉が、かちゃりと音を立てて閉まった。
瞬間、そこにはソフィアとギルバートしかなかった。
「あ……」
「細すぎて、食べたらなくなってしまいそうだ」
真上から見下ろすギルバートの瞳が、悪戯に光っている。ソフィアは薄闇の中、温もりを求めるように右手を持ち上げた。その手が頬に触れる前に、ギルバートの手によって捕まえられ、シーツに縫い止められる。
「なくなりませんから、大丈夫です……っ」
言い終えると同時に、ソフィアの唇はギルバートのそれに塞がれた。