令嬢は黒騎士様の役に立ちたい4
午後はカリーナと共にギルバートの私室と執務室へ行き、それぞれの旧道具の手入れの方法について教わった。しかしそれ自体は難しいことはなく、煤を払い磨いてオイルを足す等、ソフィアにとってはやり慣れた作業だった。ただ、魔道具を使うと劣化が早くなるとのことで、掃除用具自体が旧道具だ。ソフィアにはありがたいが皆に不人気なのも頷ける。
「──ソフィア、上手いじゃない。やり残しが無いようにリストを確認するのだけ忘れないでね。浴室は担当の子がいるから、やらなくて大丈夫よ」
「あ、うん。ありがとう」
「そんな、良いのよ。あとは……仕事が終われば、ギルバート様の担当以外は休んで良いことになってるの。担当は、メイドは週毎の当番制よ。大抵のことはご自身でなさってくださるし、ハンスさんがいるから、お出迎えと夕食の配膳くらいしかすることないんだけどね」
確かにギルバートが帰宅して以降、ほとんどメイドや従僕を見ることがなかったように思う。そうするようにしているのだろう。小さな気遣いだが、使用人がゆっくり休めるようにとの思いが伝わってくる。
「当番のときはいつもより仕事が終わるのは遅くなるけど、その分夜食が付くからちょっと得した気分になるのよ。ソフィアも当番のときに食べてみると良いわ、美味しいから」
「──そう、なんだ」
説明を聞く度、ギルバートの優しさを見せつけられているような気がした。上の空で返事をすると、それを察したのかカリーナが腰に手を当てて胸を張る。唇を尖らせる仕草もソフィアには可愛らしく見えた。
「また何か考えてたわねっ! ……まあいいわ。そろそろ終わりの時間だし、片付けて戻りましょう。お腹空いちゃった」
明るく言うカリーナにソフィアも頷く。急いで片付け、サルーンにいるメイド長に今日の報告をして仕事を終える許可を得た。
夕食は準備室で厨房から受け取り、地下の使用人ホールで食べるらしい。仕事内容によって時間はばらばらで、ソフィア達はギルバートの不在の時間を狙って作業をする分、少し早めのようだった。
「──ソフィアさんはいらっしゃいますか?」
夕食を食べ終え食器を厨房に戻した後、ソフィアはどうして良いか分からず使用人ホールの端で一人、椅子に腰掛けていた。カリーナは片付けてすぐに自室へ戻ってしまっている。ギルバートに呼ばれているが、いつ行けばいいのか分からなかった。ギルバートの帰宅の連絡が使用人ホールに届いてから、しばらく経っている。そうして迷っていたソフィアを呼びにきたのはハンスだった。
「ハンスさん、お疲れ様です」
ソフィアはすぐに立ち上がり、ハンスの元へと駆け寄る。ハンスはメイドの制服を着たソフィアを見て、小さく嘆息した。
「……お似合いです、制服」
「あ……ありがとうございます?」
語尾が疑問形になってしまったのは、ハンスが困ったような顔をしていたからだ。首を傾げたソフィアに、ハンスはすぐに笑顔を見せた。
「いえ、ご一緒にいらしてください」
踵を返したハンスについて使用人ホールを後にし、階段を上っていく。ソフィアの心の準備ができる前に、ハンスがギルバートの私室の扉を開けてしまった。
「ギルバート様、ソフィア嬢をお連れしました」
「──おかえりなさいませ、ギルバート様」
ギルバートは、私的な来客対応にも使う手前の部屋のソファーで書類を睨んでいたようだったが、二人の声に顔を上げた。相変わらず表情はほとんど変わらないけれど、僅かに眉間に皺が寄ったような気がする。
「──では、私は失礼致します。ギルバート様、おやすみなさいませ」
ハンスが逃げるように部屋から出て行った。時刻はもう夜で、私室にはギルバートとソフィアしかいない。ギルバートは徐に立ち上がり、ソフィアの側まで歩いてきた。見つめたまま動けずにいるソフィアは、今日知った様々なことを思い出している。部屋着姿のギルバートの右手首には、白金の腕輪はないようだ。ソフィアはギルバートに手を取られ、僅かに頬を染めた。
「ソフィア、今日は何もなかったか?」
その言葉は昨日まで毎晩繰り返された問いだった。いつもなら、はい、ありがとうございます、と返している。恥ずかしくて俯いてしまい、あまり広がらない会話になるのが常だった。
「──今日は初めてのお仕事でした。ありがとうございます。……旧道具の管理を私の仕事にしてくださったの、ギルバート様ですよね?」
きっとソフィアが魔力が無いことで困らないようにと配慮してくれたのだろうと思った。
「いや、構わない」
愛想無く返すところはいつものギルバートだが、どこか嬉しそうに聞こえるのはソフィアの気のせいだろうか。またも俯いてしまいそうになるのをぐっと堪えて、ソフィアはまっすぐにギルバートの藍色の瞳を見た。部屋の明かりは、今日ソフィアが手入れをした旧道具だ。魔道具の明かりより揺らいでいるそれは、今のソフィアの心を表しているようだった。
「……お伺いしてもいいですか?」
「何だ」
「ギルバート様は、私と話すとき……どうして手に触れるのですか?」
ソフィアの質問に、ギルバートは珍しくそうと分かるほどに動揺を見せた。狼狽えているのか、瞳が揺れる。ソフィアはギルバートに握られている手を、勇気を出して小さく握り返した。
「──何か聞いたのか」
分かりやすく逸らされた目に、ソフィアは聞いてはいけなかったかと後悔する。しかし無かったことにはできないことも分かっていた。
「申し訳……ございません」
思わず俯くと、ギルバートがいくらか表情を緩め、手を引いてソフィアをソファーへと誘導した。素直に従えば、座らせた隣にギルバートも腰掛けてくる。急に近くなった距離に頬は染まるが、ソフィアは顔を上げられないままだった。