令嬢は覚悟を決める4
「そう? ソフィアは随分奥様らしくなったわよ」
「そうかな? ……ありがとう、カリーナ」
あと数日で邸に泊まる者達がやって来る。それだけでも緊張するというのに、その中にビアンカもいると思うと、ソフィアはどうしても落ち着かなかった。
最後にしたビアンカとの会話を思い出す。ソフィアに最初からいなければ良かったと言ったときのビアンカの顔は、張りつめていた何かが壊れてしまったようだった。
あれを最後にはしたくなかった。
夢の中で今も冷たい目でソフィアを見下ろしているビアンカ。もしそれがソフィアの中で形作られてしまったものだとしたら、縛られ続けるのは滑稽だ。何より、新たな場所で頑張っているであろうビアンカにも悪い。
「それにしても、思い切ったわね。その従妹の子、貴女を苛めてたんでしょう? 私なら、一生会いたくないわ。ここに入れるのだって、ソフィアが良いって言わなければ絶対嫌なのに」
カリーナが、頬を膨らませて不本意そうな声を上げる。
ソフィアはその口ぶりに、思わず小さく笑った。
「もう、カリーナったら。……でもね、叔父様達のことがあって、何かが変わったかもしれないとも思っているの。もしそうなら、確かめたい」
ソフィアは庭師が手入れして花壇いっぱいに咲かせたコスモスの花に、そっと近付く。太陽の光を浴びて輝いている色とりどりのコスモスが、もっともっととせがんでいるようだ。少ししゃがんで指先で触れると、黄色い花弁が小さく揺れた。
カリーナが少し急ぎ足で近付いてきて、ソフィアに日傘を差しかける。わざとらしく落とされた溜息は、ソフィアに聞かせるためだろう。
「仕方ないわね。何かあったら、必ず私に言いなさいよ! 本当、お人よしなんだから」
「そんなことないわ。お人よしなんかじゃ……ないの」
ビアンカにとっては、望まない呼び出しだろう。お人よしなら、わざわざ呼び出したりしない。
本当はビアンカとアルベルトのどちらも嫌だと言うことも、できないわけではなかった。ソフィアに問いかけたギルバートの顔には、不本意だとありありと書いてあったのだから。もしもソフィアがビアンカにもアルベルトにも会いたくないと言って泣いたら、ルグラン伯爵には悪いが、ギルバートはきっとどうにかしてくれただろう。
「ソフィア……」
だが、それでは駄目なのだ。
今はどうにかなったとしても、これから先、フォルスター侯爵夫人として社交をする以上、敵意を持つ相手とも必ず接することになる。その全てから、逃げ続けるわけにいかない。できるだけ友好な人間関係を築くことも、敵意ある相手に侮られないようにすることも、大切な社交術だと家庭教師の先生が言っていた。
「私は、ギルバート様の妻だから。そうでしょう、カリーナ」
「そんなの決まってるじゃない」
カリーナが笑って頷く。ソフィアは肯定してもらえたことに安堵して、顔を上げた。
秋の花が咲き誇る庭園は、披露宴の会場としても使うために、美しく整えられていた。中でもこのコスモスは大広間から見える範囲の花壇全てに植えられていて、特に華やかだ。
この花のように、ソフィアも強く美しく咲かなければ。
覚悟を新たにしたソフィアは自室に戻り、客達の名簿の暗記をすることにした。一週間ほど前にハンスから渡されたそれには、一族の名前と簡単な似顔絵、そしてそれぞれの仕事や趣味などが分かりやすく書かれていた。覚えておけば、何かあっても安心、ということだろう。
カリーナが紅茶を淹れて、そっと机に置いてくれる。ソフィアはそれに礼を言って、名簿の文字を追いかけた。
「あら、これは……?」
そこには、赤いインクで注意を引く記号が書いてあった。
この名簿はフォルスターの一族のものだから、政敵などはいないはずだ。何が書いてあるのかとよくよく見ると、そこにあった名前は、ソフィアよりも少し上の年齢の令嬢である。
「──リリア・ジェレ?」
リリア・ジェレ。ジェレ子爵家の前当主の娘で、今は婿に爵位を渡し、子爵夫人となっているらしい。まだ若いのに当主夫妻となっているのは、親に問題があったか、不幸があったかのどちらかだろうと予測できた。
「それってジェレ子爵家の?」
ソフィアの呟きを聞いたカリーナが口を挟む。
「うん。カリーナ、何か知ってる?」
カリーナは何かを思い出そうとするように唸り声を上げた。
「うーん……ううん。ただ、宿泊予定の人だと思うわよ」
「そういえば……」
思い返してみると、このフォルスター侯爵邸に宿泊するのは、ルグラン伯爵家とジェレ子爵家の者達だと聞いた気がする。ビアンカのことがあって、すっかり忘れていた。それなら、宿泊のために印を付けておいたのだろうか。
「どうかした?」
「なんでもない。後でハンスさんに聞いてみるわ」
ソフィアは一旦その問題を忘れ、名簿の頁を捲った。