令嬢は覚悟を決める3
「婆さん、貴族だったの!?」
「煩いねえ。だったらなんだってのさ」
婆さんは何でもないことのように言う。
しかし、ビアンカは本当に驚いていた。この、葡萄酒のことしか頭にない、口が悪い婆さんが、貴族。
「ちなみに、爵位は……?」
ビアンカは恐る恐る聞いた。
「伯爵だよ」
「伯爵ぅ!?」
それなら、アルベルトの実家と同じ家格だ。
ビアンカはアルベルトの父親が苦手だった。人を見下して品定めするような目。あれを何度も向けられて、好きになれるはずがない。それに同じ貴族でも、やはり伯爵以上は特に力があるとして一目おかれがちだ。
ビアンカにとって伯爵のイメージはアルベルトの父親だ。婆さんが同じだと知って、咄嗟にこれまでの言動を省みる。しかし、とてもではないが、伯爵と話すに相応しい態度ではなかった。
顔を青くするビアンカに、婆さんはふんと鼻を鳴らした。
「今更どうこう言うつもりはないよ。そういうのが面倒だからここで暮らしてんだ。……あんた、あと数か月でここに来て一年になるってのに。自分がどこにいるかぐらい、気にならなかったのかい」
「そ、そんなの。侯爵領のどこかだとばっかり……」
別にどこに行くわけでもないのだから、知る必要を感じていなかった。
そうありありと書いてあるビアンカの顔を見て、婆さんは呆れたように首を振った。
「間違っちゃいないが。一応、ここはフォルスター侯爵領だからね。でも管理を任されてるのは私だ。こんなんでも私は、ルグラン伯爵なんだ。だからここは、ルグラン地方と呼ばれているんだよ」
「ルグラン地方……」
ビアンカは、レーニシュ男爵令嬢として過ごしたときの価値観をひっくり返されたように感じた。
男爵領は一つで、そこを父親が治めていた。それだけだった。大貴族というのは、複数の領地を持ち、土地ごとに管理を任せているのか。それも一族とはいえ、伯爵などという高位の貴族に。
ビアンカは勉強が嫌いだ。だからこれまで、知る必要を感じていなかった。
領地を持たない貴族がいるのも、一族で別の名を名乗ることも、何もおかしくはないのだが、ビアンカは知らなかった。
「そうだよ。──まあそれで、私も会合と披露宴に呼ばれたんだけどね。まさかあんたら二人だけここに残して行くわけにいかないだろう」
「別に構わないわよ」
婆さんがいなくても、別に一、二週間くらいならばどうにかなるだろう。婆さんから簡単な料理は仕込まれているから、飢えることもない。
「いんや、心配だねえ。なにやらかすか気が気じゃなくて、結婚祝いどころじゃないよ」
婆さんはビアンカが落としたままだった葡萄を拾い、軽く土を落としてから籠に入れた。
「……っ」
「だから、あんたには私と一緒に王都に来てもらって、その間あっちの坊ちゃんには領主館で雑用でもやらせとこうと思ってね」
婆さんが椅子の向きを戻し、作業を再開した。説明は済んだから、これ以上話すことはないということだろう。
しかしビアンカはまだ納得していない。
王都に行くということは、犯罪者の娘として見られるということだ。しかも王都に行く機会が来るとは思っていなかったから、肌や髪の手入れもすっかりさぼっている。
今の姿をかつての知り合いに見られるのは絶対に嫌だった。
「アルベルトを王都に連れてけば良いでしょう? 何で私なのよ」
「あっちがあんたの方が良いって言ったんだから仕方ないだろう。別に人前に出ろっていうわけじゃないんだ。うだうだ言うのはやめとくれ」
あっちというのはギルバート達のことだろう。ソフィアと結婚したギルバートが元婚約者のアルベルトを邸に入れたがらないのは当然だ。
ビアンカは反論が見つからなくて、唇を噛んだ。
「──あ、そうだった」
「なによ」
婆さんが手元の葡萄から一粒取って、ビアンカの口に押し付けた。
ビアンカは咄嗟に口を開ける。葡萄の芳醇な香りが鼻に抜け、口いっぱいに甘さが広がった。酸味が強めなのは、これが葡萄酒用に栽培された品種だからだろう。
「あんた、王都では侯爵邸に世話になるからね。くれぐれも馬鹿なことするんじゃないよ」
「はああああぁ!?」
ビアンカは婆さんの言葉を理解して、両手で顔を覆った。
◇ ◇ ◇
フォルスター侯爵邸の準備は、着々と進んでいた。
全ての招待状の返事が届き、宿泊者の部屋も決まった。サルーンや食堂の調度を見直し、当日の飾り付けについても綿密な打ち合わせを重ねている。
ソフィアはどこか落ち着かない気持ちで、いつもより慌ただしい邸を出て、庭園を散歩していた。
「もうすぐだわ。なんだか……不思議な気分」
結婚式から半年。一族の会合が終われば、ソフィアとギルバートの結婚披露宴が待っている。結婚式がささやかなものだったので、披露宴は華やかなものになる。幸いこの侯爵邸は広く、大広間だけでも中規模のパーティーを行うには問題ない。今回は更に中庭まで使うらしい。
ソフィアとギルバートの結婚式のためにそれだけの数の貴族が動くとなると驚くが、この機会にフォルスター侯爵家に友好を示したい者がいるのだろう。普段マティアスの護衛として以外で夜会に参加することが少ないギルバートだからこそ、会話ができる機会は貴重だ。たとえその能力が恐ろしくても、歴史ある侯爵家は放置できないということか。
このような機会に、改めてギルバートの立場と、自身の立場を突きつけられるようだ。