令嬢は覚悟を決める1
◇ ◇ ◇
ギルバートは、隣に座ったソフィアの様子に僅かに安堵した。
医師との診察の後から、ソフィアの肩から少しだが力が抜けたように思える。ギルバートは、診察後に医師から話を聞いたハンスから報告を受けていた。一朝一夕にどうにかできることではないとのことだったが、少なくとも、ソフィアと共に戦う方法が見えたことは、ギルバートにとって非常にありがたかった。
以来、ギルバートはソフィアが魘される度に抱き締め、会話をし、安眠効果のあるハーブティーを手ずから淹れている。
また、招待状を全て送り終えたことも大きいだろう。妻の仕事だからと、代筆をせずに全員分書ききり発送を済ませた招待状は、少しずつ返事が届いている。
それらはハンスがまとめてくれているので、今は、ソフィアにも穏やかな日常が戻ってきているはずだ。
「──……ソフィア」
今日ハンスがギルバートに持ち込んだ相談は、ソフィアの意見を聞かずに答えを出すことが難しかった。だから、今夜尋ねてみようと思っていたのだが、この様子を見ると、憂いを与えたくないと躊躇してしまう。
「ギルバート様?」
小首を傾げたソフィアが、ギルバートの言葉の続きを促した。
ギルバートは迷いを振り切り、テーブルの隅に置いていた封筒を手に取った。ハンスから預かっていたのだ。一見何の変哲も無い白い封筒の端には、フォルスター侯爵家の紋章とよく似た、ルグラン伯爵家の紋章が描かれている。
「先日届いた招待状の返事なのだが、見てもらえるか」
差し出すと、ソフィアは両手でそれを受け取った。既に開封されている封筒の中から手紙を取り出し、始めから順に目を通していく。
定型の挨拶文、出席の返事、宿泊の依頼、そして。
ソフィアは、小さく息を呑んだ。
「ビアンカとアルベルト様……ですか?」
困惑に揺れる瞳を見ていたくなくて逸らしたくなる視線を、ギルバートはあえて変えなかった。そこに悲哀の色が浮かぶことがないかと、じっと窺う。
「ああ、どちらかをここに泊まらせることになる。ソフィアは……どちらが良い」
「そうですね……」
しかしソフィアはギルバートが恐れた感情をいっさい漏らさず、代わりにどこか晴れやかな表情をした。
「──ビアンカと、もう一度会いたいです。ギルバート様がお許しくださるのなら、ですが……今なら、きちんと話ができるかもしれない、と、思いまして」
「そうか」
ギルバートは短く返事をした。驚いて、それ以上の言葉が続かなかったのだ。
ここ最近悪夢に悩んでいると言うソフィアは、今も夜中に目を覚ますことがよくある。それなのに、悪夢に出てくる相手と、話がしたいと言うのだ。確かに、今のビアンカと会うことで何かが変わるかもしれない。それでも、それを自ら選択できるだけの強さを、ソフィアは持っていた。
揺れるランプの明かりを映した深緑色の瞳には、確かにそれだけの強さがある。
「あの」
ソフィアが、ギルバートの表情を窺っている。ギルバートは思っていたことをそのまま口にするのを躊躇い、代わりにもう一つ懸念していたことを話すことにした。
「いや。アルベルト殿とソフィアが顔を合わせるのは、と、思っていた」
自身の心の狭さを露見させるようだが、こちらについて安堵したのも確かだ。
「ええと……?」
「私も、妬くことがあるらしい」
そう言うと、突端にソフィアの頬が赤く染まった。
「ギ……ギルバート様っ!?」
途端に可愛らしい表情で慌てたそぶりをするソフィアから、ギルバートはさらりと手紙を奪った。それをテーブルの上に放る。そして空っぽになったソフィアの両手に、自身の指を絡めて繋いだ。
「おかしなことでもない。私は、お前を愛しているのだから」
「あ……う」
掌まで熱くなったソフィアが愛おしくて、ギルバートは腕を引いた。前のめりになった身体が、ギルバートの胸にぽすんと収まる。繋いだ手を右手だけ離して、背中に回す。左手を解くことは、勿体なくてできなかった。
「では、ビアンカ嬢を同伴するよう返事をするが良いか。……客人ではないのだから、無理に話をする必要も無いが、もしソフィアが会いたいのなら時間をとろう。そのときは、私も同席させてほしい」
「……ありがとうございます」
つぶやくように漏れた声には喜色が混ざっている。それに安堵したギルバートは、肩の力を抜いた。
ソフィアが小さく笑い声をあげている。胸元で揺れる息が少し擽ったい。
そっと穏やかに口角を上げたギルバートは、握った左手の指でソフィアの手の甲を撫でた。
「私も、ギルバート様のことは愛していますから」
ソフィアが嬉しそうに、楽しそうに、そう言った。
予想外の愛の言葉に、ギルバートはソフィアを強く抱き締めた。今顔を上げられてしまったら、情けない顔を見せることになるだろう。
ギルバートは熱を持った頬を冷ますように、ゆっくりと目を閉じた。