令嬢は黒騎士様を支えたい6
「──すまない」
ギルバートの声は、無理に感情を押し殺したように平らな音だった。それが腕の強さと結びつかず、ソフィアは困惑する。
「ギルバート様が、そのように仰ることはありません……私が」
「ソフィアは悪くない」
ギルバートがソフィアの肩口に額を寄せた。薄い夜着のせいで、どうしてもいつも以上に体温を強く感じる。ソフィアは、先程まで寝台にいたために温かかったはずのギルバートの身体が冷えてしまっていることが気がかりだった。
「でしたら……ギルバート様も、です」
ギルバートが何に謝ろうとしているのか、ソフィアは分かっていなかった。それを知ってか知らずか、ギルバートが言葉を続ける。
「いや。私が気付くべきだった。ソフィアを『守る権利』を得ているのだから、身体の安全以外も気にかけてしかるべきだ。……眠りが浅いのなら、日中無理をすることはない、ゆっくり休めばいい。邸には使用人もいるのだから、お前の仕事も──」
「ギルバート様……っ!」
ソフィアはギルバートの胸に両腕を突っ張って、自身を守ろうとされた腕の中から脱した。
そして、気を抜くと零れてしまいそうになる涙を、必死で堪える。それでは駄目なのだ。それでは、ソフィアのこの気持ちの行き場がなくなってしまう。
「お止めください。私は……私は」
勢いのままに飛び出した言葉は意味も無く、続ける言葉に迷う。頭の中で思考が渦を巻いて、どう言えば良いのか分からなかった。
「ソフィア?」
ギルバートが怪訝な顔をしている。
ソフィアは、感情を落ち着けるようにゆっくりと深呼吸をした。それから、ゆっくりと口を開く。
「──……守られるだけじゃなくて、ギルバート様の、隣に……立ちたいのです。だから、そんなこと、言わないでください……」
それは、隠しきれない本音で、ソフィアがギルバートから貰った自信でもあった。
ソフィアは何度も願ってきた。ギルバートの隣に相応しい自分でありたい、と。
ギルバートに守られてこうしていられるのだということは分かっている。これまでも、何度も、何度も、ギルバートに守られてきた。
ギルバートがソフィアを守るために提案したことでも、ソフィア自身がギルバートとのこれからのためにできる貴重な仕事を、他の人には譲りたくなかった。相手がたとえ、使用人であっても。
『フォルスター侯爵夫人の仕事』は、ソフィアのものであって欲しかった。
「しかし」
眉間に皺を寄せたギルバートは、一見不機嫌そうだ。しかし、まだ短い時間とはいえ、二人の時間を重ねてきた今のソフィアには、その表情から、ギルバートがただひたすらにソフィアを心配してくれているのだと分かった。
ならばソフィアにできることは、ギルバートを安心させることだ。
「お願いします。……大丈夫です。私、もっと強くなりますから。だって、私、ギルバート様の……妻、なのですから」
強がりでも丁寧に作り上げた笑顔を見せれば、ギルバートが目を見張った。
瞳の中の藍色に、困惑と、同じだけの喜びが浮かんでいるように見えるのは、ソフィアの期待のせいだろうか。
少し上にある藍の双眸をじっと見つめる。ギルバートは少ししてから、諦めたように嘆息した。そして、仕方がないという気持ちを隠さず苦笑する。
ギルバートの手が、ソフィアの頭に軽く乗せられた。
「ありがとう、ソフィア。すまなかった。──だが、念の為に医師の診察は受けてほしい」
「はい。ありがとうございます、ギルバート様」
ソフィアは認めてもらえたことが嬉しくて、今度こそ本当の笑顔を作ることができた。
「これまでの心理的負荷によるものでしょう。直後でなく、少し落ち着いた後から症状が発生することもありますので」
ギルバートが手配した医師は、いつかも会ったことがある中年の女だった。ソフィアが森でギルバートに拾われた後、傷を診てもらった。そう昔のことでもないのに、なんだか随分前のことのように思える。
今、ギルバートは仕事に行っており、部屋にはソフィアと医師だけだ。だからだろう、緊張してはいても、自然と口は軽くなる。
「そういうものなのですか……私」
思わず漏れそうになった言葉を切って、ソフィアは俯いた。
「なんでも言ってくれて良いのですよ、お嬢さん。……あ、もう奥様でしたね」
医師は柔らかな雰囲気を変えることなく、元から上向いていた口角を更に上げた。
「そんな、私には至らないことばかりで……」
「そうでしょうか。侯爵様のお話をお聞きする限り、奥様は十分にそのお務めを果たしていらっしゃると思いますよ」
「そうでしょうか?」
「はい。奥様の仕事は、一番に旦那様を愛し、愛されることですから。当然政略の場合はこの限りではありませんが……侯爵様は最近、早くお帰りになることが増えたご様子。……奥様のお陰でしょうね」
医師の言葉に、ソフィアは思わず頬を赤く染めた。