令嬢は黒騎士様を支えたい2
◇ ◇ ◇
「お前さん、随分戦い方が変わったのではないか?」
「──そうでしょうか」
ギルバートは馴染みの武器職人の笑みに、小さく息を呑んだ。
とはいえ、少々の動揺ではギルバートの表情が動く筈もない。冷徹な『黒騎士』の通り名に違わぬ氷のような無表情が、その顔に貼り付いている。
以前アーベルにも言われたことがある。そのときには気付かなかったが、今になって思えば、やはりソフィアと出会ったことが大きいのだろう。特に結婚し夫婦となってからは、万一のことがあってはソフィアを悲しませてしまうと思うと、かつてしていた危険だからと上司に咎められるような無茶はしなくなった。同時に、部下の訓練にこれまで以上に時間を割くようになった。
「ああ。お前さんの剣も喜んでおるわ。良い変化だから、大切になさるとよい」
近衛騎士達は皆、自分の武器を持っている。最も使用している者が多いのは長剣だが、他にも弓、槍、大剣、短刀等、様々だ。その種類の多さは戦い方の幅広さに繋がる。ギルバート自身も好んで長剣を使っているが、他の武器の鍛練も基本はこなしていた。
まして王太子であるマティアスの側近くに仕えているのだ。万一のときに長剣が無いから戦えないとなっては本末転倒である。魔法があるためその可能性は限りなく低いが、訓練とはそういうものだ。
「ありがとうございます」
ギルバートの使用している長剣はその戦闘スタイルに合わせ、魔力親和性の高い特殊な鉱石を一部に使用している。剣の腕に自信がある魔法騎士のためともいえるその剣の整備は、街の武器屋ではできない。
こういった特殊武器を使用しているのはギルバートだけではない。ここは、魔法騎士も精鋭揃いと名高いアイオリア王国の近衛騎士団だ。
多種多様な武器に対応するため、近衛騎士団には定期的に国一番の武器職人とその弟子達を呼び、団員達が武器の整備を依頼できるようにしていた。
ギルバートは改めて目の前で艶を増していく自身の愛剣を見つめた。
刃毀れはしていない。そもそもギルバートが魔法で強化して使用する剣が、刃毀れする筈がない。
「研ぎ直しだけしておきましょう。そこに座って待っていてください」
ギルバートは椅子に座り、ほっと小さく息を吐いた。
「今日は何があった?」
二人きりの部屋で、ギルバートがソフィアに問いかける。ソフィアの右手に左手を包むように重ねると、優しい温もりと、ほっそりとした小さな手の感触だけを感じた。
肩と肩が触れ合う距離、手はギルバートの腿の上だ。
結婚してもうすぐ半年になるが、出会った頃からの習慣は続いていた。違うことは二人の距離と、服装だ。互いに距離を測りかねていた頃と違って、今はすぐ隣にいる。この後共に寝室で眠るため、二人とも夜着姿だ。
男にはない柔らかな素材の可愛らしい夜着に大きなストールを巻き付けたソフィアは、ギルバートの常は平静な心に波風を立てるのに充分だ。しかしギルバートとて、ソフィアと語り合う時間を大切にしたい。
ましてソフィアは、少し前、隣国エラトスとの戦争に巻き込まれ、第二王子であるヘルムートによって誘拐、監禁されていた。今は当時第一王子であったコンラートが国王となり、荒れた国家の建て直しを図りつつアイオリアとも友好な関係を築いていこうとしているが、だからといって、ソフィアの心の傷が癒えるわけではない。
いまだにソフィアが繰り返し悪夢に悩まされていることを、ギルバートは知っていた。目の下に刻まれた隈は、眠りが浅い証拠だ。同じ寝台で眠っているのだから、他人の気配に敏感なギルバートが、ソフィアが魘されていて気付かないはずがない。
しかしソフィアはギルバートに気付かれたくないのか、その悩みを告げてくれない。夜中魘されて起きては、眠っているギルバートに擦り寄るようにして目を閉じ直すのだ。
ソフィアに内緒で医師に相談したところ、不眠ならば薬もあるが、夢見は心の問題なので、時間に解決してもらうしかないと言われてしまった。
今ギルバートにできることは、こうしてできるだけ側にいて、少しでも傷を癒やしてやることくらいだ。
「今日は、お義母様とお茶をしました。披露宴の準備のことを心配してくださって……今度の衣装合わせにはご一緒してくださるそうで、少し安心です」
ソフィアが安心していることが分かる柔らかな笑顔をギルバートに向ける。その深緑の瞳の中に嘘が無いことに、ギルバートは内心でほっと息を吐いた。
「──そうか。困ったことがあれば、いつでも言え」
「はい……」
ソフィアが頭を傾げ、ギルバートの肩にゆっくりと乗せた。甘えるようなその仕草は愛らしいが、表情が見えなくなることに酷く不安になる。
「ソフィア、私は──」
お前を守れているのだろうか。
らしくもない弱気な言葉を呑み込んで、ギルバートは小さく首を振った。口に出してはいけない。必死で隠そうとしていることを暴いてしまうことは簡単だが、それで解決する訳ではない。
一人で敵国にいたのだ。心細い思いも、怖い思いも沢山させてしまっただろう。悪夢に取り憑かれるのも仕方がない。急いてもどうにかなることではない。
分かっていても、何もできないことが歯痒かった。
「ギルバート様?」
「いや──……無理はするな」
ギルバートは繋いでいない方の手で、ソフィアの長い髪を梳くように撫でた。良く手入れされた薄茶の髪が、さらりと指先から逃げていく。ソフィアが胸の前に零れていく髪に目を向ける。それが落ちきるより早く、ギルバートはソフィアを抱き寄せた。
突然の抱擁にソフィアは小さく震えたが、すぐに力を抜いてギルバートに身体を預けてくる。甘い香りが鼻をついた。
こんなに触れているのに、ソフィアの心だけは見ることができない。それが嬉しくて、同時にとても悔しかった。
ギルバートは堪えるようにぎゅっと目を瞑り、頼りなげにも見える細い首筋に顔を埋めた。