エピローグ
「ソフィアちゃん、大変だったわね」
エミーリアがソフィアに微笑みかけてくる。その態度は以前と全く変わっていない。顔には労りの気持ちが浮かんでいて、ソフィアは申し訳なく眉を下げた。
「エミーリア様にもご心配をおかけしました。ですが、もう大丈夫なんですよ」
以前エミーリアに招待された茶会のときと同じ温室だ。花はもうそのときとは変わっていて、しかし相変わらずとても華やかで明るい雰囲気だ。
「そんな。あんなに大変なことがあったのよ、強がることはないわ」
エミーリアが視線をちらりとソフィアの背後に向けた。そこには、ギルバートがマティアスと向かい合って座り紅茶を飲んでいるという、非常に珍しい光景がある。ソフィアが小さく首を動かして様子を窺うと、ギルバートがエミーリアからの視線に気付いてすうっと目線を横にずらしていた。マティアスもどこか居心地悪そうに苦笑している。
「──……本当に、この国の男達は頼りにならないわね。事が起きてから、女の子が巻き込まれてからでないと動けないのだから」
「エミーリア様……っ、私は感謝しているんです。ギルバート様が助けにきてくださらなければ、私は──」
「侯爵も侯爵よ。守るんじゃなかったのかしら」
エミーリアはぴしゃりと言う。ギルバートが茶会という場に相応しくなく、がたりと大きな音を立てて立ち上がった。その背をすっと伸ばしたまま、ギルバートは綺麗に腰を折る。
「申し訳なく思っております。自らの不徳の致すところです。──ソフィアの許しがなければ、もう側にはいられないと思っておりました」
「そんな……っ」
ソフィアはギルバートの言葉に顔を青くした。
「ギルバート様、そんなこと仰らないでください! 私はずっとお側に……っ」
「ねえ、殿下?」
エミーリアがきっと睨むような目をマティアスに向ける。マティアスは頷き、溜息を吐いた。
「ソフィア嬢、今回は巻き込んでしまったが、次はもうない。信じてほしい」
立ち上がって姿勢を整えたマティアスが、ソフィアにまっすぐ視線を向けてくる。
「そんなっ!」
ソフィアはあまりに恐れ多く、慌てて首を左右に振った。エミーリアが満足したように頷く。
「……ソフィアちゃんがびっくりしちゃったから、二人とも座って。ねぇ、ソフィアちゃん。今回の件は広がらないように手を打ってあるから、心配しなくて大丈夫よ。王城内でも、限られた人達しか知らないわ。──そうね、詳しく言えば、私と殿下、陛下達の他には、近衛騎士団第二小隊の人達しか知らないの」
近衛騎士団第二小隊は、ギルバートの隊だ。王族と彼らしか知らないと言うのなら、確かに広まることはないだろう。
年頃の女性が拐われてしまったとなれば、社交界では醜聞だ。本来ならば何もなかったでは済まない。今回はソフィアの身が無事であり、それをギルバートがその能力による取調べで知ることができ、かつ侯爵家の皆がそれを信じているからこそ、ソフィアはフォルスター侯爵家に帰ることができたのだ。
「だから、安心して社交界に戻りなさい。しばらくの間社交界に顔を出していなかったことも、侯爵の仕事が忙しかったと言えば誰も疑わないわ」
「お気遣いありがとうございます、エミーリア様」
ソフィアはやっと緊張が解れた笑顔で言った。それを見て、安心したようにマティアスとギルバートも腰を下ろす。
エミーリアは優雅な所作で紅茶を一口飲むと、艶やかな笑みを浮かべて、手元にあったレース柄の封筒をソフィアに差し出した。
「じゃあ、これを貴方にあげるわ」
「これは?」
ソフィアは咄嗟に受け取って、まじまじと封筒を見る。それは上質な紙で、王家の印が押されている。
「夜会の招待状よ。再来週の藤見の宴。──折角だもの。侯爵と一緒に参加なさい。良いわよね、殿下?」
「当然だ。ギルバートには当日休みをあげるから、ソフィア嬢をしっかりエスコートするんだよ」
藤見の宴は、夏の始まりを祝う宴だ。王城の庭園にある藤の花がライトアップされ、とても美しいという。ソフィアも話だけは聞いたことがあった。
期待を込めてギルバートに目を向けると、ギルバートがソフィアに柔らかな視線を返してくる。
「ありがとうございます、殿下。喜んで休ませて頂きます。ソフィア、当日は共に行こう」
これはたくさん我慢してきたソフィアへの褒美だろうか。それとも埋め合わせだろうか。どちらにしても、とても嬉しかった。
「──はい、楽しみですっ」
そして今日、夜会の準備を終えたソフィアは、ギルバートのエスコートで王城へとやってきた。
ソフィアが着ているのは、艶やかなシルクの生地を使った淡い紫色のドレスだ。スカート部分には、裾からグラデーションに見えるように白い糸で藤の花の刺繍が入れられている。更に、控えめに小さな宝石が散りばめるように縫い止められていた。少し大胆に背中を見せる大人びたデザインだが、あえて露出を抑えた胸元と相まって、上品な色気がある。
ギルバートはその露出を少しでも隠そうとするかのように、腕を背中に回すようにしてソフィアの腰を支えていた。
「──やはり、別のドレスにするべきだったか」
小声で呟いたギルバートに、ソフィアは首を傾げた。
「……このドレス、似合わなかったでしょうか?」
カリーナとメイド長の見立てで選んだドレスだった。背中の露出は気になったが、夜会だから構わないと二人に推されて決めたものだ。ギルバートもデザイン画を見て、納得していたようだったが。
「いや、良く似合っている。今日の夜会にも相応しい装いだ。だが……」
「……?」
「デザイン画の、背中側を隠されていた。──他の男にソフィアの肌を見せるのは、少々腹立たしい」
珍しく直接的なギルバートの言葉に、ソフィアは頬を染めた。予想外の恥ずかしさに瞳が潤む。しかし、ソフィアもギルバートの藍色の瞳をまっすぐに見つめて言い返した。
「ギルバート様だって……皆に、見られてるじゃないですか」
今日のギルバートはソフィアの装いに合わせ、ブルーグレーの柔らかな色の夜会服に、淡い紫色のチーフを差している。ソフィアの装飾品もギルバートのブローチも、同じシャンパンガーネットの石を使ったものだ。
ギルバートにしては珍しい明るい色の装いは、その外見もあって、令嬢達の注目の的だった。
どんなに美しくても、冷徹で寡黙、更に心を読む能力があるからと敬遠されていたギルバートだが、ソフィアと結婚をした後は、観賞用として令嬢達からより人気だと、エミーリアが言っていたことを思い出す。
「皆が見ているのはソフィアだろう。──頼むから、あまり離れないでいてくれ」
「はい。お側におります」
ソフィアは頷いて、王城の庭園が見える広間へと足を踏み出した。
窓の外では満開の藤の花がふわふわと浮かぶ魔法の明かりで照らされ、美しく咲き誇っている。参加する貴族の多くがその景色に目を奪われていた。
「後で、こっそり外に出ようか」
ギルバートがソフィアの耳元で囁く。
「ですが、寒いのではありませんか?」
既に夏は目の前だが、夜はまだドレス一枚では冷える。ストールは馬車に置いてきてしまったから、羽織るものもなかった。
「──こんな時に使わずに、何のための魔法だ」
ソフィアは目を見開いて、はっとギルバートの顔を見た。その藍色の瞳の中には、珍しく悪戯な色がある。
「そう……ですね」
ソフィアも同じように笑みを返して、窓の外に視線を向けた。優しい理由で魔法を使うギルバートが、ソフィアは好きだ。
藤の花は大勢の注目を集めながら、踊る優しい光の中で咲き誇っていた。
これにて「後日談【騒乱編】」は完結です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
今後も番外編と後日談を追加していく予定です!
引き続き、ソフィアとギルバートの結婚生活にお付き合い頂ければと思います。
どうぞよろしくお願い致します(*^^*)