令嬢と黒騎士様は家に帰る5
ソフィアがギルバートとお茶の時間を楽しむことができたのは、それから二時間ほど経った後だった。
ソフィアがお茶の準備をしたのは温室だった。温室には元々先代侯爵夫人であるギルバートの母が使っていたテーブルセットがあった。いくらか古風なデザインのそれを、今はソフィアに合わせてカリーナがクロスと花で綺麗に整えてくれている。
「急かしてしまいましたか?」
「いや、私がソフィアと過ごしたかったんだ」
ソフィアの袖口には、さっき貰ったばかりの魔道具の飾りボタンがカフスボタンとして付いている。最初は恐ろしく感じたそれも、こうして装飾品となってしまえば可愛らしい。ソフィアは紅茶を口に運んで、手首できらりと光ったボタンに口元を緩めた。
「ありがとうございます。あの、これ……早速付けてみたんです」
「ああ。似合っている。普段付けても問題無さそうだな」
「はい」
ギルバートが軽く頷く。安心してくれたのだろうか。ソフィアはほっと溜息を吐いた。ギルバートが、指先でティーカップの縁をすうっと遊ぶように撫でた。視線はテーブルの上を彷徨っている。
「ソフィアは……その。私と結婚したことを後悔していないのか」
突然の質問にソフィアは息を呑んだ。正面にいるギルバートにまっすぐに目を向けると、ギルバートもまたソフィアを見ていた。自信がないのか、その視線は本心を探るようで、また同時にどこか縋るようでもある。
以前にも似たようなことを聞かれたとソフィアは思った。きっとギルバートにとって、不安なのだろう。ソフィアは胸を張って、あえて明るい声で言う。
「──後悔はありません。大変ですし、怖いことも辛いこともありますが、ギルバート様の隣が私の居場所です。それは、変わりませんから」
「ソフィア」
「それに、こんなに素敵な時間を過ごせる幸せは、ギルバート様と一緒だからですよ」
夏のはじめの温室は、甘い花の香りでいっぱいだった。外ではもう終わりの薔薇の花の重なり合う鮮やかな色が、目を楽しませてくれている。よく見ると、花弁がすっきりとしたものや、ドレスの裾のようにひらひらとしているものなど、形も様々だ。庭師が丁寧に手入れをしてくれているのが分かる。
「皆様から思ってもらえて、私、とっても幸せです。こんな日がくるなんて、思わなかった……」
帰ってきたソフィアを迎えてくれた侯爵家の使用人達、気を遣ってお茶に誘ってくれたエミーリア、ソフィアのためにと手を尽くしてくれたマティアス。そして誰より、必死でソフィアを救い出してくれたギルバート。他にも多くの人達が、ソフィアを心配してくれていた。
皆がいてくれたから、ソフィアはここにいる。何度も助けられながら、幸福だと笑っていられる。
「だから、ギルバート様が気に病むことは何ひとつありません」
微笑むと、ギルバートがティーテーブルの上のソフィアの手を取った。
「ありがとう。──私はお前を離してやることはできない。だから、逃げないでこれからも側にいてくれ」
その藍色の瞳の奥には熱があり、ソフィアの心を灼いていく。瞳の中にはソフィアの姿が映っていた。迷いのない姿に自信をもらう。
「勿論です」
ソフィアがギルバートの手を握り返す。温かく穏やかな体温が、掌を通して伝わった。
「それで、その……ギルバート様」
「どうした?」
「明後日のお茶会、ギルバート様も本当にいらっしゃるのですか?」
明後日はエミーリアから招待された茶会がある。ソフィアとエミーリアだけの私的な茶会だそうだ。ギルバートは仕事の予定のはずだが、顔を出すと言っていた。
「ああ。ずっと、というわけにはいかないだろうが。その日は予定では殿下の護衛の日だ。殿下は妃殿下の茶会に顔を出すと言っているから、私も一緒に行けるはずだ」
ギルバートの言葉に、ソフィアはほっと息を吐いた。
「そういうこと、でしたか」
ギルバートには仕事があるのに大丈夫なのかと内心で心配していたのだが、杞憂だったようだ。
実はその日の護衛の予定を他の隊員と代わってもらっているのだが、ギルバートはソフィアにそれを話すつもりはない。
「だから大丈夫だ。気にせず、楽しみにしているといい」
ギルバートの言葉に、ソフィアは頷いた。
「はい、ありがとうございますっ」
エミーリアからの招待状に是非伺うと返事をしてから、カリーナは大喜びでドレスを選んでいる。昼間の招待だからあまり華美にならないようにと思ったが、カリーナはそれを承知の上でソフィアに着飾らせるのを楽しみにしているようだ。露出の少ない上品なものから、似合うように選ぼうとしてくれている。
こうなると、ソフィアも楽しみになってくる。エラトスから帰って、ずっとこの邸の中にいた。久しぶりの外出、それもお洒落しての外出には、心が浮き立つ。
勿論、王太子妃であるエミーリアの招待だと思うと、緊張もするのだが。
「──ソフィアは可愛いな」
ギルバートが頬を緩めた。突然の言葉にソフィアは顔を赤くして、やっぱり今が幸せだと噛み締めた。