令嬢は黒騎士様と立ち向かう5
ソフィアは連れてこられた客間で深く息を吸った。さっきまで共にいたギルバートとケヴィン、トビアスは、コンラートに呼ばれて出ていった。残されたのは端に控えているメイドと、ソフィアと、ルッツと呼ばれていたエラトスの騎士だけである。ルッツは窓際に立ったまま、落ち着きなく庭の方を見ていた。
「あの……ルッツ様?」
ソフィアは勇気を出してルッツに声をかけた。ルッツはびくりと肩を揺らしてソフィアに顔を向ける。その顔色は何故か青い。
「は、はいっ」
「──ギルバート様は、ここではジルと名乗っていたのですか?」
ソフィアは気になっていたことを聞いた。ルッツは予想外の質問だったのか、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。しかし答えやすい質問だったのか、緊張して固まっていた表情が少し和らいだ。
「あの男はギルバートというのですね。はい、ここではジルと名乗って、王城内の郵便配達をしていました。明るくて、話しやすい良い奴ですよ。……それが、まさかアイオリアの人間で、貴族で、しかもあんな性格って──」
「郵便配達……ですか」
ルッツが困惑の目でソフィアを見る。ソフィアはルッツの言うような性格のギルバートを想像できずに首を傾げた。まして郵便配達で走り回る姿はより想像できない。
「あの、失礼ですが貴女は?」
ルッツがソフィアに目を向ける。名乗っていなかったことを思い出して、ソフィアは椅子から立って軽く礼をした。
「私はギルバート・フォルスターの妻、ソフィアでございます。騎士様、夫の手を取ってくださって、ありがとうございました」
あの場でルッツの戦力は微々たるものであったが、ギルバートはルッツがこちらを選んでくれたことが嬉しそうだった。ルッツは慌てたように首を振る。
「いえ、ソフィア様。俺はただ、これまで煮え切れずにいただけです。ヘルムート殿下の横暴を知りながら、それに違和感を覚えながら、今日まで何もできずにいたんです。だから、感謝するべきは俺の方で……って、待ってください。ギルバート・フォルスターって、あの、侯爵で、黒騎士の……」
「あ、そう呼ばれているって、本当なんですね」
ソフィアは実際にギルバートが黒騎士と呼ばれるのを初めて聞いた。強さと冷徹な戦いぶりから付けられたという二つ名は、ソフィアにとってはあまりしっくりくるものではなかった。
「あ、奥様を前に失礼でした! ですが、はい。まさかジルが黒騎士って」
「思いませんでしたか?」
「はい。魔法を使うところも見ていませんでしたし、性格も聞いていたものとは違って」
明るく話しやすい性格のギルバートは、ソフィアも想像できない。ギルバートが話しづらいという意味ではないが、そんなに人懐こい姿が普段と重ならないという意味だ。ソフィアが知る中では、ケヴィンのような人間ということだろうか。
「あ……そういうこと、ですね」
ソフィアは、ギルバートはケヴィンを参考にしたのだろうかと推測して小さく笑った。まだ複雑そうな表情のルッツに向けて、言葉を続ける。
「あの、ギルバート様は確かに変装をして、性格も偽っていましたけど……ルッツ様が見たギルバート様は、きっと偽物じゃないですよ」
「え──」
ルッツが驚いたようにソフィアに目を向けた。
「ご不安だったのかと思いまして。大丈夫です、同じ人です。──違ったらごめんなさい」
ソフィアの見当違いだっただろうか。もしかしたら、ルッツは寂しいのかと思ったのだ。気軽に接していたはずの男が、違う人間だったのだから。
「いえ、ありがとうございます。なんとなくもやもやしていたのですが……そう、かもしれません。ソフィア様は、素敵な方ですね」
ルッツが やっと顔をくしゃりとさせて笑った。
「──ルッツ。私に喧嘩を売りたいのか?」
瞬間、部屋の入り口の方から低い声がした。ソフィアはその声の持ち主が分かって、ぱっと表情を輝かせる。
「ギルバート様! もうよろしいのですか?」
立ち上がってギルバートの元に小走りで近付く。コンラートとの話し合いは終わったのだろうか。上目遣いに見上げると、ギルバートは僅かに口角を上げて頷いた。
「ああ。今日は王城に部屋を用意してもらえた。ソフィアもゆっくり休めるだろう」
「ありがとうございます、ギルバート様。あの……」
「私とソフィアは同室だ。構わないか」
ギルバートの言葉に、ソフィアは頬を染めた。
「──良かったです」
しばらくの間、ギルバートが借りているアパートメントでコンラートを含めた三人で寝泊りしていたのだ。二人はソフィアに寝台を譲ってくれていたが、やはり近くによく知らない人がいる状況ではあまり眠れていなかった。まして一人きりの寝台は、なかなか温かくもなってくれない。
「私は少し話がある。メイドが案内してくれるから、先に行って汗を流すと良い」
ギルバートがソフィアの頭を軽く撫でた。
「はい、ではお先に失礼しますね」
ソフィアがメイドと共に部屋を後にした。ギルバートは目を合わそうとしないルッツに向き直り、口を開く。
「ルッツでも、ソフィアを口説いたら許せる気がしないが」
ソフィアを素敵だと言っていた。聞き間違いであるはずがない。ギルバートは至極真面目に言ったつもりだったが、ルッツはぱっと顔を上げて複雑そうな顔をしている。
「そんなこと、する訳ないじゃないですか! 俺はただ、ジルが侯爵で。ええと……感謝したら良いのか怒れば良いのか分からなくて、ですね」
「お前は怒っても良いと思う。巻き込んですまなかった」
怒って当然だ。ジルとして接していて、潜入時は情報を聞き出すために都合よく使ったと思われてもおかしくない。確かに丁度良いと思って話を合わせたこともある。しかし本音で語ったことも、間違いなくあったのだ。ギルバートは、潜入先で知り合っただけの男にこんなに感傷的になるとは思っていなかった。同じ騎士ということで、無意識に重ねてしまっていたのだろうか。
「謝らないでください。俺、ジルと会えて良かった。──だから、侯爵様。ありがとうございました」
ルッツが頭を下げる。
「ありがとう、ルッツ」
ギルバートは顔を上げたルッツの清々しい表情を見て、笑った。