令嬢は黒騎士様と立ち向かう2
瞬間、キンと周囲の空気が冷えたような感覚があった。同時にヘルムートの声も、騎士達の靴音も、ソフィア達の周囲の音が全て消える。ソフィアは初めての感覚に戸惑った。ケヴィンとトビアスは慣れた様子だ。コンラートは興味深げに周囲を見渡しており、ソフィアとルッツと呼ばれた男だけが、状況が分からずに困惑している。
「ああ、ソフィア嬢。これは簡易の魔法防壁だよ、安心してね。副隊長、防音も重ね掛けしてるかー」
ケヴィンがソフィアの様子に気付いて声を掛けてくる。魔法防壁とは、つまりギルバートが使った魔法だろう。トビアスも頷き、剣は下ろさないまでも少し肩の力を抜いたようだ。防壁の外の騎士達は、そこにある見えない壁に阻まれてそれ以上近付くことができないでいる。
「お前はそれで良いのか、ルッツ」
ギルバートが正面からルッツを見る。ルッツは何が起きているのか、理解できていないようだった。
「え……あ?」
「……顔は同じだと思うんだが」
ギルバートが嘆息する。その表情はどこか残念そうでもあった。ルッツはまじまじと観察するようにギルバートを見る。しばらくして、驚きに目を見開いた。
「ジル!?」
ルッツは呼んだ後も確認するかのようにギルバートを見ている。その名前に、コンラートが思わずといったように笑い声を上げた。
「ああ、あれは分からないな。なにせ、髪の色も肌の色も、声すら違うのだから」
ルッツは親しげに笑うコンラートに驚き、思い切り身を引いた。ソフィアはルッツに同情し、思わず口を開く。
「……殿下、ルッツ様が驚いていらっしゃいます」
「そうか。すまなかったな」
コンラートはすぐに謝罪し、一歩引いた。無言になったその隙間を埋めたのはギルバートだ。
「──ルッツ。お前はその目で何を見、何を選ぶ。変わる権力や時流に阿って剣を振るうのが、お前の騎士道か? そんなもので、一体何を守ろうと言うのか」
「お、俺は……」
「お前が守りたいものは何だ」
ルッツが答えに窮して俯いた。瞬間、ギルバートが魔法防壁の防音を取り去る。ソフィア達の耳に、それまで聞こえていなかった防壁の外の音が聞こえてきた。
「何をしている!? 貴様ら、こんな壁一枚破れぬのか。これっぽっちの人数、さっさと捕らえてしまえ」
「しかし、殿下……」
「私に歯向かうのか?そんな命知らずがいたとは知らなかった」
不機嫌になっていくヘルムートと、弱気な騎士達。
「おい、お前。魔法使えただろう。さっさとこれどうにかしろよ」
「無理だ、魔力が違いすぎる」
「剣じゃどうにも……」
「ええい、さっさとしろ!」
癇癪を起こしたヘルムートの声が一際大きく聞こえる。その声は否応なくソフィアに過去を思い出させた。恐ろしかった。大きな声、怒り声。随分長い間触れていなかったような気がする。身体を縮めたソフィアに、ルッツの目が向けられた。
「あ……」
思わずといったように漏れたその声が、言葉にならない感情を物語っているようだった。
「──ヘルムート、いい加減にしろ」
コンラートが怒りをはらんだ声で静かに言い捨てる。ギルバートが警戒を強めるように、励ますようにソフィアの腕に触れた。
「証拠なら既にこちらの手の内だ。父上に盛った毒、私に罪を着せたメイド、侯爵夫人誘拐の共犯者、計画書……全て揃っているよ。それでもなお、お前はこんなことを続けるのか」
周囲にいる騎士達が困惑の表情を見せる。剣に迷いが生まれた。それは急速に人から人へと伝わっていく。騒めきのなか、ルッツが顔を上げた。
「俺は……俺は。この国を守りたくて、正しい道を歩んでいたくて、この道を選んだんだ。だから、自分が正しいと思う方に進むよ」
ルッツはそれまで下げていた剣を上げ、まっすぐにその先をヘルムートに向けた。ヘルムートはルッツの態度に、より怒気を強める。
「証拠だと? そんなもの、この場で取り上げてしまえば誰も知らないままさ。良いか、あの男の魔力だって無限ではない。そのうちこの防壁も消えるだろう。その隙にこいつらを捕らえ、一網打尽にするのだ。功労者には褒賞を与える。我が国に剣を向ける異国民を許すな!」
異国民と呼ばれた中には、当然ルッツも入っているだろう。しかしルッツはその剣を下ろさない。それどころか、震える声でギルバートに話しかけた。
「ジル。俺、信じるからな。お前のことも、殿下のことも」
「ああ」
短い返事の後、ギルバートはソフィアに視線を向ける。その藍色が、正面からソフィアの目を覗き込んだ。
「──ソフィア、何があっても、殿下と共にこの場を離れるな。私を信じろ」
ギルバートの自信に満ちた言葉に、ソフィアは少しの迷いもなく頷いた。
「はい」
ソフィアの言葉を合図に、ギルバートが剣を抜いた。ケヴィンとトビアスが目線を変えないまま小さく頷き、防壁の外側へと駆け出す。ギルバートも遅れを取らず、アイオリア王国騎士団の証である銀色の剣を振るった。