令嬢は黒騎士様の役に立ちたい1
「──私に、仕事をさせてください……っ」
ソフィアは何度目かになる主張をギルバートにぶつけた。今日はギルバートの休日で、私室ではギルバートとハンスが先程まで邸内の采配について話していた。ギルバートと二人のときには怪我が治ってからだと言われてしまったが、ハンスがいる今ならはぐらかされることもないだろう。ソフィアは会話が一段落ついたと思われるところで、勇気を振り絞って話を切り出した。二人の視線がソフィアに向けられる。ソフィアはスカートを両手でぎゅっと握り締めた。
「──ギルバート様、もう怪我は治りました。……何もせず置いて頂くのは心苦しいです。こんな私でも、何かお役に立てませんか?」
ソフィアがフォルスター侯爵邸のギルバートの部屋に世話になり始めて、もう一週間になる。靴擦れも切り傷も治り、またギルバートの部屋──ソフィアにとって不自由のない場所での生活で、心も少しずつ元気を取り戻していた。
知りたいなどと言われ身構えていたが、仕事で家にいることの少ないギルバートと話す時間はあまり無かった。ただ、侯爵家の使用人達は皆ソフィアに優しく、ギルバートは悪い人ではないという確信を持つことができた。
しかしそう思うにつれ、何もせずいる自分が本当にお荷物になっていると思わずにはいられなかった。ここに居ても良いという理由が欲しい。ギルバートの寝台をいつまでも借りている訳にもいかない。きっと騎士として働き疲れているはずのギルバートに、早く寝室を返したかった。そしてできるなら、助けてくれたギルバートの為に何かをしたかった。
「ソフィア、それは──」
「良いではありませんか」
無表情のままのギルバートの言葉を制したのはハンスだ。ソフィアははっと顔を上げる。思い詰めた表情になっているのは、自分でも分かっていた。
「──理由を」
ギルバートが鋭い目をハンスに向けた。ハンスは全く意に介さず、むしろ窘めるような口調だ。
「ギルバート様、このままでは彼女も居辛いでしょう。何よりこの家は今、人手不足です。下手に外で働かせるより安全ですし、ソフィア嬢が望んでいることですよ」
ギルバートは目を閉じ、先程までの話を反芻しているようだった。ソフィアはどきどきと落ち着かない気分でギルバートの一挙一動をじっと見守る。やがてギルバートは目を開けると、ソフィアに視線を向けた。
「そう、だな。──ソフィアはそれで良いか?」
ソフィアは瞳を輝かせて頷く。ギルバートはどこか不本意そうではあるが、ソフィアは一つ自分を認めてもらえたような気がして嬉しかった。
「はい……! ありがとうございますっ」
仕事があるということは、そこにいて良いということだ。今のソフィアには、まっすぐに立てるだけの確証が何もない。自然と声に喜色が混じるソフィアに、ギルバートの表情も少し緩んだようだ。
「──それなら構わない。ハンスと話す、一度席を外せ」
ソフィアはギルバートに一礼して奥の部屋へと下がった。一人になった部屋で、ソフィアは両手で口元を押さえる。小さな一歩だが、自分で進むと決めた一歩だ。
「ソフィアです、今日からよろしくお願いします」
フォルスター侯爵邸には地下に使用人用のホールがある。あれから二日が経ち、ソフィアは朝礼の場で挨拶をしていた。真新しいメイドの制服の首元には、藍色のブローチが付いている。これは侯爵家で働く使用人全員が身に付けているもので、自分もそれを身に付けていることが嬉しい。
「──ソフィアには、主に旧道具の清掃と管理を任せます。それ以外のことも、少しずつ覚えていってください」
メイド長の言葉に、朝礼に出席している面々──その中でも主にメイド達が、嬉しそうに小さく歓声を上げた。ソフィアは何故皆が喜ぶのか分からず、首を傾げている。メイド長は小さく嘆息した。
「嬉しいのは分かりますが、そのように態度に出すものではありません」
厳しい声音でぴしりと緊張の糸が張られ、ホールは途端に静まり返った。
「ではソフィア。まずはカリーナから仕事の引き継ぎを受けてください。カリーナ、夕刻までに邸内の案内と仕事の説明を」
整列していたメイドの中から一人が少し前に出て頭を下げる。ソフィアはカリーナと呼ばれたメイドに見覚えがあった。侯爵邸に来て以来、ソフィアの側に付いてくれていたはずだ。
「承知しました、メイド長」
カリーナはソフィアに視線を向けると、警戒を解くようににこっと微笑みを浮かべる。ソフィアは驚き僅かに肩を揺らした。
「──では、以上です。今日もよろしくお願いします」
よろしくお願いします、と使用人達の声が響き、ソフィアも慌てて口を開く。
「よ、よろしくお願いしますっ」
メイド長はソフィアを一瞥してその場を離れた。他の面々も自らの持ち場に向かうようで、散り散りになっていく。そんな中、カリーナだけがソフィアの側に歩み寄ってきた。
「カリーナよ。今日からよろしくね、ソフィア」
「よろしくお願いします、カリーナさん」
姿勢を正してぴしっと頭を下げたソフィアに、カリーナは苦笑して右手をひらひらと振った。
「カリーナ、で良いわ。敬語もいらないから、普通に話してちょうだい」
ソフィアはカリーナの明るく軽い口調に、緊張が解れていくのを感じた。表情をころころと変えるカリーナはソフィアと近い年齢のようで、少し安心する。
「──ありがとう、カリーナ」
親しげな表情で対等に誰かと話すなど、いつ以来だろう。ソフィアは控えめながら微笑んだ。カリーナは照れているのか、耳を赤くして口調を速める。
「良いのよ、そんなの。早速説明するわ、メモ持ってる? ──マナーハウスほどじゃないけどここも広いから、ちゃんと覚えないと迷子になるわよ!」
エプロンのポケットから小さなノートとペンを取り出したソフィアに、カリーナは満足そうに頷いた。すぐに歩き出したカリーナに付いて、ソフィアも急いで歩を進めていく。