令嬢と黒騎士様は立ち向かう1
王城前の広場は、突然現れたアイオリア王国の紋章入りの馬車に騒然となった。六人乗りの馬車は作りは頑丈だが見た目にも上質なのが分かる。護衛の人数からしても、高位の者が乗っているのは明らかだ。
馬車は正門で番兵に止められた。しばらく護衛が番兵と話していたが、番兵は顔を青くして転がるように王城の方へと走っていく。
何事かと気になった怖いもの知らずの子供が、半分だけカーテンが空いていた馬車の窓から中を覗いた。何人も乗っているようだったが、正面に見えた艶やかな銀髪の美男と隣に座る清楚で可愛らしい令嬢に目を奪われる。令嬢は窓の外の人影に気付いて僅かに目を見開き、隣の男に身を寄せた。
子供はすぐに馬車から離れて駆け出した。顔が熱くなっているのが分かる。広場に行って友達に話そうか、それとも誰にも言わないでいようか。その馬車が何を運んできたのかも知らないで、子供は目的地も決めずに走り続けた。
番兵が戻ってきてすぐに、馬車は奥へと通された。そこは主塔に繋がる一番近い馬車止めだ。馬車を降りてすぐに城内奥に繋がる入り口は、王族と賓客にしか使うことを許されていない。
「ソフィア、手を」
先に降りたケヴィンとトビアスが周囲に注意を払っている。ギルバートが差し出した手を頼りに、ソフィアは馬車を降りた。コンラートも続いて降りる。彫刻が施された扉を抜けた先は、そのまま城内の回廊へと繋がっていた。使用人に付いて先へ進むと、仕事をしていたらしい人々がソフィア達を見て足を止め、頭を下げる。皆慌てているようだ。ここにいるはずのないコンラートが、アイオリアの使者達と共にいるのだから当然だろう。
ソフィアはギルバートのエスコートに身を任せ、前だけを向いた。今のソフィアはギルバートの妻であり、同時にアイオリア王国からの使者の一人でもあるのだ。たとえこれから会うのが顔も見たくない相手であったとしても、軟禁されていた恐怖が消えていなかったとしても、弱音を吐くのはまだ早い。
案内されたのは謁見室だった。部屋の隅には等間隔に騎士が立ち並び、部屋の最も奥、上座にあたる場所に王が座る玉座が置かれている。ギルバート達はその中央まで歩を進めた。玉座の方を向き、ヘルムートを待つ。ギルバートとソフィアを中心に、少し後ろにコンラートが、左右にケヴィンとトビアスが並んだ。
「──随分物々しいな」
トビアスが囁いた。ギルバートが小さく頷く。戦争中の敵国からの使者とはいえ、五人に対しての人数とは思えない。
「これは……少し面倒だ」
溜息を吐いたギルバートの顔には何の表情も浮かんでいなかった。ソフィアは正面の玉座を見る。その椅子は金縁で、座面には深紅の布が張られていた。
「これはこれは、はるばる我が国までようこそ。王族相手に先触れもなく来るとは、アイオリアは使者の躾もできていないのか?」
奥の扉が開き、入ってきたヘルムートが話しながら玉座へと座った。足を組み、片肘をつく。その尊大な振る舞いと言葉は、まだ王でも王太子でもないが、王たろうとしているためだろうか。ソフィアが怯えていたはずのそれは、ギルバートの隣からだと空虚なものに見えた。
「失礼いたしました、ヘルムート殿下。何ぶん妻が拐われまして、こちらも余裕が無かったものですから」
ギルバートが口角を上げた。しかしその目は笑っておらず、ひたとヘルムートを見据えている。ヘルムートはギルバートの隣にいるソフィアを見て顔を歪ませ、視線をギルバートへと戻した。ギルバートはしかしぴくりとも表情を変えない。
「貴殿は──」
「私はアイオリア王国国王より遣わされました、ギルバート・フォルスターでございます。お久しぶりです、ヘルムート殿下」
「ギルバート・フォルスター……侯爵、か。ふん。久しぶりだ」
「はい。本日は我が国の国王より、講和文書を預かって参り──」
「講和だと! 私は白旗を上げてなどいないぞ!?」
突然激昂したヘルムートが、肘をついていない方の手で玉座の肘掛けを叩く。あまり大きな音はしなかったが、ソフィアは思わず肩を震わせた。
「この戦争が無謀であることなど、貴方はもうご存知でしょう。国民達も疲弊し、もう戦争によって得るものは何もありません」
「なにを……何を言っているのだ! 私はまもなく王となる男だぞ。戦争にも負けるはずがない!」
ヘルムートの眉間の皺がどんどん深くなっていく。身を乗り出す姿は、玉座の雰囲気と全く似合っていない。
「──ヘルムート、もう止めるんだ」
コンラートがソフィアとギルバートの前に出た。その声は朗々と謁見室に響き渡る。ヘルムートが、目を細めてコンラートを睨み付けた。
「コンラート、何故貴様がここにいる」
「縁あってね。彼らと共に前を向くことにしたんだ」
コンラートはどこか伸び伸びとした様子で言った。ヘルムートは全く理解していない。
「何故お前が……罪人が、アイオリアの使者と共にいるのだ。いや、そうか。罪人とそれを連れ出したアイオリアのスパイ、という筋書きも悪くない。──皆の者、此奴らを捕えよ。生死は問わん!!」
ヘルムートが勝ち誇った顔で立ち上がった。周囲に立ち並んでいた騎士達が、腰の剣を抜く。金属が擦れる甲高い音が重なった。ケヴィンとトビアスも、ほぼ同時に剣を抜いた。ソフィアはギルバートの腕に添えていた手に思わず力を入れる。現状、ギルバート達は明らかに人数で不利である。
コンラートが首を振った。
「これ以上罪を重ねることはないだろう」
「罪人はお前だ、コンラート!」
コンラートの言葉はヘルムートの耳には届かない。ソフィアの強張った手をギルバートが解いた。縋っていた温もりが離れる。冷えたのは手ではなく心だった。五人はすっかり騎士達に囲まれ、逃げ場も無くなっている。ギルバートが周囲を見渡し、その一人に目を留めた。
「これが……これが、騎士のすることか? 騎士とは弱い者を守るのだろう。その剣は、何を守る為に振るうのだ」
ギルバートは淡々と話す。騎士の一人が動揺したように僅かに剣を下げた。
「なあ、ルッツ。どうなんだ!!」
ギルバートにルッツと呼ばれた男は身体を硬直させた。ギルバートはその綻びを見逃さず、男の腕を思い切り引く。次の瞬間、右腕の腕輪が眩い光を放った。