令嬢は黒騎士様の宝物4
ヘルムートの執務室は、本当に誰もいないようだった。鍵は掛かっているが、ギルバートにとっては大した問題ではない。罠がないことを確認してから針金で鍵を開ける。内部を透かして見ることができれば、開錠は難しくない。中に入って、すぐに内側から鍵を掛け直した。
「──無駄に豪華だな」
室内は精緻な金細工の装飾が付いた調度が多く、これで落ち着くのかと疑問に思う。更に執務室なのに寝台があるのはどういうことか。不思議に思いながらも、ギルバートは目的の物を探す。机の引き出しをいくつか開けて、チェストへと移ったところで、目ぼしいものは全て見つかった。直接触れないように気を付けながら、それらをポケットに詰め込む。
「隠す気があるのか……まあ、お陰で証拠は揃った」
ギルバートはできるだけそこにいた痕跡を残さないよう気を付けながら部屋を後にした。
「おかえりなさいませ、ギルバート様」
ソフィアは読み途中だった本を置き、アパートメントに帰ってきたギルバートを笑顔で出迎えた。ギルバートが一人でエラトスの王城内に潜入していると聞いたときは心配だったが、不安に思うことがギルバートを信頼していないことになるだろうと思い直した。ソフィアはギルバートの上着を預かり、ハンガーに掛ける。
「ただいま、ソフィア。コンラート殿下、只今戻りました」
「おかえり、ジル」
コンラートが通信用の魔道具を片手に、ひらひらと手を振った。コンラートはよくその魔道具を使っていた。ソフィアが相手を聞くと、相手はマティアスかアイオリア国王だと言われた。以来、畏れ多くてその話題には触れていない。
「何方とお話しですか?」
「殿下だよ。何か報告があるかい?」
「少し使わせて頂ければと」
ギルバートは話しながら次々と着替えを済ませていく。途中からソフィアは手伝いを止め、目線を逸らした。
「──はい。いつも借りていてすまないね」
「いえ、構いません」
着替えを終えたギルバートが魔道具を受け取って、空いていたソファに腰を下ろす。さらさらと文字を書き連ねていく姿を、ソフィアはじっと見つめていた。
「何かあったのか?」
「証拠を掴みました。いつでも動けます」
ギルバートが手を止めずに口角を上げる。コンラートは驚いたように目を見開いた。
「もう? まだ一日しか経っていないが……」
「ヘルムート殿下は気に入りの娘に逃げ出されて、自室に引き篭もっていらっしゃるようです」
ギルバートがちらりとソフィアに目を向ける。どきりと肩が跳ねた。
「──私の宝を勝手に盗み出したのですから、相応の対価は払って頂きましょう」
コンラートが苦笑した。ソフィアにはギルバートの瞳の藍色が氷のように冷えた色を湛えているように見える。思わずおずおずと声をかけた。
「ギ……ギルバート様?」
「ソフィア、どうした?」
次の瞬間には、ギルバートの瞳は穏やかで優しいソフィアの好きな色に戻っている。ソフィアの不安に気付いたのか、ギルバートは立ち上がってソフィアの側に歩み寄り、ぽんぽんと頭を撫でてきた。ソフィアはほっとして、詰めていた息を吐く。
「いえ、何でもありません」
ギルバートの甘い仕草に、ソフィアは緩く笑った。それを確認したギルバートが、またコンラートに向き直る。
「マティアス殿下に報告させて頂きました。明後日、アイオリアの使者が王城に講和文書をお届けします」
「早いな」
「一昨日の夜から動いておりましたので。私はアイオリアの代表として交渉権を行使させて頂きます。殿下には、ご一緒頂きまして──」
ギルバートの言葉を、コンラートが片手を上げて遮った。
「いや、むしろ私から頼みたい。私は強くない。一人では王太子の座すら取り返せない弱い王族だ。──だが、この国を大切に思う気持ちには自信がある。貴国に今後一切の迷惑をかけないと誓おう。だからどうか……エラトスの未来に力を貸してほしい」
コンラートが頭を下げる。ギルバートはそれを静かな表情で見ていた。ソフィアははらはらと見守ることしかできない。
「今後一切私のものに手を出さないとお約束頂けるのならば、私は殿下を次期王に推しましょう」
「ああ、約束しよう。フォルスター侯爵、貴殿の大切なものを、今後私達は一切傷付けない。国も人も物も全て、だ」
ギルバートを見るコンラートの瞳には力が溢れていた。ギルバートが小さく頷く。
「信じます。殿下に国王になって頂かねば困るのは、こちらも同じです」
コンラートがギルバートに右手を伸ばし握手を求めた。ギルバートはそれに応えて手を握る。
「──ソフィア。明後日、私達は決着をつける。ここに一人残すのは不安だ。私が必ず守るから、共に……来てくれるか」
握手の手を離し、ギルバートがソフィアに問いかけた。ソフィアは不安げなギルバートに微笑みで返す。今更そんな心配なんて無用だった。
拐われた先で一人ギルバートを信じていた日々と比べると、今はずっと安心している。当然危険なのは理解しているが、一人ではないということが、こんなにも力をくれる。
「はい、勿論です。どうか私も、お二人と共に行かせてください」
ソフィアはギルバートの右手を両手でぎゅっと握った。弱くないのだと伝えたい。ギルバートが包むようにソフィアの手を握り返して、頬に触れるだけの口付けを落とした。