黒騎士様は令嬢と再会する6
「──何を……」
ギルバートは頭が真っ白になった。薄布の向こう、ソファにしなだれかかるように座っている仮面の女は、確かに身体に力があまり入っていない。魔道具のせいなのだろう。そこで縄に繋がれているのは、間違いなくソフィアだ。一方ヘルムートであろう男はその隣で悠々とグラスを傾けて寛いでいるようだった。
侯爵はまだ話し続けていたが、その言葉に相槌など打てる筈もない。今すぐ殺してやりたい程腹立たしかった。エラトスが、ヘルムートが、侯爵が、そして自分自身が、全て壊してしまいたい程憎らしい。ギルバートと縁続きにならなければ、ソフィアは狙われることはなかっただろう。
「殿下は未来の国王だからな。やはり私のような忠実な臣下がいてこそ──」
何が忠実だ。愚かな人間を諫めもせず、ただ従っているだけだろう。ギルバートの異変に気付かない侯爵は、まだぺらぺらと無駄な言葉を重ねている。それを聞き流せば聞き流す程、ギルバートの右手首の腕輪は魔力の暴走の気配を察してか熱くなっていった。それを理性でどうにか堪えようと試みるが、このままでは限界も近そうだ。脳の奥にいる冷静な自分が警鐘を鳴らしている。
「それは素晴らしいです。──知人を見つけましたので、失礼させて頂きます」
適当な嘘でどうにか侯爵から離れたギルバートは、すぐに会場内を見回した。ソフィアとヘルムートがいるであろう場所の前は舞踏のスペースになっており、歩いて近付くことは難しそうだ。
誰かと踊る必要がある。今日ここには第二王子ヘルムート派の者が多い。だからこそ今選ぶべきは、最初に踊った女だろうとギルバートは思った。目当ての女が数人の女達と話しているのを見つけて、ギルバートは迷いなく歩み寄った。近付くと女達はきゃあと黄色い声を上げる。このようなときに行動が楽になるのは、ギルバートがこの容姿に感謝する数少ない機会だった。
「──もう一度踊って頂けますか、レディ」
「まあ。女性の会話中に割り込むなんて、不躾な殿方ね」
手を差し出すと、僅かに不機嫌そうな表情と目が合った。一度は離れた女を会話に割り込んで誘っているのだから、言われて当然だろう。ギルバートはそれでも引き下がらず、じっと女の目を見つめた。
「どうか、協力してください」
しばらくそのまま目を逸らさずにいると、女はあきらめたように小さく嘆息した。
「良いわ、面白いものが見られそうだもの。今だけ貴方に力を貸しましょう。……ごめんなさい、私、この方と少し──」
女は目を伏せ、ギルバートの手に手を乗せて、そのまま身体を添わせてくる。また黄色い声が上がって、女達はすぐに散り散りになっていった。
「上手いですね」
「そうね、慣れているのよ」
エスコートをして、自然にダンスの輪に加わる。やはり仮面舞踏会らしく、話している人よりも踊っている人の方が多い。紛れるのは簡単だった。
「──それで、貴方のお目当ては何なのかしら?」
女は笑って悪戯な目をギルバートに向ける。ギルバートは一度目を伏せ、薄布のカーテンへと目を向けた。今日この場にソフィアを連れてきたからには、ヘルムートか侯爵は、何らかの方法で利用しようとしているのだろう。それは彼女の正体を明らかにしてこの場の興にすることか、またはヘルムート自身がソフィアを思うようにすることか。どちらもギルバートには到底許容できることではない。
「囚われの姫です。巻き込みませんので、どうか近くまでお手伝いを」
「──……良いわ」
女は息を飲んだが、すぐに頷いて次の一歩の方向を変えた。
少しずつ、目的の方向へと近付いていく。程なくして、ギルバートはカーテンのすぐ前までやってきた。丁度音楽は盛り上がっている。ギルバートは女の耳元に顔を寄せた。側から見れば、ただの男女の駆け引きにしか見えないだろう。
「ありがとう」
「成功を祈るわ」
女も小声でギルバートに返した。次の瞬間ギルバートは女から手を離し、薄暗いカーテンの向こうへと駆け込んだ。そこは豪奢な個室のようになっている。
「──何者だ!」
立ち上がったヘルムートが、すぐに侵入者の存在に気付いて声を上げた。ギルバートは明かりが点かない内に、目についた照明に片っ端から魔法を放つ。これでパーティ会場からこちらが見えることはない筈だ。明かりが無ければ薄暗く、ギルバートの姿もはっきりとは見えない。逆に薄布のカーテンの向こう、華やかに踊る仮面の人々がはっきりと見えた。
ソフィアは突然の状況の変化に思考が追い付いていないのか、ただじっと動かずにいる。着せられている黒いドレスの胸元が大きく開いていて、ギルバートは苛立ちのままに胸元から取り出した短剣でその首に繋がれた縄を切った。
「殿下、どうされました!?」
護衛らしき騎士達が数人、横にあった扉を開けて入ってきた。短剣を持ったギルバートを見て剣を抜く。ギルバートは構わず、ソファに座ったままのソフィアの腕に触れ、首輪の効果を調節するという魔道具の腕輪を外した。操作されては面倒だ。首輪は厄介だが、腕輪で操作されるならば動けない方がましだ。
「何者だ。殿下への振舞い、国家への反逆であるぞ!」
護衛の騎士が口を開く。まさかギルバートがアイオリアの者だとは露ほども考えていないのだろう。だが今にも斬りかかってこようとしているこの場限りの相手に、正体を明かす必要もない。
「──失礼した」
カーテンに右手を掛ける。力任せに引けば上部の留め金が外れ、繊細な布は千切れ、次の瞬間には一枚の布としてギルバートとソフィアの姿を覆い隠した。
「ソフィア、すまない」
ギルバートは短い謝罪の言葉を落として、殆ど動けずにいるソフィアを雑に担ぎ上げた。
会場は突然露わになったこちら側の様子に騒然となっている。ギルバートは困惑している人々の間を抜け、勢いよく開けた窓から外へと飛び出した。