黒騎士様は令嬢と再会する5
ギルバートはそこにいるのがヘルムートであると直感的に分かった。会ったことはないが、その振る舞いが何より雄弁に物語っている。
「殿下を呼んでいらっしゃったのですか、驚きました」
ギルバートは平静を装いながら、彼らの姿を観察する。女は誰だろう。緩やかに纏められた髪とカーテン越しに見える所作はどこかの貴族令嬢のようだが、そうであればあの扱いには違和感がある。
「そうだろう。今や陛下の後継は彼で決まりだと言われているからな。私がこの期を逃す筈がない」
また葡萄酒を飲んだ侯爵は、すぐに給仕から新しいグラスを受け取る。随分と酒が好きなのか、それとも気分良く酒が進んでいるのか。どちらにせよ、酔ってくれるのはギルバートにとっても都合が良い。続けてヘルムートと自身を称賛する言葉を吐き続ける侯爵に、ギルバートはしばらく酒を勧め飲ませ続けた。
「流石でいらっしゃいます。それで──あの女は誰なのです?」
ギルバートはまさかと思いながらも、胸騒ぎが抑えられなかった。どうにも落ち着かない。ソファーに座るその細身のシルエットが、俯いた角度が、どうしようもなく気にかかる。ここに来る前のソフィアの藍晶石の指輪の反応は、確かにこの家からだったのだ。その感覚は、疑いよりも確信に近かった。
「いや、何という名前だったか……美しい令嬢なのは確かだ。殿下もご満足だろう」
ふふんと鼻を鳴らした侯爵が、明かりの落ちているカーテンの方を見た。中の様子が見えない。ギルバートは侯爵を探る為、どうにかして身体に触れようとその方法を考えた。やはり、確実な方法を取るべきだろう。
「それは良いことですね。ところで──」
ギルバートはわざと耳打ちをする仕草をした。侯爵がそれにつられてギルバートに身体を寄せ、顔を近付ける。酔っているせいか、距離が近かった。この期を逃さず、横に身体をぴたりと付けて侯爵の耳に手を当てる。側から見ても、内密な話をしているようにしか見えないだろう。
「あの女性は、隣国の娘なのではないですか?」
ギルバートは核心を突く言葉を真っ直ぐにぶつけた。侯爵は動揺したようでぴくりと身体を動かしたが、その程度で顔や態度は変えない。ギルバートは手を耳から離し、距離は変えないまま左手に持ち替えた葡萄酒をくいと飲んだ。新しいグラスを給仕から二つ受け取り、侯爵の空いたグラスと自身のグラスとそれぞれ入れ替える。
「──どこかで何か聞いてきたのか?」
侯爵は他に聞こえないようにか、声を落とした。
「そうですね。せっかくですので、ゆっくりと、お話させてください」
ギルバートは距離は変えないまま、自然に侯爵の手首のあたりに指先を触れさせる。話しながらその記憶の中を探り始めた。
ソフィアが着替えをさせられたまま部屋に放置されて、どれくらい経っただろう。誰も来ない室内はソフィアを安心させ、同時に孤独にもする。これまで乱暴なことはされていないが、態々着替えさせられたことがよりソフィアの不安を煽った。窓の外は日が沈み、明かりが灯されている。防音がされているのか、部屋に外の音が届かないことがよりソフィアを追い詰めた。
何かここから脱出する方法はないかと室内を探ってみているが、出口も方法も見つからなかった。腕輪には鍵こそ付いていないものの、留め具が固くソフィアの制限された力では外すことはできない。
鍵の音がして扉が開けられたのはそのときだった。また先程の男達が来たのかと、ソフィアは身構えて入り口を睨み付ける。
「ほう、なかなかに良い女ではないか」
「ご満足頂けて光栄でございます」
やってきたのは先程の侯爵と、もう一人、それよりも華やかな衣装の男だ。侯爵が敬語を使っていることから、より位の高い人間であることが分かる。
「誰……誰なの?」
ソフィアはその堂々とした雰囲気に飲まれ、声が震えた。それを見た男は、にんまりと口角を上げて笑みを作る。
「ほう。怯えてくれるのか、可愛いものだ」
かつかつと靴を鳴らして近付いてきた男が、ソフィアの顎を片手で掴んでくいと上向けた。顔を逸らそうとしてもびくともしない。男を近くから見ると、エラトスには珍しいよく手入れされていることが分かる白い肌をしていた。
「貴方は──」
相当に位の高い者なのだろう。侯爵が光栄と言う程なのだから、それはきっと王族か、それに準じる地位の筈だ。ソフィアの本能が警鐘を鳴らしている。
「そう、君を拐わせたのは私だ。ここまでは楽しい旅だったかい? エラトスは初めてだろう」
「──楽しい筈がございません。何故私を……」
「決まっているだろう。アイオリアの奴ら、戦になればすぐに魔法だ、兵器だと投入してくる。父上の代では負けてばかりだった。全く、愚かとしか言いようがないね。──でも私は違う。ここで一戦でも勝利すれば、私の評価は一気に上がる」
男はソフィアの顎から手を離した。ソフィアはすぐに距離を置こうと後退るが、ドレスの裾を踏まれて阻まれる。片手で軽々と押し倒され、そのまま両手首を床に縫い付けられた。思い切り身体を揺らすがびくともしない。
「お前、あの黒騎士の妻なんだろう? どんな厳つい女かと思っていたら、こんなにか弱い子兎だったとは。いやぁ、面白いねぇ。今頃、アイオリアの者達は手を焼いていることだろうよ」
絨毯越しに伝わる床の温度が、ソフィアの身体を冷やしていく。
「エラトス第二王子である私、ヘルムートから王家に直々の警告文を送ってある。黒騎士の妻の命が惜しくば、前線の攻撃を止めるように──とね。返答期限もそろそろだ。もし過ぎてしまったら……そうだな。せっかくの美しい女を殺すのも惜しい。お前も、私の愛人の一人くらいにはしてやろうか?」
圧倒的な力の差がソフィアを追い詰めた。身動きすら取れないまま、ただ視線で反抗することしかできない。精一杯の強がりで男──ヘルムートの目を睨み付ける。
「貴方の愛人になるくらいなら、死んだ方がずっと良いわ……っ!」
目尻から熱い滴が顔の横へと流れていくのが分かる。それでもソフィアは、目の前の男を睨むことを止めなかった。ギルバートの妻であること、側にいることは、ソフィアにとって何より大切なことだ。それを踏みにじられてまで縋りたいとは思えない。
「──面白い女だ。精々足掻け」
ヘルムートがソフィアを解放し、興味を失ったかのように背を向けた。ほっと息をついたソフィアに、今度は侯爵が手を掛ける。何も言えずにいる内に、今度は侯爵が持っていた縄をソフィアの魔道具の首輪に括り付けた。その端はヘルムートに渡される。同時にソフィアの首輪の力を調整する腕輪に連動する腕輪を受け取ったヘルムートが、それを自身の左手首に着けた。
「さあ行くぞ、パーティの始まりだ。今夜は楽しい夜にしてやろう」
ヘルムートが急に縄を引く。ソフィアはその苦しさに思わず顔を顰めた。
「おっと、これを忘れていたな」
ヘルムートが笑う。手首の腕輪を操作したのか、次の瞬間ソフィアの身体が一気に軽くなった。震える手を付いて、ソフィアは上体を起こす。
「早くしろ。行くぞ」
急かすようにまた縄を引かれ、震えながらも慌てて立ち上がった。久しぶりに動かす身体は少しぎこちない。ふんと鼻を鳴らしたヘルムートと興味無さげな視線を向けてきた侯爵の後を、ソフィアは重い足を動かしながら付いて行った。