黒騎士様は令嬢と再会する4
「いついらっしゃるのかしら?」
女が言った。薄布のカーテンの向こうは霞がかったように見える。ソファや小物の形状や色はなんとなく分かるが、それだけだ。明かりがゆっくりと数度明滅を繰り返していたが、誰かが現れる様子はない。
そうこうしている間に仮面舞踏会らしく華やかな音楽が流れ始めた。少しずつ、会場の中央に足を踏み出す者が増えていく。
「なかなかいらっしゃらないですね。今のうちに一曲、お相手願えますか」
もっとカーテンの側で中の様子を見たい。ダンスをしながらであれば、もっと近くで見られるだろう。ギルバートは女に手を差し出し、軽く腰を折った。
「ええ、そうね」
女が素直に手を重ねる。女からは充分に情報を引き出した。一曲踊って相手を変えようとギルバートは決めた。
くるりくるりと視界が動き、その間に周囲を観察する。仮面舞踏会であるからか、女が慣れているからか、パートナーと無理に視線を合わせている必要は無さそうだった。
「──貴方は商人さんかしら」
「どうしてそう思われたのです?」
「こういった場所で周りを気にするのは、悪い人か商人だと決まっているのよ。悪人には見えないもの」
ふふ、と笑った女は妖艶な笑みでギルバートを見た。半分は当たっている。ギルバートは口角を上げた。
「流石、よく見ていらっしゃいますね。今日は知人の紹介で来ておりまして……良い出会いを探しているのです」
「その出会いは、同性かしら。それとも異性?」
「今日は──どちらも素敵な出会いになりそうです」
適当に会話を合わせるのにも飽きてきた。ギルバートは女の下心を知っていて、適当に気を持たせる言葉を選んでいた。女も仮面を付けてのこの場だけのただの火遊びで、本気ではないのだ。
「そう。貴方に冒険心があるのなら、あの男がお勧めよ」
女が踊りながら、目線で少し先にいる男を示した。ギルバートもそちらを見る。随分華やかに着飾った男だった。女も周囲の人々も、仮面をしていても男が誰だか分かっているようで、遠巻きに窺う者と機嫌を取る者で極端に分かれている。
「あの男ですか?」
「そう。ああ見えて、彼はこの家を継いだばかりの侯爵よ。派手好きで有名で、貴族の流行にも強いから。──彼に気に入られれば大抵の物は売れるわ」
女はその笑みを収めないまま、しかし僅かに表情を歪めた。触れている肌から伝わる感情は、嫌悪だ。
「お嫌いなのですか?」
ギルバートの問いに、女ははっとしたのか指先に力を入れた。
「ええ、品性のない人は嫌いよ」
どうやら女から見て、侯爵だというあの男は好ましくないようだ。記憶によると、その理由は服や装飾の派手好きだけでなく、以前口説かれたこともあったらしい。
「そうですか。後でお話してみます。ご助言ありがとうございました」
曲が終わり、ギルバートは一礼する。女を見ていた者は何人もいたようで、次のダンスの相手にと数人が声を掛けてきていた。
「では、私はこれにて」
女を他の男達に任せ、ギルバートはそっとその場を離れた。次の相手を探さなければならない。
続けて二人、違う女と踊ってみたが、新たなめぼしい情報はなかった。やはり直接侯爵に話をしに行くべきだろう。離れたところから様子を窺うと、丁度一人になったところだったようだ。
「──こんにちは、ご一緒しても?」
ギルバートはグラスを持ち、あえて相手の立場を知らない振りで声をかけた。侯爵は驚いてギルバートを見る。
「貴様、私を誰だと──」
「どなたでしょうか? 分かりません、なにせこの仮面でございますから」
ギルバートがにこりと笑ってグラスを上げた。
「そうだな、貴殿の言うことも尤もだ。初めて見る顔だな、後日私の名を知って後悔するかもしれないが──なかなか面白い奴だな。構わない、今日は飲もうじゃないか」
侯爵もグラスを上げ、ギルバートのグラスと重ねた。ギルバートは知らない振りで、涼しげな音に続けて葡萄酒を飲む。
「お付き合いありがとうございます」
侯爵はにいっと笑った顔で、ギルバートに顔を寄せた。
「……本当に私を知らない訳ではないだろう? それで、私にわざわざ声をかけるということは、何か利のある話があるのか」
「きっと、ご満足頂けると思いますよ」
特に用意はしていないが、ギルバートは自信ありげに頷いた。別に、本当に何かを用意しておく必要はない。いざとなれば適当に嘘を吐こう。
「ははは、それは良い。後でゆっくりと教えてくれると嬉しいね。ああ君、彼にも新しい飲み物を。葡萄酒でいいかい?」
侯爵はギルバートの空になったグラスをひょいと奪うように取り、給仕に自身のグラスと一緒に渡した。給仕は受け取ったグラスをトレイに置き、代わりに中の満たされているグラスをそれぞれに手渡した。
「ありがとうございます」
ギルバートは受け取って、一口飲んだ。興味深げな表情を作り、カーテンの向こうを気にして見せる。
「あの演出は面白いですね。まだ、誰もいらっしゃらない様ですが……」
「これからだよ。今回は面白いものもある。──見ていると良いさ」
当たり障りの無い会話をしばらく繰り返していると、またカーテンの向こうが明るくなった。そこにそれまでいなかった二人の人間がいた。背の高い男と、細身の女だ。薄布のカーテンのお陰で人物が特定できない程度にぼやけてはいるが、その姿はよく見える。どちらも盛装で、特に男は華やかな装いだ。一方女はその身体のシルエットを際立たせるタイトなドレス姿で、膝から下、裾周りだけ布が多い。
「──……!?」
堂々とした立ち姿の男に対して、女は不安定な足取りで、俯きがちなのが気にかかった。それどころか、よく見れば──その首からは何か紐のような物が伸びて、男の手元と繋がれている。
「面白いだろ? 今夜のゲストだ」
侯爵が喉の奥を鳴らしてくつくつと笑った。