黒騎士様は令嬢と再会する3
ギルバートは銀の装飾が華やかな青の夜会服に着替え、髪の色を戻した。久しぶりの銀髪は鏡で見ると自身の髪なのに何処か懐かしく感じる。鮮やかな青に装飾の多い服は着慣れないが、羽振りの良い商人を装う為には仕方ない。これで黒い服を着る訳にもいかないだろう。ポケットに用意している仮面にまで大粒のサファイアをあしらっている徹底ぶりだ。
「今日のジルは随分と格好良いね」
「揶揄わないでください、殿下」
「いや、揶揄いではなく、やはり貴殿には銀の髪が似合うと思っただけだよ」
コンラートが笑っている。ギルバートはなんとも居心地が悪く、右手で髪を緩く掻いた。その手首には、しっかりと磨かれた白金の腕輪が輝いている。最後に、有事に備え懐にそっと短剣を忍ばせた。
「このような場所に閉じ込めて申し訳ございません。殿下の出番はもう少し先になります。どうかそれまで、ご辛抱を」
「いや、構わないよ。貴殿に任せてばかりですまないね」
「いえ」
任せてばかりと言われたが、実際にはコンラートとマティアスは魔道具を使用してやり取りしている。王族同士の交流は、間違いなくアイオリアとエラトスの戦争を終結させる道筋になるだろう。
ギルバートはマントを被って髪と衣装を隠し、部屋を出た。まだ少し早いが、貸し馬車を確保するには丁度良い時間だ。
城下町の端にある店で御者ごと箱馬車を借りる。中流以下の貴族が使用する程度の、しっかりとした作りのものにした。先に支払いを済ませてしまえば、身分証明は不要でサインだけで借りることができる。お忍びの貴族に配慮したその制度をありがたく利用させてもらい、ギルバートはあえて遠回りで会場となる侯爵邸へと向かった。
借りた馬車は一人には充分過ぎる程広い。ギルバートは手持ち無沙汰に耳飾りの藍晶石に触れた。相変わらず変化のないそれに小さく失望した、その時だった。
「──……っ」
数日ぶりに、耳飾りが熱を持った。そこからソフィアの指輪に向けて流れる魔力を感じる。それは気のせいではないと確認させるように、二回、三回と繰り返される。
「ソフィア、いるのか」
一人しか乗っていない馬車の中、ギルバートの声は誰にも聞こえない。だからこそギルバートはその名をはっきりと口にした。音になれば胸を締め付ける。側に感じていた日々が、毎日名前を呼んでいた日々が、狂おしい程愛おしい。
ソフィアはこれから行く侯爵家にいるようだ。必ず連れ帰ると決意して、ギルバートは目を閉じ思索に耽った。
その過剰とも言える華やかさに、ギルバートは目眩を堪えなければならなかった。邸外は夜とは思えない程魔道具の明かりで照らされており、玄関を抜けると金の縁取りの真っ赤な絨毯が敷かれている。芸術品であろう壺や彫刻が均等に台座に飾られているのも、ギルバートにはしつこく感じられた。仮面に隠れた眉間には皺が寄っているだろう。
控えの間の前で招待状を見せ、ギルバートは当然のように会場内へと潜り込む。ここまで同様の華やかさに、今日の服装は決して派手ではなかったと思う。
演出の為か、会場内の照明はかなり控えめだ。既に人が集まってきており、あちこちで同じように仮面を付けた人々が会話を始めていた。それぞれの服装や身なり、振る舞いで、顔が半分隠れていても、貴族も商人も大体の格が分かる。ギルバートは会場内を数歩進んで、自分に向けられる好奇の視線の中から一人の女を選んだ。顔は隠れているが、きっと美人と分類される女だろう。近寄れば、女は自信ありげに赤い唇を歪ませて笑う。
「どちらの殿方かしら?」
女は当然のように右手をギルバートに差し出した。ギルバートはその慣れた仕草に内心でほくそ笑み、片手を添えて口付けを落とす。
「ひとときの夢のお相手です、レディ」
「それは楽しい出会いになりそうだわ」
ギルバートの返答に満足したのか、女はそのままギルバートが側にいることを許した。女は上位貴族の妻のようだった。家族に内密に仮面舞踏会やサロンに出入りしていて、遊び慣れているのだろう。まだ少しの間しか覗いていないが、情報も多く持っていた。まずはこの女から調べようと、近くにやってきた給仕から葡萄酒を二杯受け取り、一杯を女に渡す。こっそりと魔法で毒が無いか確認してから、軽やかにグラスを重ねた。
「初めて会う方ね」
女はグラスを傾け、葡萄酒をするりと飲んだ。
「光栄な出会いに感謝を」
ギルバートもグラスを傾ける。深い赤紫色の液体は、その色の通り豊かな香りと味だ。
女が端にあるテーブルにグラスを置いた。その指先は白く細く、すうっとテーブルの上を滑る。ギルバートは指を重ねた。それを小さく撫でるように動かせば、女はくすくすと笑い声を上げ、人差し指でギルバートの指を絡め取った。
「悪戯な指だこと」
「レディの魅力に惚けているのですよ」
女の言葉にもギルバートの言葉にも、特に意味などない。ただの言葉遊びだ。ギルバートの指にも記憶を覗く為以外の意味はない。マティアスにかつて習った悪い遊び方を試しているが、案外上手くいくようだった。仮面舞踏会という場は、ギルバートが会話をしながら探りを入れるには絶好のロケーションだ。
エラトスの未婚の貴族令嬢や年頃の娘を持つ家は、未だ独身であるコンラートとヘルムートに興味津々のようだ。甘いマスクのコンラートは人気もあったようだが、今回の追放が表に出て以降、ヘルムートの周囲により華やかな令嬢達が集まるようになった。その目的が後宮入りや王妃の座であったとしても、ヘルムート自身も嫌な気はしていないのだろう。
女と互いに探り合いながらの会話を繰り返していると、室内奥、薄布のカーテンの向こうに明かりが灯った。カーテンのこちら側の方が照明が暗い為、ある程度向こう側の様子が見える。大きなソファーが置かれており、サイドテーブルにグラスが二つあるようだ。少しすると今度はこちら側よりも弱い明かりになり、カーテンの向こうが見えなくなった。逆にこちらの様子は良く見えることだろう。明るさは、規則的に繰り返し変化する。
「──今日は殿下もいらっしゃると聞いていたけれど……随分な演出だわ」
女の夫は第二王子ヘルムート派だが、女はどちらの派閥でもなかった。ただ単純にこの演出が気に入らないのだろう。ギルバートは小さく嘆息して、カーテンの向こう側にヘルムートの登場を待った。