令嬢は黒騎士様に拾われる11
合同訓練ではアーベルが決勝で第三小隊の騎士と当たり、鮮やかな剣さばきで軽々と勝利を収めていた。ギルバートはその後、各隊の魔法騎士達に激励を受け、第二小隊の執務室に戻った。執務室では既に同僚達が日報を書いて今にも帰ろうとしている。アーベルは一番奥の机で書類仕事を片付けているようだった。
「お疲れ様です。副隊長は残るんですか?」
無邪気な笑顔でギルバートに問いかけたのは、準決勝で第三小隊の騎士に当たって負けた後輩だ。ギルバートはどうしようかと逡巡する。何も無ければ、午後の合同訓練で溜まった書類をアーベルと共に片付けていくのが常だった。今日のギルバートがすぐに決められなかったのは、家にいるであろうソフィアの姿が脳裏をよぎったからだ。休ませるように言ってきたが、ちゃんと眠れているだろうか。華奢で頼りなげな姿はギルバートのそれとは違ってとても軽く、魔法を見て輝いていた瞳はまるで森のように深い緑色だった。
「──ああ、いい。お前、今日は帰れ」
アーベルは素っ気なく言うと、ペンを持つ手を止めて顔を上げた。ギルバートと目を合わせ、変化を見落とさないとばかりにじっと見てくるアーベルに、ギルバートは負けを認めて視線を逸らした。
「隊長、ですが──」
「お前に限っては、一瞬でも言い淀むのは珍しいからな」
ギルバートは上官であるアーベルの察しの良さに僅かに身を引いた。同僚達は、ギルバートの珍しい様子を見ていない振りで窺っている。視線で分かるから下手に誤魔化すなと言ってやりたかったが、生憎ギルバートはそれを言って茶化すような性格ではない。
「──では、お言葉に甘えます」
ギルバートはペンを日報に走らせ、すぐに報告を書き上げる。アーベルの机に置き、挨拶をすると、そこにいた同僚達の誰より早く執務室から出た。帰路につく足は知らず速くなっていく。それでも秋の日没は早く、王城前で馬車に乗り家に帰り着いた頃には、日が暮れていた。
「──今帰った」
「ギルバート様、おかえりなさいませ」
ギルバートは馬車から降りると、待ち構えていたハンスに荷物を渡し、メイドが開けたまま押さえている玄関の扉を抜け、家に入った。
「ソフィア嬢はどうしている」
気になっていたことをすぐに問いかければ、ハンスは歩きながら頷いた。
「はい、お部屋でお休み頂いております。随分お疲れであったようですね」
ギルバートはハンスの言葉に、昨夜のソフィアを思う。最近は夜も冷えるようになってきた。
「──そうか」
ギルバートはシャワーを浴びて着替えようと、自室の扉を開けた。三部屋が続いており、入り口側から私的な客間としても使う部屋、個人的な居室、寝室と並んでいる。寝室には浴室が繋がっており、控えめな装飾だがスリーピングポーチもある。マナーハウスより手狭ではあったが、当主の部屋らしく充分な広さだった。
順に扉を開けていく。ハンスは手前の部屋に荷物を置くと、食事の時間を確認して下がっていった。寝室の扉を開けるとき、ギルバートは僅かに手を止めた。中でソフィアが休んでいると思うと、躊躇う気持ちがあった。それでも心配の方が勝り、念のため小さくノックをしてからノブを回す。
部屋の中は一切の明かりが点けられておらず、ポーチの大きな窓から眩しいほどの白い月明かりが射し込んでいた。扉を閉め、寝台を目で確認するが、そこには全く使われた形跡がなかった。ぴんと張られたままのシーツがよそよそしく感じられる。ギルバートはソフィアが何処にいるのかと思い、室内へと歩を進めた。寝台を過ぎたところで、思いもよらない場所に現れた布の塊に、目を見張って足を止める。
「──何故こんなところに……」
ソフィアは、寝台の影、絨毯の上に丸くなり、膝掛けに包まって寝息を立てていた。見れば、ポーチの一人掛けのソファーに畳まれていた膝掛けが無くなっている。誰もいないのもあって、ギルバートの口から思わず深い溜息が漏れた。今日一日の疲れに一度に襲われたような脱力感で、こめかみに手を当てる。遠慮の仕方を間違えているとしか思えなかった。しかしそうせざるを得なかったのは、おそらくこれまでのソフィアの身に、何かの苦労があったからだろう。
ギルバートは眠るソフィアに歩み寄り、膝掛けの端を握り締めている手に、起こさないよう指先でそっと触れた。瞳を閉じて魔力の揺らぎを追おうとしても、やはりソフィアのことは何も分からないままだ。ただその手が冷えていて、夜になって部屋の温度が下がっていることだけは分かった。
ギルバートは手を離すと、寝台の布団を捲り上げ、ソフィアの背と膝の下に手を入れてふわりと持ち上げた。膝掛けがソフィアの手から離れ、床に落ちてぱさりと小さな音を立てる。ギルバートはいけないことをしているような不思議な罪悪感を見て見ぬ振りで、ソフィアを寝台の上にそっと寝かせた。布団を掛けてやれば、小さく身動ぎして、眠っているはずのソフィアの口元が少し緩んだ。
知らず緩んでいた自らの口に手を当て、ギルバートは自らの心の動きに動揺する。他人に対し、これほど温かい感情を抱いたのはいつ以来だっただろう。ギルバートは着替えを持つと、その変化から逃げるように浴室の扉を開けた。