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令嬢は黒騎士様を恋い慕う4

 ソフィアは手元に広げた書類を一度端に寄せ、カリーナが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。少し冷めた紅茶で、張り詰めていた気持ちが僅かに和らぐのを感じる。

 ギルバートが任務で留守にしている間、ソフィアは領地経営の勉強と見直しに精を出していた。安定した経営で問題の少ないフォルスター侯爵領の中でも、最近併合した旧レーニシュ男爵領はかつての領主の悪政もあり、まだ問題が多い。ソフィアはエルヴィン達が派遣してくれた侯爵家の家令オーレルの指導の下、減税の効果検証と次の政策を検討している。一人で根を詰めているソフィアをカリーナは心配し、世話を焼いてくれていた。


「──ありがとう。やっぱりカリーナの淹れてくれた紅茶は、落ち着くわ」


 少しずつ貴族令嬢らしい言葉にも慣れてきた。これまで着ていたものよりずっと高価なワンピースやドレスを着るのも、半年も同じ生活をしていれば慣れてくる。しかしギルバートとこんなにも離れているのは、初めてだ。無意識に溜息を吐いて、椅子の背凭れに身体を預けた。


「ソフィア、もう少しゆっくり過ごしても良いんじゃない? ここ数日、ずっとそうしてるわよ」


 どこか呆れたように、そして心配したように言うカリーナに、ソフィアは曖昧に微笑んで返す。ソフィアも無理をしていることは分かっていた。しかし弱い自分に押し潰されないように、前を向いた振りを続ける為には、何かを考えているのが一番都合が良かった。


「そう、だけど……」


 ソフィアは言葉を濁す。ギルバートのことを考える余裕が、今は欲しくない。夜になれば嫌でも襲ってくる不安と寂しさ、恋しさを、侯爵邸の皆に気付かれたくなかった。ソフィアはギルバートの妻として、ギルバートを誰より信じていなければならない。たとえその任務が、きっと危険なものだとしても。


「いいからっ! 折角だし、お菓子も持ってくるわね。ちょっと待ってて」


 カリーナが勢い良く部屋から出ていく。厨房に向かったのだろう。ソフィアは持ったままだったペンをトレーの上に置き、ゆっくりと目を閉じた。目頭にぴりぴりと引き攣ったような感覚がする。ずっと神経を張っていたからだろうか。

 日の光を透かした瞼の裏に思い浮かぶのは、ギルバートのあのソフィアの内心を見通すように澄んだ藍色の瞳だ。ソフィアはまたぎゅっと会いたい気持ちを押し殺す。今は側にはない温もりを求めるように、身体を起こして机の上の魔道具に触れた。





 しばらくして戻ってきたカリーナは何故か手ぶらだった。それどころか、少し慌てたようでもある。どうしたのかと首を傾げたソフィアに、カリーナは僅かに頬を染めて言った。


「ケヴィンが、ソフィアを訪ねて来てるの」


「──え?」


 ソフィアはその名前に驚いた。かつて一度、共に旅をしたことがある近衛騎士の一人だ。その時はギルバートと、トビアスも一緒だった。レーニシュ男爵領の不正を暴き、ソフィアの両親の死の理由を探したあの旅は、忘れられるものではない。


「どうしたのかしら」


「ね。でも、私が聞いても真面目な顔で、答えてくれないのよ。どうする、ソフィア?」


「どうするって言われても……いらしているのだから、お会いするしかないわ」


 ソフィアは少し慌てて立ち上がる。返事を聞いたカリーナもすぐに奥のクローゼットへと駆けた。今のソフィアは、来客に会う服装ではない。知り合いとはいえフォルスター侯爵の妻として、最低限しっかりと身なりを整えなければならなかった。


「ソフィア、これに着替えるわよ! もう、来るなら先触れくらい出せって言ってやるわ!」


 カリーナは次々に衣装の小物を揃えながら、少し怒ったように言う。ソフィアは苦笑いをして、行儀は良くないと知りながら残った紅茶を一気に飲み干した。


「まあ、何かあったのかもしれないし……何も無いと良いのだけれど」


 ギルバートと同じ第二小隊のケヴィンが訪ねてくる理由など、ソフィアには思い当たらない。まして今、ギルバートは不在なのだ。ソフィアは着ていたスカートとブラウスを自分で脱いで、カリーナの用意している下着を身に付ける。着せられた藍色のワンピースドレスは、貴婦人を思わせる、首元の詰まったデザインだった。上品な仕立てであり、同時にまだ消えないままのギルバートと共に夜を過ごした証を隠すこともできる。


「あまり悪く考えることはないわ。なにせケヴィンだもの。どうせまた、いつものお節介よ」


「そうかな?」


 カリーナはソフィアを安心させるようにからりと笑って、首元に揃いの藍色のリボンを結んだ。鏡台の前に座らせ、ほつれないよう簡単に結わえていた髪を解いて梳かしていく。ゆったりとシニョンに纏め、以前ギルバートから貰った銀の髪飾りで留められた。


「そうよ。それにほら、ドレスも髪飾りもギルバート様の色よ」


 ソフィアは言われて鏡の中の自分を見つめる。藍色のドレスと銀の髪飾り。それは無言のうちに何かを主張しているようでもあった。思わず振り向くと、カリーナは戯けてソフィアの肩を軽く叩く。


「良いじゃない。旦那様の留守の間に他の男性をもてなすんだから、このくらいアピールしたってバチは当たらないわ」


「それは、そう、かもしれないけど……っ!」


 しかしこれは恥ずかしい。ソフィアがやはり服を変えてもらおうかと頭を抱えていると、カリーナが一転して拗ねたような声を出した。


「それにね、ソフィア。──ごめんなさい。実は私、不安なの。ケヴィンが私のこと、どう思ってるか分からなくて」


 つまりこれは、ソフィアに対しての嫉妬だったのだろうか。勿論カリーナが心配などする余地もなく、ソフィアとケヴィンの間には何もないと言い切れる。しかし乙女心は複雑だということだろう。ソフィアは少し微笑ましい気持ちになって、大きく頷いた。


「カリーナも同席してね」


 ソフィアは自然に笑顔になってしまう。顔を赤くしたカリーナが、咄嗟に何かを言い返そうと口を開いた。しかし言葉になることはなく、扉が数回叩かれる音で遮られる。ソフィアの侍女が、扉の向こうから声をかけてきた。


「奥様、お支度はいかがでしょうか」


「ええ、すぐに参ります」


 随分待たせてしまっただろうか。ソフィアはカリーナと顔を見合わせ、部屋を出て階下の応接間へと向かった。

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